二十話 最終局
二十話 最終局
「はは、ははははは!! 身体が温まってきた、だと? 虚勢も大概にしろ!!」
高々に笑うヴェルドだが、アンジェさんはそれを完全に無視し、僕の頭にそっと触れる。
優しく、お母さんのように微笑みかけてくれるその暖かさに、僕は思わず流れそうになった涙をグッと堪えた。
「ユウナ……乗り越えたんだな。偉いぞ」
アンジェさんに褒められると、身体がほんのりと熱くなって心が安らいでいく。
氷で複製した剣を握り、気づけば走っていた。この人を助けたい、その一心で。僕は、本当に……
「やっぱりお前は、優しい子だ。自分のためよりも誰かのために力を発揮できる。師匠としては心配させてしまったことに不甲斐なさを覚えるが……同時にとても嬉しかったぞ。お前が、自らの足で奮起してくれたその事が」
「アンジェ、さん……っ」
「でも、ここからは私に任せてくれ。弟子の前なんだ。格好をつけないとな」
僕は、無言で頷いた。氷剣の顕現を解き、ただじっと、前に出てヴェルドに向かって歩いて行くその背中を見つめる。
「待たせたな戦闘狂。さあ、殺し合いを続けよう」
アンジェさんの手元には、謎の白い輪が出現。そしてそれとほぼ同時に、ヴェルドは僕に斬られた傷の止血を完了し、右手を前に構えた。
刹那、筋肉質なその腕に大量の血管が浮かび上がる。やがてそれは手の甲へと集中し、奴は不敵に笑った。
「ふふ、魔女よ。第二ラウンド……と言っていたな。ならばそれに相応な、″力″を解放しようではないか」
「力……?」
「ああ。力だ。光栄に思うといい。私の人生において初めて使う、この力を向けられたことを」
怒号。言葉の途切れと共にヴェルドの叫びが響き渡る。そして再び手先の血管は収束を初め、やがて手の甲の皮膚が膨らみ始めた。
「ぐ、ぬぉ……お゛おッッ!!」
血飛沫が舞う。膨らんだ皮膚は裂け、中から光り輝く緑色の石が姿を現した。
外の空間で、僕も何度か目にしたその石。魔術師が魔術を込め固めることで作り出される、騎士であれば誰もが憧れる力。────魔石だ。
そうだ。強烈な戦闘イメージで完全に頭から抜け落ちていたが、本来であれば騎士というものは剣術に加え、自分に合った魔石を貰い作られた魔剣によって戦うもの。コイツはまだ、己の武力のみで戦っていたにすぎない。
まだ、本気ではなかったのだ。
「魔石、か。魔女相手に魔術を使おうとは、いい度胸だな」
「ふふ、勿論ただの魔術では、お前には敵うまいよ。だが、この魔石に込めれた魔術はそういう類のものではない。効力は身体強化! 全身の血と筋肉量を操り身体機能の上限を底上げする力、″強化投影術″!! これを持ってお前の身体を、全力で破壊する!!」
ヴェルドの強み。それはその高い身体能力と反射能力、加えて練り上げられた技術力から繰り出される技、寸勁。まさにあの手の甲に埋め込まれた魔石の術は、それらを合理的に強化する術であった。
炎や氷、風などといった魔術代表格からは外れた、人によっては最早完全に無駄になってしまうかもしれない魔術だ。だけどそれ故に、ヴェルドのような肉体派の戦闘スタイルの者であれば最も適合し戦闘力を強化する。
(師匠……)
アンジェさんは、さっきまで魔術抜きの奴に押されていた。純粋に考えれば、強化投影術の出現はさらに状況を悪化させ、逆転の芽を摘んでしまうとも思える。
でも、僕はそうは思わない。僕の師匠は、そんな常識の枠に収まる人ではないはずだ。
「……はぁ。そうかそうか。私はもう、お前にそこまで希望を与える戦いをしてしまっていたのだな。そんなちんけな魔術を使った程度で、本気で私を殺せると……そんな妄言を吐くほどに」
「何を、ふざけたことを────ッッ!!」
アンジェさんの言葉を遮り、戦闘の火の手が再び上がる。魔術により強化されたヴェルドの動きは最早僕の目に追えるものではなく、瞬きをしたその瞬間に師匠との数十メートルの距離は姿を消す。
「死ね、災厄の魔女!!!」
「弱素空間魔術────領域不可侵」
広い地下空間に、静寂が響く。
アンジェさんの胴を目掛けて放たれた拳は、身体を貫くことはなく。魔術にぶつかり、音を立てることもなかった。
その場で起きたのは、静止。ヴェルドの加速した肉体が宙で静止し、拳は師匠の眼前で何にぶつかることもなく止まった。
「な、に……?」
一秒にも満たない空間静止を経て、ヴェルドは地に降り立つ。そして同時に踏み込み、三撃。
拳、肘、踵。身体を捻り瞬間的に放たれたそれらは再び、宙での静止を繰り返す。まるで、見えない壁に阻まれているかのように。
「私はな、十五でここに封印された。それから約八百年、一人で力を高め続けた。だがな……それを人に向けたことが、なかったのだよ」
