第520話 フェニックス
オレはリンカの来訪に驚いたが、どこか嬉しさも感じた。
彼女に里の住所は教えていなかったので、どうやって調べたのか尋ねると、セナさんの誕生日に贈った地酒『神ノ島』に住所が載ってたらしい。
意外とガバだったとオレは苦笑しつつ、リンカはセナさんとカレンさんに助けて貰ってここまで来たと話してくれた。
「じゃあ、カレンさんは?」
「人が集まってBBQしてる所にいる」
公民館か。今、里の外から帰ってきた村民達へ、仕留めた熊肉を振る舞い、今回の件を全て話している頃だろう。
「今はどこに向かってんだ?」
「良いところ」
そしてオレは、鈴と懐中電灯を持って、リンカと共に母屋の近くから入れる山道を登っていた。
鈴は熊避け。懐中電灯は帰りは日が落ちると思っての事だ。本来ならこの時間に山に入るのは危険なのだが、オレにとっては慣れ親しんだ道のり。問題は皆無なのである。
オレは山道の途中から道無き茂みへ唐突に入る。リンカも何も言わずに後について来てくれた。
「ここ」
「――――」
枝木に阻まれた茂みをガサガサと抜けると、そこは少し開けた崖になっており『神ノ木の里』が一望出来る場所だった。
「――なんだこれ……凄いな」
「でしょ」
山の間へ消えていく夕陽と、次第に影のかかる『神ノ木の里』。昼と夜の境――逢魔が時の里を目の当たりにしたリンカは、心から感動してくれていた。
母さんはここが好きだった。まだ幼かったオレを抱えて、ここに来ては歌を歌っていたのを覚えている。
「オレが一番好きな場所」
「……納得した」
リンカも気に入ってくれた様だ。オレは年末にリンカが来た時にここからの景色を見せてあげる予定だった。少し早まった形であるが、まぁ良いだろう。
「リンカちゃん。心して聞いて欲しい事があるんだけど、いいかな?」
オレはその場に座り、山へ沈む夕陽へ視線を向けながら告げる。
「……こ、告白の件は……文化祭……」
「いや、違うよ。オレの過去の話」
全てを知ればリンカはオレの元を去る。
今までと同じ関係では居られないからだ。けど、里も家族も悪くない。全部オレが原因なのだと知って欲しかった。
「オレは本当は死ななきゃいけない人間なんだ」
もしも、リンカがオレに責任を問うならソレを償わなければならないと思っている。
ケンゴは夕陽を見ながら己の過去を話し出す。
『WATER DROP号』に乗っていた事。
そこで起こった悲惨な事件の事。
その中で唯一生き延びた事。
「祖父が迎えに来てくれたんだ。それまで、オレはルカと一緒だった」
「ルカって……あの?」
「そ、縁側で骨になってたイルカ。オレが父さんと母さんの後を追いかけなかったのはルカが居てくれたからなんだ」
ケンゴは笑う。しかし、同時に辛さも思い返している様に無理をしている笑顔だった。
「ずっと、実感が持てないんだ。自分がどこに居るのか、生きているのか、これは現実なのか。目を閉じて、開けると、また……あの船に戻ってしまうんじゃないかって」
日々が楽しければ楽しい程、ソレを失った時の悲しみは大きくなる。あの船で一人で居たとき、何度もソレを経験した。
「夢だと、父さんも母さんも生きてるんだ。でも、目を覚ますと二人とも居ない。居るのはルカだけなんだ」
そのルカももう居ない。ケンゴにとって、ルカが死んだ時から世界は夢と現実の境が曖昧になっている。
リンカはそんなケンゴの隣に座ると彼の手に自分の手を添えた。
「これを覚えて。今、この瞬間は絶対に夢じゃないって」
手を通して与える自分の体温、そしてケンゴを見つめるこの瞳は絶対に現実であるとリンカは告げる。
ケンゴは一瞬、安堵したが、すぐにまた暗い表情になる。
「違う……リンカちゃん。オレは……君に謝らなくちゃならない」
ケンゴは片手で額を覆い隠す様に視線を外す。
「オレの中には例の細菌兵器がまだ残ってるんだ」
○✕月△□日。
ゼゼルの持っていた細菌兵器『フェニックス』は他の病原菌と本質は何ら変わりはない。
問題は、その変異の速度と潜伏力にある。
治療を開始し、自らが排除されると判断した『フェニックス』は“冬眠状態”に入り、体内にて停滞する。
それにより、発症した者は完治したと錯覚するが、その間も『フェニックス』は学習し治療に対して“抗体”を持つ。
“抗体”を持った『フェニックス』は再度活動を開始。そして、対象を死に至らしめるまで“冬眠状態”と“抗体獲得”を繰り返す。
これが最悪なのは発症した者に症状が現れてから死去するまでの間、長い病床期間に入ると言うことだ。
一度感染すれば死は間逃れない。唯一の希望はゼゼルが『フェニックス』に感染していなかった事だった。
ヤツは『フェニックス』に有効なワクチンを予め自分に打っていたのだ。ヤツの血を調べれば何とか出来る。しかし……ヤツは自ら死を選び、死体は海中へと沈んだ。
私は……今、葛藤している。
一つだけ『フェニックス』の活動を停止させる可能性があるからだ。しかし……それを船の者は全員に施すには物資が圧倒的に足りない。
それでも、私はこの船の船医だ。全てを船長に話し、指示に従う義務がある。
船長と話をした。私は褒められた人間ではないだろう。船長が息子を優先しても良いと言ってくれて心から安堵したのだから。
これより、細菌兵器『フェニックス』の施術を行う。
これであの子に何らかの変化が起こるかもしれない。だが……それでも私は――息子に……ケンゴに生きていて欲しい。
こんな父さんで本当にすまない。
「ごめん……リンカちゃん。君と関わった事で……オレは君に危険な細菌を移したかもしれない」
ケンゴは自分が取り返しのつかない事をしたと告白した。
己の中に眠る『フェニックス』。それは血液検査にも引っ掛からず、どんな精密検査でも感知される事はなかった。
もう、消滅したのかもしれない。それともまだ眠っているのかもしれない。
それでも……他者と触れ合う事で『フェニックス』が移り、発症し、関わった人間を死に至らしめる可能性は十分にあった。
七年前、ケンゴは父の日誌のパスワードを解除し内容からその事実を知った。自分の中にはどんな人間でも死に至らしめる『
だから、大好きな里の人達をそれに巻き込みたく無くて飛び出したのだ。
ずっと一人で居れば良い。誰とも深く関わらず、程よく他者と距離を取って、そして……自分より歳上の人達を全員看取ったら彼も消えるつもりだった。
それがあの船で死んだ……256人の誰もが望む事だと考えている。
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