第436話 そいつは“もし”じゃないのぅ

「リンちゃん。今日はどうだった?」

「文化祭の準備が始まったよ。皆で協力してさ」


 鮫島家の食卓はセナリンカが普通である。ここにケンゴが入るのは少し特別な時だけだ。


「そう。リンちゃんのクラスは何をやるの?」

「あれ? 言って無かったっけ? メイド喫茶やるよ」

「あら~」


 セナはいつものリアクションを取るが、リンカは柔らかい笑みで食事を続ける。


「ヒカリちゃんに頼んで写真を撮って来てもらおうかしらね~」

「そんな大袈裟な――あ、そうだ。お母さん」

「なに~?」

「その……ヒカリが写真撮影のモデルになる話をしてくれたんだけど、行っても良い?」

「いいわよ~。お母さんのリンちゃんプロファイルが潤うわ~」

「なにそれ」


 相変わらずな母の自由奔放ぶりにリンカは食べ終わった自分の食器を片付ける。

 すると、テーブルに置かれている缶ビールが開いてない様子が目に止まった。


「お母さん、お酒飲まないの?」

「今日はちょっとね~」

「今日飲まないからって明日は+1にはならないよ?」

「そうなの~? リンちゃん厳しい~」

「いつものルールでしょ。お風呂入るから飲んじゃいなよ」


 台所に食器を置いて軽く水につけるとリンカは着替えを持って脱衣室へ向かう。


「リンちゃん」

「なに?」

「スマホがさっき鳴ってたわよ?」

「…………お風呂から出たら見る」


 そう言って、リンカは振り向かずに後ろ手で脱衣室の戸を閉めた。






 LINE部屋『ママさんチーム』


セナ『皆、居る~?』


エイ『どうした!?』


カレン『ドラマ観てた』


セナ『ちょっとリンちゃんの件で聞きたい事があって~』


エイ『また、ケンゴがやらかしたか! アイツはラッキースケベマンだからな!』


カレン『ケンゴが悪い事、確定な風聴でウケるー』


セナ『リンカが中学の頃に戻ったみたいなの』


エイ『それは本当か!? ケンゴのヤツは何をしてる!?』


カレン『……ケンゴがまた出ていったの? 転勤になったとか?』


セナ『それがわからないの。二人は何か知らないかと思って』


エイ『リンカに直で聞くのはどうだ!?』


セナ『リンちゃんが黙っておきたいならまずは他の人に聞こうかと思って』


カレン『ケンゴは? アイツなら確実に何か知ってるでしょ』


セナ『ケンゴ君にも連絡してるんだけどね~、電話に出ないみたいなの~』


エイ『ふむ……私はヒカリに聞いてみる。学校で何かあったのやもしれん!』


セナ『ごめんねー』


エイが退室。


カレン『……セナ。ちょっち、私の方で心当たりがある』


セナ『本当?』


カレン『もしかしたら、アヤと顔を会わせたのかもしれない』


セナ『アヤ?』


カレン『前にケンゴの部屋の前で遭遇した女の子』


セナ『カレンちゃん。アヤちゃんの事、詳しく教えて』






 あたしはシャワーの頭からかぶりつつ、あの時の事を思い出していた。

 大丈夫……大丈夫だ。だって自分でも解っていたじゃないか。

 彼はまだ誰のものでも無いって。


“私は白鷺綾と申します”


 とても綺麗な女性ヒトだった。気品があって、佇まいも口調も丁寧で――


「なんで……」


 なんで、あたしはいつも居なくなってから後悔するのだ。なんで……ずっと彼が側に居るなんて……勝手な考えを抱いていたのだろう。


「そう……だよ……選ぶのは……彼……だから……」


 自分を納得させようと言い聞かせるも涙が止まらない。感情が制御出来ない。でも……駄目だ。コレをお母さんに悟られるときっと迷惑をかけてしまう。だから……


 あたしは顔を上げる。まだ涙は止まらないけど、止めなくてはならない。


 いつもの様に笑っていよう。それが……今のあたしに出来る事。あたしが……そうすれば……全部収まるのだから――






「…………」


 国会議事堂の喫煙室でスマホを見ていた阿見笠は入室してくる火防に視線を向ける。


「なんじゃ、まだ居ったんか」

「まだボスが戻って無いからなぁ。オレが帰るのはその後」


 煙草を取り出す火防に阿見笠はライターの火を差し出す。


「お前さぁ、煙草止めたんじゃなかったっけ? 甘奈ちゃんが生まれてから」

「いちいち目敏いヤツじゃのぅ。ワシがいつ煙草を吸おうが勝手じゃろうが」

「ド正論サンキューな。けど、そう言うのも注目されるよぉ? 総理になればさ」


 友の目指す場所を阿見笠は止める気はない。寧ろ、彼の方が適任者だとも思っている。


「まだ先の話じゃ」

「ほーん。良いことあった?」

「お前に話す義務はない」


 かつては二人の他に多くの同胞が肩を並べていたが、今残っているのは火防と阿見笠だけだった。

 そして、昔から変わらない火防を阿見笠はどの人間よりも信頼している


「そうかい。剣持のヤツも逝っちまったしなぁ。もう、オレらだけだぜ」

「……そうじゃな」


 暫し沈黙。喫煙室は二人の出す煙草の煙だけが揺らめく。


「お前の方はどうなんじゃ?」


 いつもなら1本吸ったら去る火防は珍しく2本目に火をつけた。


「前途多難ってヤツさ。参考までに聞くけどよぉ火防。もし、甘奈ちゃんがターゲットを庇ったらどうするよ?」

「そいつは“もし”じゃないのぅ」

「そういや、そうだなぁ」


 阿見笠は現在進行形だったなぁ、と笑う。


「土曜日に甘奈と出かけた」

「おお。仲直りしたんだ。おめでとう」

「色々と話したい事はあったが、甘奈は……ずっとヤツの事を話しておったわい」

「あーらら。完全に心を盗まれちゃってるねぇ」


 今回も愚痴だねぇ、と阿見笠は火防の話題を楽しむ。


「じゃが、ヤツが今も甘奈を笑顔にさせてくれていると思うと……まぁ、少しくらいなら良いか、と思うようになって来たわい」

「可愛いもんな。特に娘はよぉ」


 阿見笠は自分の手を見る。あの子は……すっかりこの手を忘れてしまっただろう。


「……それで、あの眼か」


 旅館で全てを知る彼に詰め寄った時に向けられた……あの子からの眼。

 誰が相手でも彼を傷つけるのは許さない、と言う強い瞳はアイツが側に居るだけでは決して培われなかっただろう。


「火防よぉ」

「なんじゃ?」

「お前さぁ、甘奈ちゃんの反抗期ってどうやって乗り切ったの?」

「今もその最中じゃ」

「ハハ。そうだったな」


 一回の飯くらいじゃ、頑固者父娘の関係はまだまだ改善はしない様だ。


「ワシはもう帰る」

「おう。甘奈ちゃんによろしくな」


 そう言うと火防は軽く手を上げて喫煙室を後にした。


「――大丈夫だ。お前が思ってるよりも、あの子は強く成長した」


 阿見笠はLINEに返信した言葉を口にすると煙草の火を消し、喫煙室から出て行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る