第31話 怪我の価値

 夏休みが続くリンカ達と違って、社会人にとっては休暇がとても貴重だ。

 あの後、特に追加の撮影も無く午前中にはコテージを掃除して午後には引き上げた。

 ヒカリちゃんと哲章さんはオレとリンカをアパートに送って別れ、バイト代は後日手渡しに来るとのこと。

 オレには出来上がった特別号を一つ貰えると言う事になり今から楽しみである。


 そして、オレは蜂に刺された手の治療に専念し、リンカは宿題をする、と言ってその日の接点はその後無かった。


 次の日、腫れと痛みの引いた手にガーゼと包帯を巻いて出社。怪我の原因を色々と問い詰められたが、ちゃんと体調管理しろよ、と言うのが皆の言葉だった。






 昼休み。オレは動くようになった利き手で最初に食すのは食堂の鯖味噌定食と決めていた。


「多いな……」


 食堂はかなり混んでいる。会社の徒歩圏内には様々な飲食店はあるが、本日はタイミングが悪かったらしい。

 しかし、空腹による鯖味噌定食の誘惑には勝てない。多少知らない人と相席したとしても食してくれるわ!


「おーっと……」


 だが、会社でも後輩の居ないオレの世代にとって、知った顔以外は皆、他課の先輩か上司だ。大概は話をしながら昼食を楽しんでおり、そこに割り込んで空気を壊すのには抵抗がある。


「うーむ」


 どうしようかと少しうろつくと、隅の四人席を一人で座っている人を見つけた。


「すみません、ここ良いですか?」


 オレは砂漠に見つけたオアシスの様にそこへ入り込むと、先客に一言聞く。


「どうぞ」


 と、先客は広げていたランチボックスを端に寄せて空間を作ってくれた。

 オレは名前を確認しようとネームプレートを探すが彼は首から下げていない。

 まぁ、知らない顔は基本的には先輩なので敬語で問題無いだろう。






「食堂はこんなに混むんだね」


 黙々と食べていると彼が話しかけてくる。寡黙そうな人だったので少し驚いた。感情を廃したような低い口調は疲れている様にも感じる。


「あまり昼食を食堂では?」

「普段は仕事の合間にね。時間が惜しい」


 どうやら彼を食堂で見かけるのは希少な事であるらしい。


「手を怪我しているのかな?」

「え? まぁ……はは。社会人として良くない事ですよね」

「それは他ではなく君が決める事だ」


 彼の言葉にオレは少し驚いた。


「怪我の価値は何が理由だったか、による。人は怪我をすることが人生だろう。ならその価値は本人が決めるべきだ」


 達観した言葉。多くの場数を踏み越えてきた様な雰囲気を彼から感じとる。


「その怪我は君にとって無価値かな?」

「いえ」

「そうか」


 オレが躊躇い無く言うと彼は、ふっと笑った。すると、彼の携帯が揺れる。失礼、と彼は携帯を見た。


「話に付き合ってくれてありがとう。食を止めた事に対する詫びをしたいのだが……卵は後一つしかなくてね」

「お構い無く」


 怪我の事を肯定してくれた様に感じてオレも嬉しかった。


「そうか――」


 彼はランチボックスから最後の卵を手に取ると、軽くテーブルの角にぶつけて、てっぺんに穴を作る。そして、卵を持ち上げ、顔を上に向けると卵の中身――半熟の雛を直接口の中へ落とした。


「…………」

「失礼する」


 彼はバリバリと雛を咀嚼すると、殻をランチボックスに入れて持ち、驚きに眼を向けるオレを気にする事無く去っていった。


「……あー、それでか」


 オレは、彼があんなゲテモノを食べていたから誰もこの席に寄り付かなかったのだと理解した。






「社会の課題って……面倒よね」


 リンカとヒカリは社会の課題をするために市の図書館に来ていた。

 課題の内容は、過去に起こった話題に関して調べてレポートにすると言うもの。


「他の人と被ったらどうするんだって話よ」

「でも、まとめ方は全く同じにはならないと思うよ」


 別に調べる内容は日本だけでなくても良い。寧ろ、あまり周知されていない事柄の方が評価は高いだろう。


「オリンピックとか被るよね」

「多分、目を付ける人は一杯居ると思うよ」


 とにかくさっさと済ませたい人は適当な話題を選ぶだろう。オリンピックはその代表格だ。


「過去の新聞記事を……新聞って何でこんなに読みづらいのよ」


 ヒカリとリンカは目ぼしい記事を探して過去の新聞記事を漁っている。


「今はネットの時代よ、ネット!」

「昔はそう言うの無かったから」


 もういいや、とヒカリは近くの机に座るとスマホで過去の事を検索し始めた。

 館内でのスマホは緊急時以外は使用禁止であるのだか、ヒカリにとっては今が緊急事態なのだろう。

 リンカは何の為に来たんだか、と苦笑いしながら引き続き何か記事を探す。


「うーん」


 あまり、目を引くような記事は見当たらない。更に過去を遡って適当に一つの新聞を手に取る。


「――『客船ウォータードロップ号海難事件』?」


 それは23年前の記事。少し目を引いたソレをリンカは持ってくると、机に広げる。


「何か見つけた?」

「ちょっとね」


 ヒカリはスマホから目を離し、リンカの持ってきた記事を共に見る。


「えーっと何々、客船ウォータードロップ号は大陸間横断航海の最中に雷に打たれて全ての電子機器を破損。救難信号も打てずにそのまま、大西洋をボートの如く漂い、発見は出発してから6ヶ月後。近くを通った石油タンカー船によって発見されるも、乗組員、乗客を含めた258人は皆死亡――」


 そこまででヒカリは読む声を止めた。


「リン、これは止めといた方が良いわ」

「あたしもそう思った」


 リンカは記事を元の所へ戻しに行くと、図書員とすれ違う。軽く会釈して脇を抜けると、


「あ、ちょっと君」


 呼び止められた。


「その記事、どこにあったの?」

「え? そこに――」


 と、古い記事を年代ごとにスクラップしている棚を指差す。


「ああ、そうか。盲点だったなぁ。前の管理者が適当やってたのか」


 少し困った様に図書員は告げる。リンカは、何か問題があるんですか? と尋ねた。


「うーん。私も詳しくは知らないんだけどね。その事件は調べるのも掲示するのも駄目らしいんだ」

「でも、記事にはありますよね?」

「まぁ、当時はデカイ話題だったんだろう。でも、すぐに規制されて記事は全部破棄されたらしい」


 図書員の人もこの話は気になって調べたのとこと。


「色々とあるんだと思うよ。まぁ、20年以上前の事件だし、私も調べてる途中で上からストップかけられてクビに成りかけたしさ。忘れて欲しいのかもね」


 だから、その記事は破棄するよ、と図書員はリンカから記事を受け取った。


「君も忘れた方が良い。ネットで調べても出てこないからね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る