第二十七話 生存者たちの寄合

 アワブチは、剣先に永一の血がべったりとついた剣を即座に鞘へと納める。

 冒険者ギルドとは世を魔物の脅威から守るための組織だ。そのためにホシミダイに本拠地を置き、魔物を生む元凶たる螺旋迷宮の攻略を徐々に進めつつ、魔物の泛溢ポップに対処すべく各地に冒険者を送り出す。

——しかし、今やそれらは建前に過ぎない。冒険者ギルドは螺旋迷宮の攻略を事実上停止し、各地の魔物討伐の報酬を日夜せっせと集め、蓄え、欲望のままに肥え太ろうとしている。


 けれどやはり、建前にも一定の筋が通っていなければならないのもまた事実だった。

 世の人々とて、冒険者ギルドが今や迷宮に対し精力的でないことなど察している。だが、ギルドが後手ではあるものの各地の魔物を退治し、人々を助けていることは確かなのだ。その魔物自体、ギルドが攻略を放棄する迷宮から出でたものであっても。

 そんな中、39階層を攻略し注目を浴びていた永一のことを、白昼堂々と剣で斬り捨ててしまえば——

 いかな冒険者ギルドも、非難は免れまい。多数の目撃者が証言するだろう。冒険者ギルドの団長は、ギルドに代わって迷宮を攻略する英雄を、ギルドの私腹を肥やすべく抹殺したと。


「ことを起こせば……王宮はこれ幸いとギルドの戦力を削ごうとする、か。考えたものだなパードラ」

「このような特殊な町に武力が集中することを、国がよく思うはずもないじゃろうからな。糾弾は避けられまい」


 アワブチは一度目を閉じ、深く息を吐いた。熱くなった思考をリセットし、冷静さを取り戻すように。


「いいさ、出しゃばりの女神に免じてここは退いてやる。だが……忘れるなよ坂水エーイチ。セレイネスの生き残り。迷宮を殺そうとする限り、俺と冒険者ギルドは君たちを狙っているぞ」

「金のために、か?」

「居場所のためにだ」

「だとしてもオレは、お前を許さない。魔物の泛溢ポップを看過し、他者に害を及ばせてまで守る居場所に価値なんてあってたまるか」


 永一のそばで、魔物によって居場所を奪われた姉妹が、志を同じくしてアワブチを見据える。螺旋迷宮がある限り、シンジュやコハクのような被害者はこの世のどこかで生まれ続けるだろう。


「きれいごとを。幸福とはいつも、他人のふところから奪うことでしか手に入らないものだ。遠からず教えてやるさ、君の無意味な願いを完膚なきまでに叩き壊してな」


 上衣コートの裾を翻し、アワブチは雑踏の方へと消えていく。

 このラセンカイにある螺旋迷宮が限界を超えて成長することで、永一やアワブチのいた地球へと魔物たちが送られる。世界を浸食するようなその現象を、地球では怪獣災害と呼んだ。

 だがパードラの話では、現状の螺旋迷宮が限界点へ至るまで、まだ十年か二十年程度の猶予があるとのことだった。

 つまり、永一が体験したあの赤色の地獄は、この瞬間から見れば、別世界でありながらも未来の出来事だ。


「無意味だなんてこと、あるはずない」

「エーイチ様……」


 既に去った背へ向け、届かない呟きを発する。

 螺旋迷宮が限界点に達するのがまだ先ならばそれまでに、シンジュとコハクの目的でもある螺旋迷宮の核の破壊を果たすことができれば、世界を越えた浸食は止まる。

 地球に、怪獣災害は起こらなくなる。

 そうすれば、数多の命が救われるだろう。永一が転生する前からも、後からも。

 永一の家族も。大切な幼馴染の家族も。友人も。あの地獄で亡くなった誰も彼もが、救われるはずなのだ。

 この世界にいる永一に、それを知ることは叶わないのかもしれないが。たとえそうでも——

 無意味であるはずがない。なぜなら、そうすればきっと、恩を返すことができるから。


「流石にこの生首を放置しておくわけにはいかぬな……念のため袋を用意しておいてよかったのじゃ。……うう、断面がめちゃグロいのじゃ。目を合わせないように、えいっ」


 未来を改変する。元の世界へ帰れずとも。

 そう決意を新たにする永一からやや離れて、パードラは持参した麻袋に永一の青白い頭部を恐々とした手つきで詰め込んでいた。


「あっ、パードラ。回収してくれるのか。いやー悪いな、オレのヘッドなのに」

「そんな軽いノリで言われてものう……これさっきまでおぬしの意識があったんじゃぞ? もそっとこう、なにかないのか。感傷というか」

「よかったら家で飾っといてくれ」

「飾るわけないじゃろうが……!? 間違いなく神経を疑われるわ! そして既に吾輩はおぬしの神経を疑っとるわ!」

「神様だし、供物的な」

「そういう人身御供を求めるタイプの神ではないっ。生首なんかお供えされても気分が悪いだけじゃ!」


 もちろん永一も冗談で言っているだけだ。実際あのエーイチヘッドをどうやって処理するのかは、若干の興味もありはしたが。


「ふーん……じゃあ、なんだったら嬉しいんだ? お供えもの」

「金じゃな。アルバイトを減らすことができる」

「即物的だなおい。てかバイトしてんのかよ女神」

「中々雇ってもらえるところが少なくてのう……」


 そりゃそうだ、と永一は思った。見た目幼女の中身970歳で女神なんて雇いづらくて仕方がない。

 しかし神と言っても、あの路地で言った通り、大した力があるわけでもないのだ。人と同じように考え、人と同じようにパンを食べ、人と同じように夜はベッドで眠って生きている。

