第40話 看病
「――ろ――お――い――」
揺さぶられてもオレの頭は中々覚醒しなかった。
途切れ途切れで聞こえるその声だけが、意識を少しずつ起動させる。
「んぁ……く……ぁ……」
目を開けて身体を起こす。重い。まるで身体が動くことを拒否しているかのようだ。オレは頭痛を抑える様に額に手を当てる。
「――よかった……」
と、そこでオレに呼び掛けていたのがリンカだったことに気がついた。
部屋の鍵は……かけずに倒れちまったんだっけか……
「……大丈夫か?」
「あぁ……大丈夫だよ。ちょっと熱っぽいだけ」
近くの電子時計を見ると日付は変わり、既に昼を回っている。
今日が休みで良かったと言う安堵と、後半日で治るかなぁ、と言う懸念が心に残る。
「今日はずっと寝るよ……リンカちゃんも部屋に戻った方がいい。多分夏風邪だから」
「ご飯は食べたのか?」
「食欲ない」
保冷剤はかなり溶けているが外に出る気力はない。また少し寝て、頃合いを見て色々と買い物に行こう。
すると、リンカは部屋の奥に入り、布団を敷いてくれた。
「寝てろ」
「……ありがと」
正直言ってかなり助かる。オレは、四つん這いで熊のようにのそのそと移動すると布団へ寝転がった。
「服は着替えろよ」
そう言ってリンカは部屋を出て行った。
オレは重い意識と身体を動かして、着ている服を着替えると、クーラーをつけて改めて布団へ横になる。
そのタイミングで、リンカが再び戻ってくる。今度はマスクを着けていた。
「デコ出せ」
「はい」
リンカは前髪を持ち上げたオレの額に冷えピタを貼る。恐らく彼女の持ち物だろう。オレは帰ってきたばかりで、その辺りの必需品の調達は後回しにしていた。
恥ずかしいと言う思考さえもままならない精神だと、ほいほい従う方が楽だった。
「台所、借りるぞ」
何やら他にも道具を持ってきている。特に気にする気力もなかったので、オレはそのまま仰向けに布団へ倒れた。
「…………」
リンカの背中を見て昔を思い出す。
熱を出して、身動きが取れなくて、それでも目を開けると必ず祖父か祖母が近くにいた。
「気をつけてたんだけどな……」
日本に戻ってきてから少しだけ、はしゃぎ過ぎたか……
少し冴えた目を閉じようとすると、リンカが出来上がったお粥を持ってくる。
「ほら」
「何から何まで申し訳ない……」
リンカは口の中を火傷しないように冷ましてから、オレにレンゲを差し出す。
羞恥心なんて心に置く余裕はない程に思考が低下しているオレはリンカの介護を一身に受けた。
「……美味しかったよ」
「これ飲んで、もう寝てろ」
そう言うと、リンカは風邪薬と水を置いて食器を台所へ。
「君が居てくれて良かった」
「――気にすんな」
表情は見えないが、オレからの誠意は伝わったハズ。風邪薬を飲むと、近くのちゃぶ台に空のコップと風邪薬のゴミを置いた。
「もう……寝るよ。リンカちゃんは――」
リンカは勉強道具を持ってきたのか、ちゃぶ台に置いて、こちらが見えるように座る。
「……帰りなよ」
「どうせ、何かあれば来なきゃ行けないだろ。帰るのは非効率だ」
オレとしてはうつる危険があるんだけどなぁ……と、思いつつもやっぱり、誰かが近くに居てくれる安心感は心地よかった。
「……オレは寝るから……いつでも帰って良いからね……」
「さっさと寝ろ」
そう言ってリンカは宿題を。オレはさっさと体力を回復させるために眠りについた。
部屋は静かになった。
いつもこの部屋に来るときはゲームや映画を見に来たり、上手く出来た夕飯のお裾分けなど、何かと騒がしい。
しかし、今回は……本当に静かだ。
「……」