ブシッッ────。
白き天輪が、音も無くヴェルドの左腕を肩から切断する。そして奴自身がそれに気づいた時にはもう、全てが遅かった。
「すまなかったな。戦いというものを少々、楽しみすぎた。お前のようなゴミ虫を驕らせてしまうなど、強者失格だった」
「っ、ア゛あ゛ッッ!? ぐ、ァァァァァ!?!?」
ぼとり、とただの動かぬ肉塊と化した腕が草原の緑を赤に染め、ヴェルドは絶叫しながらもなんとか距離を取る。
だが、血を止める術はない。肩から落とされた傷口はあまりにも深く、大きすぎた。そのうえ奴には出血を止める道具も時間も、残されてはいない。
「ふふっ、ビックリしただろう? まるで空気が、身体が。全てが私を傷つける命令に逆らいお前に牙を剥いたかのような感覚だったはずだ」
「な、にをした……ッ!」
「魔術だよ。私が独自で編み出した、空間魔術だ。私の体外半径一センチまでを一つの空間と認識し、外との境界線を引いた。お前の技はもう、私に届くことは無い」
ヴェルドの顔が、徐々に絶望に染まっていく。その眼光は必死に何かを探すように師匠の身体を見つめるが、お望みのものは見つからないようだ。
「ああ、すまない説明不足だったなぁ。魔術核を探しているのだろう? だが安心してくれ。核は私の空間内に存在しているから、例え見つけられてもお前の拳が届くことはないぞ。まあもっとも、いくつもの魔術を掛け合わせてブラフを大量に作ってあるからな。見つけることすら叶わないとは思うが」
「ッ……! ふざ、けるなよッッ!! そんな魔術が、あるわけが……ッ」
「あるんだよ。私のみが習得しえる、最強の魔術だ」
障壁魔術こそが師匠の最強の防御魔術だと言葉にしていたのは、どうやら嘘だったらしい。そういえば初めて空間魔術の説明をされた時、不可侵を強制する効果があるとは言っていた気がするけれど……目の前でハッキリと使っているのは、これが初めてだ。
全ての攻撃を寄せ付けず、そのうえ魔術核の破壊も困難。まさに最強だ。空間魔術が凄い魔術であることは分かっていたとはいえ、戦闘においてここまで秀でた効力を発揮するとは思っていなかった。
これこそが最強の魔女。僕の、自慢の師匠の本当の力。
「さて、最終局だな。片腕を失った今、そのまま出血を繰り返せばじきにお前は死ぬだろう。だが……特別だ。お前がここに来て私に戦いを挑んでくれたおかげで、私の愛弟子はトラウマを乗り越えることができた。今ならせめて、苦しまぬよう首を刎ねてやろう」
気づけば、あっという間に立場は逆転していた。というより、元から奴がアンジェさんに勝ることなど無かったのだろう。
初めから空間魔術を使わなかった理由は分からないが、どちらにせよ使った今、もうその勝利は揺らがない。強化投影術とやらも、師匠の前では何の意味もなさないのだから。
「まだ、だ。必ず何かある……何か……ッ」
「ふふ、そう思うならそれでもいいぞ。私がすることは変わらない」
手先の天輪が、再び大きく。それでいて回転を始めた。腕を切り落とした時と同じように、次は完全に命を奪う気だ。
目の前で人が死ぬ。その事に抵抗はあるし、直接関わりがないとはいえあの人は僕の学園の教師だ。心の底から死んで欲しいなんて思うことはできない。
でも、それはアンジェさんを止める理由には足りなかった。僕の事を唯一認めてくれて、諭してくれた恩人。世界で今、一番大切な人をアイツは殺そうとしたのだ。この先同じような危険が降りかかる可能性が少しでもあるなら、ここで今……死んでもらうしかない。
「……ふふふふふは、ははははッッッッ!! そうだな。私は今日、ここで死ぬのだろうな。そして私にはもう、お前を殺すことはできない。流石だよ魔女。だが────」
「えっ……?」
「ッッ!? ユウナッッ!!」
爆発的に、空気が揺れる。それと同時に数十メートル先でもがき苦しんでいた男が、僕の目の前に現れた。
完全に、油断していた。いや、弛んでいた。あの拳がもう僕に向くことはないと、信じきってしまっていたのだ。
眼前に、死が迫る。一太刀を入れたあの時とは、何もかもが違う状況。僕の身体は、ピクりとも反応できない。
「お前は道連れだ!! アルデバランッッッッ!!!」
恐怖が身体を巡り、手で顔を覆った。そんなもので防げる攻撃ではないと分かっていたのに、身体が反射的に守りの体制をとっていたのだ。
だが、当然拳は止まらない。やがてそれは僕の腕を貫通し、脳髄を破壊────するはずだった。
「やれやれ。馬鹿が」
僕の隣から突如現れた、″もう一人の″アンジェさんの手のひらが、拳をいとも簡単に止めてしまうまでは。
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