第3話 姫君
姫君
「申し訳ないけど降りてもらっていい? もう来てるから」
天崎の言葉に紅音は無言のまま降りる。誰が来ているのか。考えなくても分かる。姫君だ。
本当のことじゃない。
そう思うと同時に、どこかでこれが本当のことだと理解している自分がいた。月に照らされる洋館は、不気味でありながら、見るものを惹きつける魅力を持っている。紅音は魅了されたように洋館の扉の前に立つ。
紅音が天崎と警察官と共に扉の前に行くと、先にそこにいた峰川は扉をノックし、扉の向こうに対し、声をかける。
「贄人管理会課長、峰川光基です。江月紅音を連れてきました」
贄人管理会。その言葉に疑問を覚える。どこに対してだろう。そう思い、気づく。政府の人と言っていたのに、管理会。会だ。庄や庁じゃない。もしかしたら私が知らないだけで会というものもあるのかもしれないけど……。紅音がそう考えていると、音を立てて扉が開く。紅音の目に最初に入ってきたのは、とてもきれいな赤色の目。そして艶やかな黒髪。
「待っていたわ。私の可愛い贄人さん。」
そう言って彼女は笑う。
「私の名前は
ほほ笑みながら自己紹介をする少女に、紅音は目を奪われた。テレビでも見たことない美しさだ。「こっちに来て」
そう声をかけられて、紅音は魔法でもかけられたかのように、ぼんやりしながら少女の前まで行く。席に座っている少女は紅音を引き寄せ、首筋に牙をたてる。一瞬痛みがきたあと、軽い快感が襲ってきた。
「!」
咄嗟に少女から身を引く。少女はかすかに目を見開いたあと微笑む。
「怖がらなくても大丈夫よ? 牙を突き立てる瞬間はチクッとするみたいだけど、そのあとは気持ちよかったでしょう?」
「っ……そういう問題じゃないでしょ? 何を急に」
「だって」
少女は不思議そうにする。
「貴女は私のものでしょう? だったら血を吸ったって何の問題もないじゃない?」
身体が冷える感覚がした。恐怖が襲ってくると同時に、恐怖の大きさに逆に冷静になる。少女――月夜と名乗る彼女は、私がこれに納得していると思っているのだろうか?そんなことない。きっと分かってる。
紅音は不自然にならない程度に辺りを見る。大きな玄関ホールの中、目と鼻の先の距離には桜ノ宮月夜、少し離れた左右それぞれに人外生物、だろうか?何人かいる。後ろには峰川、さんと天崎さん、警察官がいるはずだ。
「峰川さん」
後ろを振り向き、いるのを確認してから声をかけたる。
「何だ?」
紅音は峰川に近づきながら先程気になったことを聞く。
「さっき贄人管理会って言っていましたよね? 政府に贄人管理会なんてあるんですか?」
峰川は紅音を警戒するそぶりを見せつつ、紅音の質問に答える。
「贄人、なんてもんが知られたら政府の信用はガタ落ちだ。絶対にバレるわけにはいかないから、表だっての設置はされてないんだよ。最後が「会」ってなってんのも、最悪の場合にトカゲの尻尾切りがしやすいようにしてんだ。関わってはいても政府内部の組織ではないってな。」
「でも本当は上には政府がいるんですね?」
「贄人管理会内には官僚とかはいないけどな。で、なんでそんなことを聞く?」
「いえ、別に。ちょっと気になっただけです」
ちょっと気になったのと、扉に近づくためと。開いている扉の外を見て、紅音は言う。
「きれいですね。ここから見る空。外に出ても良いですか? もっとちゃんとみたいので」
紅音の言葉に峰川は目で、桜ノ宮月夜に対し問いかける。
「構わないわよ。彼女がこちらの世界の星空を見ることができるのも、そう長くないもの」
「ありがとうございます」
紅音は月夜にお礼を言い、すぐに外に出る。少し向こうには乗ってきた車がある。彼女が言っていた、こちらやそう長くないという言葉。きっとここはまだ元の世界のままだ。車に乗っていた時の感覚からして、ここはある程度高い山の上だろう。それでも歩いて降りれないほどではないはず。ただ車に乗れるならその方が良い。鍵はどうなっている?
