第21話 若返りに効く薬毒3

バチッと火が爆ぜる音でハナは目を開いた。

 目の前の囲炉裏の炭は赤々と熾っている。

 頭をもたげて周囲を見るが、部屋の中は暗く、そしてハヤテの気配も無かった。

 ハナは頭元の湯飲みを取り、すっかり冷えた白湯を飲んだ。

「ハヤテ?」

 ハナはゆっくりと身体を起こした。

 今にも骨が折れてしまいそうに身体中が軋み痛い。

 布団の上に横座りになって、ハナは大きく息をついた。

「どこに行ったんだろう……」

 そろそろと床に両手をついて動き出す。

 壁までゆっくりと這っていき、柱を支えに膝を立てる。

 立つ、というだけの動作が今のハナには辛い。

 そしてハナの時間は残されていなかった。

 かろうじて保っていた幼女の姿が崩れ始めている。

 足は痛み、目は見え辛く、耳もよく聞こえず、カサカサに干からびていく肌。

 肉は衰え、骨に皮膚を巻いてあるだけの腕、足。

 横になっていればいるだけで身体中が痛く、立って歩くのも難儀でしかなかった。

 鬼の血をもらい生きてきたが、純粋なる鬼とは違い永遠に生存できるわけではない。

 まやかしで伸ばした寿命が尽きかけていた。


 口減らしに山中に捨てられた赤子は飢えた獣に食い散らかされて終わりが常だった。

 避妊という概念さえないほどの古の時代。

 必要以上に孕んだ子は流すしかなく、そもそも山中の貧しい村では男女がまぐわうくらいしか楽しみがない。流れた子はまだましで、生まれてしまえば口減らしに捨てられる。

 ハナはそんな哀れな子供達の中の一人に過ぎなかった。

 捨てられた赤ん坊は飢えた狼や狐に喰われて骨さえも残らない。

 だがたまたま通りがかった一匹の若い鬼が赤ん坊を拾った。

 鬼は一口で喰うか、と赤ん坊の顔を見たが、赤ん坊は宙づりになったまま、ふあーと大きなあくびを鬼に返した。

「赤子のくせに剛胆な」

 と鬼は赤ん坊を懐に入れた。

 それからハナはハヤテと共に生きている。

 ハヤテの血を飲み、ハヤテの狩ってくる獣の肉を喰らう。

 そうやってハナはハヤテと一緒に五十年を過ごしてきたのだ。




 ハナは壁に手をついてゆっくりと歩き出した。

 一番近くの襖を開くが、暗い和室があるだけだった。

 そこを通りすぎて次の襖を開く。

 誰もいない。

 またそこを通って襖を開く。 

 なんと大きな屋敷だろう、とハナは思った。

 襖を開けても開けてもただがらんとした和室が続くだけだ。 

 どこにいてもどんなに離れていてもハナが呼べばすぐに答えるはずのハヤテはウンともスンとも反応しない。

 今のハナが身体を動かすのがどれだけ負担か分かっているはずなのに、とハナは恨めしく思った。

 脳内でハヤテを悪し様にののしりながらハナは次々と襖を開いていく。

 やがて人の話し声と笑い声、叫びのような奇声が遠くの方から聞こえてきた。

 いくつかの和室を通り過ぎ、ハナはようやく灯りの漏れる襖を見つけた。

 だが笑い声の合間にくぐもったあえぎ声や叱責するような怒号が聞こえ、淫靡な様子が襖の向こうから感じられる。

 ハナは襖を少し開いて中を覗いた。

 正面の奥にハヤテが座っているのが見えた。

 杯を手にし、酒を飲んでいる様子だ。

「!」

 ハナの目が大きく見開かれたのは、ハヤテの姿が人間の体を成していないからだ。

 黒々とした頭髪からは角が二本突き出て、瞳は金色に光り、にやりとした表情に口元からが尖った牙が見えている。

 その両側には着物の前をはだけ乳を放り出した女が二名ハヤテに寄り添って酒器を手にしなだれかかっている。

 今までの和室とは違い、大きな広間だった。

 そこに全裸の人間が十数名いた。

 男は若く逞しい肢体、女はグラマラスで奇声を上げている。

 そんな男女が数組、互いの身体を貪りあっている。

 ハヤテが売った若返りの薬毒で高揚した人間達が子作りをしているのだ。

それを眺めながらハヤテは酒を飲んでいる。

  ハヤテの隣にいる女が耳打ちをしようと、ハヤテの耳元に口を寄せた。

 ハヤテはにやっとして、女もクスクスと笑った。

 女がハヤテの首に手を回し、首筋に吸い付くような動作を見せた。

 もう片側の女も負けじとハヤテの股間に手を伸ばした。

 鬼は好色で人間の女とも交わり、子を成すことも可能だ。

 女の生気だけを搾り取り鬼の糧にすることも有るし、そのままばりばりと血肉を喰らうことも有る。

 ハヤテは女達を喰うことはせず、注がれた酒を美味そうに飲んでいる。

「何、あれ」

 とハナは呟いた。

 ハナには人間の性交など見ていて楽しいものでもなく、中に入って酒を飲もうとも思えなかった。

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