 神と言えど、働かざる者食うべからずのルールからは逃れられないのだった。


「ま、とにかく。今回は助かった……パードラが助けに来てくれなければ、危ない場面だった」

「ワタシからもお礼を。ありがとうございます、女神パードラ様。拝謁することができて光栄に存じます」

「感謝を……申し上げます」

「よいよい。ふたりは、西のセレイネスじゃな。大泛溢マッドポップのことは残念じゃった……あのような悲劇を起こさせぬためにも、螺旋迷宮の成長はここで止めねばならん」


 幼い見目とは裏腹な、神妙そのもののパードラの言に姉妹は深く頷く。


「エーイチ、身勝手にもおぬしを転生させた吾輩じゃが、おぬしが迷宮を殺すことに前向きでとても嬉しく思うぞ」

「ああ。感謝こそすれ、パードラに恨みはない。おかげで、家族を……あの災害で死んだみんなを助けられるかもしれないんだ」


 決意は願望であり、ただひとり生き延びた生存者サバイバーとしての、課せられた義務でもあった。


「じゃが……あの男は——アワブチは、おぬしらをつけ狙うじゃろう。ギルドを脅かす者として」

「だろうな。あの様子じゃ、迷宮ばかりに集中するのも難しそうだ」

「覚悟はできていますっ」

「次は……遅れを……取らない」

「これも吾輩が招いた罪。吾輩は三人に全面的に協力をするが、しかし冒険者ギルドの団員の大部分はホシミダイの外に出ているとはいえ、呼び戻せば合計で百人は超えておるだろう。このままでは多勢に無勢じゃ」

「ひゃく……冒険者ギルドとは、それほどまでに大規模なものだったのですね。旅をする中で冒険者の方は時折目にしましたが、知りませんでした」


 永一も、そこまでの大所帯だとは聞いていなかった。

 百人の中で転生特典ギフトを持つタカイジンは数人だろうが、それでもこの世界の住人には魔術という武器がある。これだけの人数の差を覆すのは、どうにも現実性を欠いた。


「なにか考えがあるのか、パードラ」

「うむ。向こうが大勢ならば、こちらも数をそろえるほかあるまいよ。幸い……とは口が裂けても言えんが、同じ志を持つものは今や少なくないはずじゃ。表立っては言えずとも潜在的に、の」

「同じ志…………つまり……螺旋迷宮を……なくして、魔物がいない……世界にする?」

「うむ、その通りじゃコハク。今や冒険者ギルドは螺旋迷宮を攻略する気概を失っておる。ならばこそ——真のギルドを立ち上げる必要があると考えておった」


 それは腐敗した冒険者ギルドに代わる、新たなる組織。

 止まぬ泛溢ポップに家族を殺され、愛する者を奪われ、故郷を失い——

 そんな生存者サバイバーたちの寄る辺。魔物の根絶というしるべを共有する集い。


「螺旋迷宮踏破協会。神がバックにおるのだから、教会と音を重ねているのが洒落とるじゃろう?」


 ともに来てくれぬか、と。パードラの小さな手が、仲間を求めるように差し出される。気丈に見え、冗談まで言いつつも、内心の緊張が声のわずかな硬さに現れていた。

 反射的に、永一は先日のことを思い出す。転生直後の平野で、永一は逆に手を差し伸べたのだ。今もそばにいる、この姉妹に。

 今度は反対の立場。どうするべきか、考えるまでもなかった。


「——」


 黄金色と琥珀色。姉妹の瞳が永一を見つめる。

 あの時の彼女らに倣い、永一はその手を迷いなく取った。


「女神さまがついてるってんなら、これ以上ない御旗みはただな」

「来て……くれるか? 吾輩と」

「ああ。ふたりも、そのつもりみたいだしな」

「ワタシはエーイチ様の判断に従うまで。ですが、パードラ様の冒険者ギルドに対抗する組織を作るというのには賛成です」

「大変そう、だけど……これだけ規模に差があると……仲間はほしい」

「だそうだ。オレたちの目的は同じ、迷宮の踏破。なら手を組むのは合理的だ、断る理由もない」

「おぬしら——」


 マリンブルーの双眸に、透明な雫が浮かぶ。

 版図拡大も底が見え始め、螺旋迷宮を殺して世界の成長を止めることに決めて五十年。そのために罪だとは思いつつも、地球の日本から人間を転生させ、しかしことはうまく運んでこなかった。

 転生者は基本、命を懸けた迷宮攻略を進んでしようとはしなかったし、ついには反対に迷宮を保とうとする転生者まで現れた。

 そんな女神パードラの、世界の浸食を止めるための長く孤独な戦いに、ようやく得難い同志ができたのだ。

 沈みゆく夕陽が、少女の目じりに溜まる涙を橙色に染めていた。

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