「やっぱりこの車かっこいい!」
そう言いながら車に近づき、後ろから見えないようにドアノブを引く。……鍵がかかっていた。当然といえば当然だろうけど。
「わざわざドアノブを引く意味は?」
紅音の顔がこわばる。後ろを振り向くと、峰川が洋館から一歩出たところで紅音を見ている。
「ドアノブ? 車に近寄った時に触っちゃったのかな……?」
誤魔化そうとするも、峰川は全て分かっている、とそう言いたそうな顔をする。
「車の中でも言ったけど、逃げらんないぞ」
「全てお見通しって感じの表情ですね」
諦めたかのように笑った後、紅音はすぐに走りだす。車の中で話されたことは、本当のことなのだろう。逃げずにいたら、きっと後で後悔する。
だけど、現実は当たり前のように甘くはない。
「その速度で本当に逃げられると思ったのか?」
紅音は当然のように捕まる。時間にして20秒、といったところか。扉と車はそうは離れてない。それだけ逃げられただけでもたいしたものだ。そう思いながら弱々しく笑う。
「思ってはないですよ、別に。逃げられない可能性の方が高いんだろうなって、そう思いながらも、それでも逃げたいから逃げたんです。」
峰川は紅音の腕をつかみながら黙っている。天崎の感情は読みやすい。けれど、峰川の感情は全くと言っていいほどに読み取れない。
「峰川さん。私以外にも贄人に選ばれた人いるんですよね? 説明してた時の言い方からして。峰川さんは、私で何人目なんですか? 贄人を吸血鬼に渡すの」
「……それを聞いてどうする?」
「どうもしませんよ。ただ、何を考えているのかなって。峰川さんも人間って思っていいんですよね? 同じ人間を渡すっていうことに、罪悪感は覚えないんですか?」
「覚えてたらこの仕事はやっていけねぇよ。天崎は現場は今回が初めてだから、今にも泣きそうにしてるけどな」
その言葉に扉付近を見てみると、天崎は確かに泣きそうになっている。警察官は無表情だ。そういえば警察官もいたっけ……。
「疲れた」
そう呟いて紅音は、服が汚れるのも気にせずに座り込む。怖い気持ちはずっとあるものの、あまりにも現実味がないからだろうか。怖い気持ちよりも疲れた気持ちの方が大きい。
峰川はそんな紅音を無理矢理立たせて、月夜の前に連れて行く。
「話は終わった?」
相変わらずニコニコ微笑んでいる月夜に対して、紅音はまたも恐怖を覚え、顔を歪める。
「終わりました」
峰川はそう言って紅音を離し、天崎と警察官のところへ向かう。
「帰るぞ」
警察官はすぐに車に向かうが、天崎は紅音の方を見る。本当に置いていっていいのか、と考えているように紅音には感じられた。先ほどまでの疲れが恐怖に塗り替えられていく。
助けて。そう思うも、なぜか口には出せない。プライド、だろうか?
扉が閉まる音がして、紅音はハッ!と、自然に俯いていた顔を上げる。扉のところには峰川も天崎も警察官も、もういなくなっている。紅音は咄嗟に扉に向かう。
「っ天崎さん!? 峰川さん!? 待って! お願いだから置いていかないで!」
扉を開けようと引いたり押したりしてみるも、どうやったって開く気配はない。足で蹴ってみても、体当たりしてみても結果は同じだ。
扉は内開き式のため当然のことではあるものの、紅音の頭の中には内開きも外開きも、そんなこと頭になかった。とにかくここから出たい、その一心で扉を開けようと奮闘するも、扉は動く気配すら見せない。
「身体がぼろぼろね」
何分もずっと扉を開けようとして、だけど開けられずにぐったりと座り込んだ紅音に、月夜は声をかける。
「気はすんだ?」
答える気力もない紅音はただただ黙っている。顔には涙のあと、目は充血していて、身体には数えきれないほどの傷がついている。
「そう悲観しないで。何で私が貴方のことを選んだと思う?貴方と一緒に居たいと思ったからよ。悪いようにはしないわ。貴方のことを全て知っていて、それでも貴方がいいと思ったの。私なら貴方のことを愛してあげられる。いいところも悪いところも、全て、ね」
月夜は紅音の顔を上げさせる。
「ただし、悪いようにしないというのは、逃げださなければ、の話ね。だから――」
彼女はにっこりと笑う。
「絶対に逃げ出さないでね?逃げ出したのなら私、貴方のこと殺さなければいけなくなっちゃう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます