鴉の死骸 あるいは大都市の幽霊

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1. 埃をかぶった馬が、絞首刑執行人の部屋に帰還する


「いったいどこへ行っていたんだ!」


 エーゴンは声を荒げた。やつの目の前には小さなブロンズの馬。二、三年前にウィーンのサロンからくすねたもので、たてがみや蹄、男根まで精巧に作られている。まあ悪い品じゃない。像は一〇センチほどの幅の大理石の台座がついていて、机の上に置かれているが、こぼれた撒き砂のせいでバランスを取れずにいるし、馬具の溝や筋肉の凹凸にはうっすら埃が溜まっている。

 その馬は、この部屋の中で特別に目立ってるってわけじゃなかった。書斎机や棚の中では鸚鵡貝オウムガイや鼠の頭蓋骨、弦のない子ども用のヴァイオリン、ネジ回しの持ち手、目玉のない人形の頭などが、エーゴンの友人・・という役目を終えて、静かに埃に覆われていた──役目があろうがなかろうが、この部屋のものはなんでも埃まみれだった。

 ここはエーゴンの部屋だけど、ここの王はおいらだ。真っ黒な鴉の剥製。いつもエーゴンを見張っているせいで羽の先はぼさぼさで、嘴の先も白くなっている。その上ヴォーダンみたいに片目がない──綺麗なガラス玉だったのに、どこかへ忘れてきてしまった。

 他のガラクタと違って、おいらはお役御免になったりしない。だっておいらたちは共犯者だからね!エーゴンは俺のことを鴉の屍骸ラーべナースと呼ぶ。いや、すれっからしラーべナースってことかもしれないけど。どっちにしろ間違っちゃいない。

 おいらの相棒──エーゴンはまだ馬に向かって怒っていた。


「君には俺の苦しみなど分からないのだろう、コンラート!」


 彼はいらいらと煙草を持った手を突き出し、灰が馬の上にかかった。ここにいる誰もやつがなんで怒っているのか分かっていないし、そのせいで余計に苛々がつのっていくんだろう。

 部屋には辛子色の模様が描かれた葡萄茶色の壁紙が貼られていたが、下の方はめくれており、顔を出した白い漆喰が黙って部屋の様子を伺っていた。おいらはある方の目玉で漆喰に目配せする。静かに!

 エーゴンはしばらくお小言を並べ立てた後、馬のコンラートに言い放った。


「今度は俺がいなくなる番だ!」


 おいらは部屋を出るエーゴンについて行く。彼は三階にある自分の部屋から螺旋階段を降りて通りに出た。

 まだまだ日は高く、真っ当な人間たちは働いている時間だ。石畳を叩く靴の音、煙を吐いて唸るエンジン、サイレン、何ダースもの人間の声、声、声。

 おいらは首を傾げて相棒を見る。


「おい、これからどうするってんだ?」

 エーゴンは唸った。まったく、そんな音に何の意味もありゃしない。

「せっかく無職だってのに、道で突っ立ってるだけ?」


 エーゴンは無職だった。やつが働いていた画廊はカッシーラーとかいうユダヤ人の資産家が経営していた。このごろ幅を利かせている政治家が、どうも彼が扱っている芸術家たちが気に食わなかったらしく、画廊は経営難になり── それに、かみさんとの離婚費用を作らなきゃならなかったから──数日前に売却された。

 それはさておき、エーゴンはもう一度唸ると歩き始めた。別に行く当てはない、らしい。やつは曲がり角の度に立ち止まり、交差点で路面電車が通り過ぎるのを無意味に眺め、地下鉄の入り口に入ろうかどうしようか悩んだ挙句に素通りした。おいらはたまにやつの襟を直してやったり、アイスクリームをねだったりした。やつはアイスクリーム屋も素通りした。けちなやつめ。

 エーゴンがルートヴィヒ通りを北に進むか南に進むか思案していると、誰かがやつの名前を呼んだ。


「エーゴン?エーゴンじゃないか」


 こちらに微笑みかけているのは金髪に青い目を持つ、シュヴァーベン訛りの病弱な男。

 エーゴンは驚いていた。


「マチウ?ヴァイマールにいると思っていた」

「休暇で遊びにきたんだ──ああ、まだラーべナースと一緒なのか。しかし、君はどうしたんだ?迷子みたいに見える」

「どうにも」

「そうか。つまりどこかへ向かっているわけじゃあないんだな」


 マチウはエーゴンの肩を叩いた。


「じゃあ、《ミアの店》に行かないか?」

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