第1話⑤

賢太郎に渡された映画のチケットを絢音に渡すと、彼女は思いの外喜び、二つ返事で一緒に行くことを了承した。


時刻は夜の帳も落ちた、金曜日の夜。


映画館の前で待ち合わせ。


側から見れば、立派な花金デートではないか。


行き交うカップル達に紛れてしまえば、自然と手ぐらい握れるのではないかと思案していると、桜色のワンピース姿の絢音が現れる。


「ごめんなさい!バス乗り遅れちゃって!」


僅かに頬を紅潮させ、息を切らせて自分に駆け寄る彼女が可愛らしくて、自然と口角が柔らかくなる自分がいる。


「かまへんよ。時間余裕あるし。ほな、行こか?」


言って、ごく自然に手を差し出してみたら、絢音は少し躊躇いながらも、ゆっくりと藤次の手を取り、2人は肩を並べて歩く。


「映画終わったら、どっかで飲まへん?鴨川沿いに良いバーがあるんやけど…」


沈黙が苦しくてそう切り出すと、絢音はすまなさそうに眉を下げる。


「ごめんなさい。私、薬の影響で、お酒は…」


「ああ!せやったな。すまんすまん!ほんなら、えっと……」


折角会ったのだ。出来るだけ長く一緒に居たい。


そう思い、あれこれ思案していると、その仕草が面白いのか、絢音が小さく笑う。


「一杯くらいなら、いいかな?」


「ほんまか?!よっしゃ!決まりやな!」


嬉しそうに笑う藤次につられて、絢音もまた笑う。


そうしていると、緊張も解れてきたのか、2人で映画のパンフレットやフードを買ったり、展開を予想し合ったりと、すっかり映画が始まる頃には、周りのカップルと同じ雰囲気で過ごしていた。


−ムードを演出するのも、たまには良いんじゃないか?−



たまには人の意見も聞いてみるものだと、藤次は心の中で賢太郎に謝辞を述べる。


横目で隣にいる絢音を盗み見れば、すっかり映画の世界に入り込んでおり、楽しそうに目を輝かせている。


邪魔はしたくないと思いつつも、欲求には抗えず、肘掛けに置かれた彼女の手をそっと握ると、絢音は僅かに驚き、視線を藤次に向けたが、彼が静かにと人差し指を口元に当てて見せたので、絢音は何も言わずに、映画に視線を戻す。


手のひらから感じる、少し熱いくらいの藤次の体温。


静かに、確かに、胸がドキドキと高鳴っていく。


それが、この状況に対してなのか、それとも映画の展開を気にしてなのか…


分からないけど、切なくて……絢音もそっと、藤次の横顔を盗み見た。



「映画、結構面白かったなぁ〜」


河原町通りを南に下りながら、当たり前のように手を握りしめて歩く2人。


寄り添い、重なり合うカップル達を見やりながら、次は肩に手を回そうかと言う欲望を抑えながら、気を紛らわせるように藤次が言うと、上映後の興奮が冷めやらぬ表情で、絢音はうっとりとため息混じりに口を開く。


「私も、面白かった。ああいう恋愛、私もしてみたいなぁ〜」


その言葉に、藤次の胸はドキリと鳴る。


今なら、言っても良いのでは?


むしろ、彼女は待っててくれてるのでは?


そう思いはじめたら、もう止まらなかった。


「笠原さん!ワシ…いや、オレと」


「あー!!藤次クンだー!!」


「!!」


瞬間、藤次の声を遮るように響いた嬌声。


何事かと振り返ると、そこには馴染みの飲み屋のホステス真理子が居た。


「まっ、まりっ…おまっ!なんで!」


「お客さんとぉ、近くで飲んでたの〜って言うかさぁ、最近なんで来てくれないのさぁ〜」


「いや、それはその…ちゅうかお前、離せや。」


しなだれかかって、狼狽する藤次の巧みに掴む真理子と、呆然とする絢音の視線がかち合う。


「あれぇ?だれそれ、カノジョォ?可愛いじゃん!!」


「いや、まだその…」


照れ臭そうに口ごもる藤次。しかし、絢音は思わず、握っていた彼の手を振り解く。


「か、笠原…」


「違います!」


「!」


短くそう言って、絢音は作り笑いを浮かべる。


「棗さんとは、そんなんじゃないです。ただのお友達です。だから私、これで失礼します。」


早口でそう言うと、踵を返して、人混みの中に消える絢音。


「笠原さん!ちょ、待って!!」


慌てて、藤次は乱暴に真理子を振り払うと、その背中を追う。


…今、自分は何を言おうとした。


彼女の笑顔さえ見れれば満足だと、心に決めたばかりではないか。


それ以上を望めば、待っているのは苦しみしかないのだぞ。


でも、この、胸を焦がす熱い想いに、もう…嘘はつけない。


目を、そらせない。


追いかける脚も、止められない。


その一心で、人混みのごった返す夜の河原町を、小さな背中を求めて、ただひたすら、走った。



夜の河原町通りは、眩しくて儚くて…


行き交う人々の群れをかき分けながら進む絢音の目には、僅かに涙が滲む。


あの時、真理子が遮らなかったら、藤次はなんと自分に言ったのだろうか。


それはきっと、いま自分の心の中にある気持ちと、同じもので…自分はいつの間にか、こんなにも…


「笠原さんっ!!!」


「!」


強く手を握られ、絢音は瞬く。


振り返ると、そこには真剣な顔をした藤次。


少し熱を帯びたその眼差しに、身体の芯がジンと熱くなり、堪らなく恥ずかしくて、逃げ出したい衝動に駆られる。


「話、ちゃんと聞いて…」


少し低い、痺れるような優しい声。


このままその胸に飛び込めば、受け止めてもらえる。


けど…脳裏にチラつく、真理子の姿。


自分以外にも、親しくしている女がいる。


そう思うと、憎らしくて、素直に飛び込めない。


そしてなにより、一番この気持ちへの足枷になっているのは……


「話す事なんて、なにもないです!今日は楽しかったです!さよなら!」


瞬間、目の前がブワッと暗くなり、暖かい温もりが全身を包む。


「好きや…」


耳元で低く囁かれたのは、今一番欲しかった言葉。


手を伸ばせば、その背中に腕を回せば、この人に愛されて、幸せになれる。


けど、


脳裏に過った…あの日の出来事…


違う。この手は違う。


分かっているけど……怖い!!


トンと、絢音は勢いよく藤次の胸を叩き、距離を取る。


「絢音!?」


「もう、連絡しないで下さい…」


「な、なんで…ワシ、君とずっと…」


「迷惑です。」


「!」


顔を歪める藤次。


本当は、こんな顔させたくない。


けど、自分といると、この人をもっと傷つけてしまう。


そう思い、精一杯の気持ちで別れを告げると、絢音は人混みの中へと消えていった。




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