彼の寝息を聞くのは初めてだった。
昔からあたしが寝るまで起きてて、起きたら彼は先に目を覚ましてる。
いつも、あたしを見護る為にそうしてくれていたのだとこの歳でようやく気づいた。
「……大変だったのかな」
三年間、国を離れて全く知らない土地と人と共に過ごす。彼なら難なく順応出来るだろう。
「おにいちゃんは凄いよ」
いつも繋いでくれる大きな手。疲れたらいつも背負ってくれる背中。何かあれば直ぐに駆けつけてくれる。
「でもこれからはそれじゃダメだ……」
その後ろ姿を頼りにするだけではダメなのだ。
橫に並んで一緒に歩く。隣に住む妹分ではなく共に生きたい異性として見てもらう為に。
「にしても……鈍すぎだろ……ばか」
ちゃぶ台に伏すと、彼の寝息に釣られて襲ってきた眠気に、少しだけ身を委ねた。
「……んで……め……だ」
リンカは聞こえる声に目を覚ました。
電子時計を見ると二時間ほど進んでいる。少し寝過ぎたか、とケンゴの様子を見ると、
「駄目……だ……行かない……で……」
悪夢でも見ているのか、ケンゴはうなされていた。どうして良いのか解らずにとりあえず近くに座る。
起こした方が良いだろうか――
先に冷たい飲み物を用意しようと立ち上がる。
「お願い……行かないで……」
「……」
初めて聞く子供のような彼の口調。辛い過去を見ているのだろうか。
「ぼくを……ひとりにしないで……おとうさん……」
彼女は自然に動いた。
ケンゴの額に手を起き、優しく語りかける。
「大丈夫。ちゃんとここにいるよ」
その人肌に安心したのか、ケンゴの表情は和らぐと目を覚ます。
夢を見た。
久しく見てなかった、あの船であった本当の悪夢。
母が死に、父が死に、大勢が死んだ。それが弱ったタイミングで襲ってくる。
眼が覚める度に本当に悪魔でも居るのだと信じたくなった。
しかし、その悪夢から毎回、優しい温もりが助けてくれる。目を開けると祖母がオレの額に手を当てて微笑みながらこう言ってくれるのだ。
「もう大丈夫」
「――」
目を開けたオレはリンカからその台詞を聞いて、思わず跳ね起きた。
勢い良く上体を起こし、肩で息をすると、悪夢にうなされてたのが解るレベルの汗を掻いている。
「……うなされてた? オレ」
「うなされてたぞ」
そう言ってリンカは、ふふーん、と少しだけ上から目線で見てくる。こりゃ、相当恥ずかしい事を口にしてたな。
「……何て言ってた?」
聞かねばなるまい。
「さぁな。そっちの問題だろ。あたしは聞かなかった事にする」
むむむ。なんか弱みを握られた気がするぞ。こりゃ、相当ヤバい事を口走ってたに違いねぇ。
「……」
参ったな、と後頭部を掻いているとリンカは額に手を当てる。
「熱はだいぶ下がったな」
「おお、ほんとだ」
日々性能が良くなる風邪薬の力は偉大だ。体内の病原菌は最新の医療兵器によって駆逐されたようである。
「なんか買いに行こうかな。リンカちゃんはどう――」
意識はハッキリしていても身体はまだ再起動の最中だったらしい。
立ち上がろうとしたオレの身体は思ったより力が入らず、倒れそうになって――
「――」
咄嗟にリンカが抱き抱える様に支えてくれた。
「…………」
無言の時間が流れる。互いの顔は互いの肩口にあるために伺えない。心臓の音がやたら速く聞こえ、少しずつ速くなっていく。
「リンカちゃ――」
オレが離れようとすると、リンカは離れまいと腕の力を強くする。この心臓の音は彼女のモノだと悟った。
「あたしは……別に良い……よ?」
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