竜の巣

 逃げる獲物をようやく仕留めて、忍は実に晴れ晴れとした表情で額の汗を拭おうとした。が、あまりの冷気で掻いた汗がそのまま凍結しており、顔に刺さって地味に痛い。


「くっそ、マジで寒ぃ! さっさと脱出しねえと、冗談抜きで凍死しちまうぜ」

「……う、う〜ん……」

「ん? まだ生きてるのか、あいつ」


 後頭部に足の裏がくっつきそうなすごい姿勢で固まったアンゼリカに駆け寄っていくと、生きてるどころか気絶すらしていない。忍に気付いて小さな悲鳴を上げた。

 驚くべき頑強さである。


「もう逃げねえのか?」

「……こ、腰が抜けて……ひっぐ、ひぐ……っ」

「泣くな、泣くな。さっきまでの威勢はどこいった?」

「ど……ドラゴンの姿でいられれば気が大きくなるけど……も、もう魔力もほとんど尽きちゃったから……えっぐ」


 さめざめ泣いているアンゼリカの姿があまりにも不憫に思えてきた忍は、道着の上衣を被せてやった。自分も寒い……むしろ忍の方がより凍えそうではあるが、恰好つけたい年頃の少年は食いしばって堪えた。


「……あ、ありがと、う?」


 忍を見上げたアンゼリカは、どうリアクションしたものか迷った挙げ句、素直に礼を述べた。そもそも全裸で逃げる原因がこいつなので妙な話だが。

 忍も半端に弛緩した空気には耐えきれず、気にするなと雑に手を振り返した。


「あ〜……ロベール? それともアンゼリカだっけ?」

「アンゼリカが本名……ロベールってのは、この取り憑いてるボディの名前だし。ボクは魔竜族のアンゼリカ・ゼタバーンズ。多分、一族最期の生き残り、じゃないかな?」


 少し平静を取り戻したらしく、辿々しくだがアンゼリカは忍に答えた。


「そこんとこはよく分からんから別にいい。ディランが言ってた、一緒に来た冒険者とか、調査隊員をお前が全滅させたってのも本当か?」

「え? うん。ロベールってね、最初に入って来た調査隊の一員だったんだ。案内役として上手くみんなを誘導してから一網打尽に……あれ、信じてなかったの? ディラン君、やっぱ信用ないんだな〜」


 まるで「早朝に燃えるゴミを出しておいた」ぐらいに軽く、アンゼリカは自分の所業を認めた。あっさりしたものだが、例えば人間が野生の熊の巣に侵入したらどうなるかを考えれば、彼女の淡白な物言いも理解は出来る。

 と同時に、アンゼリカにとっての人間が、人間から見て家に入り込んだ害虫程度の認識なのも十分に伝わった。


「じゃーお前を殺れば任務完了だな」


 だったら忍も遠慮なく彼女を葬れる。走っている間に痺れも完全に抜けたので、今ならチョップ一発でスパッと首を刎ねられそうだ。


「ギャァァァッ!! 待って! 助けて!! 見逃してぇ!! あんどわなだーい!!」

「駄目だね。今回は仕事だし」

「助けてくれるなら、蓄えてた財宝全部譲るからーーーっ!!」

「分かった。いいぜ、財宝はどこだ?」

「掌を返すの早くない!?」


 忍は瞬時に殺気を納め、アンゼリカを立たせようと手まで差し出した。害虫なら駆除するしかないが、交渉の余地があるならその限りではない。ましてや自分に利益を及ぼすかもしれない相手なら尚更だ。

 忍にだって人並みの物欲はあるのである。


「ボクが言うのも何だけどさ〜……いや、冒険者なんて多かれ少なかれそんなもんか。よいしょっと」


 アンゼリカも呆れ半分ながら、ホッと胸を撫で下ろした。忍の手を取って立ち上がった。華奢で小柄な体格なのに、外見に反してかなり重い。


「あ。上着は返すね。ボクならこの程度の冷気、へっちゃらだし」

「目のやり場に困る。着ててくれ」

「ほ〜ん……チラッ」

「止めなさい」


 命の危機が去ったからか、余裕を取り戻したアンゼリカは上衣の裾をたくし上げようとする。先程までの狩る者と狩られる者との緊張感も失せていた。


「くふふふふ、赤くなった♪ そんな体でも、女の子の扱いには不慣れみたいだね〜♡ ところで、もう一人の扱いに慣れてそうな色男君の方は?」

「あ、ディランのこと忘れてた。……ま、あいつなら自力でどうにかするだろ。オレよりずっとキャリア長いそうだし」

「お節介、見捨てられる、か〜。でも死んどいてもらった方が都合いいし、別にいっか」


 忍は足取りの軽くなったアンゼリカに続いて、氷の洞窟のさらなる奥へと潜っていった。

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