4ストライク 不穏な知らせ

「三人で大丈夫かしら…」



 洗濯物が入った籠を片手に持ち、銀色の髪を耳にかけながら、その女性は心配そうにつぶやいた。

 その前で薪を割る金髪の男性が、斧を振り上げながらそれに答えた。



「ニーナ、心配なのはわかるが…アルがついてるんだ。あいつももう9歳だし、心配ないさ。」



 金髪の男性はそう告げると、振り上げた斧を綺麗で無駄のない姿勢のまま振り下ろし、置いてあった薪に当てる。すると、斧が当たった薪は音もなく綺麗に二つに割れた。



「う〜ん、それはそうなんだけど…でも、ソフィアはまだ3歳なのよ。」



 だが、ニーナと呼ばれた銀髪の女性は、納得が行かないのか未だに心配げな表情を浮かべている。


 彼らは、辺境都市サウスの街外れで生活を営む一族だ。金髪の男性がジルベルト、銀髪の女性がニーナと言い、二人はアルとジーナ、そしてソフィアの両親である。



「まぁ…参加できるかどうかはダンカン次第だし、もし許可をもらえても出るのはアルであって、ジーナとソフィアじゃないからな。」


「さっきから、あなたはなんでそんなに冷静なのかしら…ジル。昨日はソフィアと離れたくないって、あんなにメソメソと泣いていたくせに…」



 再び斧を振り下ろしたジルベルトだが、ニーナの皮肉を聞いて動揺したのか、その斧は目の前の薪に当たらずに空を切った。



「そ…それは…言わない約束だろ!」


「言わないなんて約束をした覚えはないわね。」



 斧を手放し、あたふたと両手を振って抗議するジルベルトに対し、ニーナは特に気にかけることもなく、物干し竿の前で洗濯籠を地面に下ろす。



「父親は娘が愛おしいもんだ!」



 突然、ビシッと指を差して、自信満々にそう告げてくるジルベルトに対し、ニーナは振り向くことなく洗濯物を広げ、パンッと透き通った音を立てた。

 そして、こう告げる。



「あなたの愛は偏り過ぎなのよ。愛は重過ぎると嫌われるわよ。特に娘には…ね。」


「うっ…」



 的確かつ鋭い指摘に、ジルベルトは顔を歪ませた。しかし、ニーナはジルベルトに対して、容赦なく言葉の針を突き刺していく。



「そのうち、あの子たちも思春期を迎えれば、お父さん臭い!とか、近づかないで!とか、洗濯物は別にして!とか言われるんだから。」


「ーーーうっ!」


「それに、お風呂なんて以ての外ね。」


「ーーーーーーっ!!!」



 ニーナの総攻撃に、ジルベルトは言葉にならない悲鳴を上げ、頭を抱えてしゃがみ込んだ。



「そんなはずはぁぁぁ!ソフィアに限ってぇぇぇ…そんなはずはないんだぁぁぁ!」



 自分の頭を掻きむしり、現実逃避を試みるジルベルトを見て、ニーナは勝ち誇ったようにクスリと笑った。

 実のところ、最近ジーナがそうなり始めていることも事実であり、それこそが、今のジルベルトにとって最大の悩みの種でもあったのだ。


ーーーソフィアは絶対にそうはならない!


 これは、ジルベルトが自身の心を正しく保つために、必要な思い込みと願望なのであった。


 未だ苦しみに悶えるジルベルト。

 だが、ニーナはそんな彼には全く興味がないといったように、鼻歌まじりに洗濯物を干し続けている。


 この一見頼りなさそうな金髪の男は、先ほど紹介した通りだが、ジルベルト=イクシードと言う。そして、このイクシード家の現当主である。

 今の彼を見てもそうは思わないだろうが…彼はこう見えても、この辺境都市サウスでは名高い狩人である。彼とその家族は、ある理由によりこの辺境都市サウスの外れに住居を構えているが、その理由というのが、彼らの住まいの裏に雄大に腰を据える大きな山にある。


ーーーヴァーミリオン・ヴェイン山脈


 "朱き血脈"と呼ばれるその山々には、古より多くの魔物が巣食っており、彼らは時折、その麓まで降りて来ては街で悪さをしていたのだ。

 これは、大昔から帝国の頭を悩ませる種であった。ここサウスは辺境の地とはいえ、帝国民が住まう場所。悩んだ末に王が下した命は、とある一族をこの地へ派遣することだった。

 それがイクシードであり、彼らはジルベルトの曽祖父の代から山の魔物たちを狩り、サウスの安寧を守る重要な役目を担っているのだ。

 そして、ジルベルトもまた、イクシード家の現当主として、その役目を果たしているのである。



「いつまで落ち込んでいるの、ジル。薪割りが終わったら、次は水車の修理でしょ。」



 洗濯物を終えたニーナが、空になった籠を持ち上げながらそう告げるが、ジルベルトは地面に寝転がり、未だにめそめそと泣いている。ニーナはその様子に呆れ、大きくため息をつくと、彼にこうも伝えた。



「そういえば、ソフィアが今朝、今日はパパとお風呂入るって言ってたわ。」


「なにぃ!?そ…それは本当か、ニーナ!」



 突然、上半身を起こし、驚いた顔を浮かべるジルベルトに、ニーナは「本当よ。」とだけ告げて、片手を振りながら家へと戻っていった。一人残されたジルベルトは、その言葉に無言で肩を震わせている。


 そして…



「ソ…ソ…ソ…ソフィアァァァァァ!!お風呂、パパも一緒に入りたぁぁぁい!!」



 それだけ聞くと、ただの変態ロリコン男のようにも見えるが…


 両手を突き上げて大きく叫んだジルベルトの声は、青く広がる空に高く響き渡る。家の中でそれを聞いていたニーナは、呆れたように小さく息を吐き、肩を竦めていた。

 だが、そんなジルベルトの横で、その声に驚いている者が一人。



「痛テテ…いきなりおっきな声出すなよ!ジルベルト…」



 腰を抑えて座り込んでいるのは肉屋のサムだ。どうやら、ジルベルトの大きな声に驚き、倒れて腰を打ったらしい。



「…あれ?サムじゃないか!どうしてこんなところに…もう大会は始まっ…」


「そ…そうだ!大会…!!ジルベルト、今すぐ会場に来てくれ!ソフィアが…!」



 思い出したようにサムがそう声を上げた。

 ソフィアの名を聞いてジルベルトの顔が曇り、それと同時に、ニーナもその声を聞いて家から駆け出してきた。



「ソフィアが…?!サム!!何があった!!ソフィアが一体どうしたんだ!!」



 ジルベルトは血相を変え、サムに詰め寄って問いかける。その横に立つニーナの顔にも、不安が滲んでいる。



「それが…ジーナと一緒にアルが参加していた試合を見ていたんだけど…その…ファールボールを避けきれずに…ボールが頭に当たって…」



 ジルベルトの雰囲気に気圧されたサムが、そこまで説明した瞬間、ジルベルトは真っ先に駆け出していた。



「ニーナ!お前はここにいろ!」



 そう指示する夫の言葉に、ニーナは無言でうなずいた。こういう時、ひ弱な自分は足手まといになることはわかっているからだ。だが、愛娘の非常時に、その不安を拭いきれるはずもない。



(ソフィア…)



 アルたちがいるベスボル大会の会場へ向かった夫の背中を、ニーナは断腸の思いで見つめていたのだった。

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