第三章

第18話 重ねた手

 町のあちらこちらでクリスマスソングが流れている。商店街の店先にはクリスマスツリーが並び、三月はそれを見つけては心を弾ませながら歩いた。


 いや、うきうきしているのは、クリスマスが近いというだけではない。

 これから商店街の先にある公園で、優太と待ち合わせなのだ。



 明美のことで元気づけてもらってから、三月は時々優太と出かけるようになっていた。

 初めは慰めてもらったお礼という名目で。そこから誘ったり誘われたりが始まり、自然と一緒にいる時間は長くなっていった。


 お互いに好きな音楽や本を勧め合ったり、喫茶店でお茶をしたり。優太といる時間は心地よく、あっという間に過ぎていった。

 今日は珍しく優太から誘いがあり、クリスマスケーキの予約につき合う予定である。

 こうしたちょっとした誘いでも、三月の気分はふわふわと高揚した。


 お気に入りのベージュのコートと黒いブーツを身につけ、マフラーについたリボンを揺らしながら商店街を抜ける。

 目的の公園が見えてきた。滑り台とブランコ、あとベンチが一つあるだけの小さな公園。

 その一つしかないベンチに、優太が腰かけている。


「神崎先輩、すみません待たせてしまって……」

 声をかけながら彼の正面に回り込むと、彼はまたもや穏やかな寝息を立てていた。

 左の方へ首を傾け、両耳にはイヤホンをつけたまま居眠りをしている。

 音楽を聞きながら自分を待っている内に、待ちくたびれてしまったのだろう。

 三月は優太を起こぬよう、そっと隣に腰掛けた。


 ただこうして隣に座る。それだけでなんだか温かい気分になって、心が満たされる。

 なんだかおかしくて、三月は肩を竦めて笑った。

 今日は十二月にしては暖かい方だし、もう少し寝かせてあげよう。

 そう思いながら、三月はいつもより澄んで見える水色の空を見上げた。





 すぐ傍で誰かの泣き声がする。

 三月は驚いて両目を開けた。


 いつの間にか手を伸ばせば届きそうなほど近くに、五歳ほどの小さな女の子が座り込んでいた。その子が一人でわんわんと大声を出して泣いている。

 大きな瞳から大粒の涙が零れて、可愛らしい顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。

 慌てて駆け寄ろうとした瞬間、三月の耳に女の子の言葉が届く。


「ちびぃ……いなくなっちゃ、いやだぁ!」

 チビ、という明らかに人間でないその名で思い出したのは、ミーコのことだった。

 突然の事故で失ってしまった大切な友人。思い出すとまだ胸が痛む。


「大丈夫、チビはいなくならないよ」

 三月は驚く。自分の口が勝手に動き、自分のものではない声を発したのだ。

 勝手に右手が動いて、女の子に手を差し伸べる。

 そして、再び驚いた。


 視界に映った自分の手は、男性の腕だのである。

 これは一体、どういうことなのか。


 混乱している間も、三月ではない三月は穏やかな口調で女の子に語りかけている。今の状態を表すなら、誰かの体に乗り移っている、という表現が一番近いかもしれない。


「チビはね、マキちゃんがチビのことを忘れない限り、チビはずっとマキちゃんの傍にいてくれるんだ。いなくなったわけじゃないんだよ」


 三月はぼんやりとした頭で、この声をどこかで聞いたことがあると思った。

 女の子が顔を上げ、涙をいっぱい溜めた瞳で自分を見上げてくる。


「ほんとに? ほんとに、チビはマキを守ってくれる?」

「本当だよ。それに、マキちゃんが泣いてたら、お父さんもお母さんも悲しむよ。お父さんとお母さんが悲しむの、嫌だろ?」

 女の子は小さく頷いた。自分は満足げに笑う。


「そうだよね。だから――元気出して」

 両手で小さな手を包み込むようにして握った。

 子ども特有の温かい体温が伝わってくるのと同時に、ある感情がじんわりと水のように沁み込んでくる。


 大切な友達と一緒に遊べなくて、いなくなってしまって悲しいという気持ち。

 少し前に三月自身が感じていたのと同じ、悲しみの感情だ。


 ふとその時、馴染みのあるメロディが周囲に鳴り響いているのに気づく。

 のびやかな女性の声を包み込むように、ピアノとフルートの澄んだ音が鳴る。

 その曲は、優太が勧めてくれたマツノミクの曲だった。



 はっと気づくと、三月は公園のベンチに腰かけていた。隣には優太が眠っている。

 どうやら、自分もうたた寝をしてしまったようだ。三月は大きく息をつく。

 同時に一滴、冷たい滴が膝の上に落ちた。


 空は明るいままなので、雨ではない。もう二、三粒滴が落ちてきたところで、三月はようやく、自分が泣いていることに気づいた。

 手を頬に当てる。涙は静かに、しかし止めどなく溢れてくる。

 何故自分は泣いているのだろう。

 呆然としていると、優太が両目をゆっくりと開けて目を覚ました。


「あれ? うわ、僕また寝ちゃって――って、中山さん!? 一体どうしたの?」

 彼は三月が泣いていることに驚いて、勢いよく立ち上がる。

 寝起きで頭が回らないのだろう。

 何度か失敗しながらイヤホンを耳から外し、三月に心配そうな視線を送る。


「何があったの? もしかして、僕が寝てる間に何か……」

 眠っている間。そうだ、確か夢を見たはずだ。

 自覚すると、三月は夢の内容をはっきりと思い出すことができた。


 大切な友達を失った女の子、自分のものではない優しげな声と温かく触れて女の子を慰める手のひら。

 そして、音楽。


 そうか。だから自分は今、「悲しい」と感じているのだろう。ミーコのことを思い出してしまって。


「すみません、その……もう少し、落ち着くまで」

 胸にぽっかりと穴が空いたような寂しさ。あの夢の女の子もこんな気持ちだったはずだ。

 三月は手の甲で流れてくる涙を拭う。


 何も言わずに優太は、そっとベンチに腰を下ろす。そして、三月の手の上に優しく手を重ねてきた。

 手袋ごしなのに、温かさが伝わってくる。

 冬の風にさらされていたはずの優太の手は、優しい温もりを持っていた。


 ああ、同じだ。三月は優太のその手と、夢の中で慰めてくれた誰かの手を重ね合わせていた。


「神崎先輩……」

 三月は優太に小さく声をかける。彼は心配そうに眉を顰めて、三月の顔をのぞき込んでいた。

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