第2話 聖女の秘密
この国に聖女が現れなくなったのは、今から50年前のことだった。それまで絶えることなく聖女がいた国は、魔物からも病さえからも守られていた。どの国よりも平和で、どの国よりも温厚な人々は聖女のおかげで生活できていた。それが途絶えて、国がどうなったかなど、誰でも想像できる話だ。
空は翳り、魔物に怯える日々。
若い者は聖女の存在にすら懐疑的になり、聖女を探す者は限られた者たちだけになった。例えば教会。例えば貴族。例えば王族。
そして13年前、とうとう聖女が見つかった。
白銀の髪は聖女の証だった。
紫の瞳は聖女の力の象徴だった。
人間離れした美しい姿は伝え聞く聖女そのものだった。
人々は生まれたばかりのその聖女を、守り、慈しみ、そして崇めた。
教会に住み、教会によって全てを与えられた。富もそこには溢れるほどにあった。毎日のように磨かれて、大人になるほどに美しさを増していく聖女。人々が聖女にすがるようになるのに、時間はかからなかった。何より、聖女が生まれてからは魔物が減り、聖女に願えば奇跡が起きた。
世界はそのように回っていた。
リンデはそうして聖女になった。
けれども、それは表向きの話でしかないのだ。
「聖女様。本日のお勤めご苦労様でございました。湯浴みの準備ができております。そのあとは肌のお手入れと、髪のお手入れを。それから国王陛下がいらっしゃいますので、謁見を。そのあとに――」
「15分、ください」
つたない言葉。それにまくしたてるように言葉を吐き出していた神官の口が止まる。
「なりません」
「10分」
「なりません」
「……5分」
「聖女様」
有無を言わせない圧が言葉に乗っていた。
少女、リンデは口を噤む。
今日は何を言ってもダメな日だった。無言で頷き、促されるまま湯浴みに向かう。聖女であるリンデに自由はない。あるのは、聖女としての役割を全うするという使命だけ。
それも、偽物なのに。とリンデは思った。
王に会い、祝福を行う。
祈りの間で、祈りを捧げる。
また湯浴みをして、夜の帳がおりた頃に、部屋に戻る。
そうすると外から鍵がかけられて、夜のうちはどこにもいけなくなるのだ。
教会の者たちは知っている。放置すれば、リンデが逃げ出すということを。知っているのだ。これがいわゆる軟禁とよばれる状態であることを。
暗闇の中で、リンデはそっと口笛を吹いた。それだけは自由だった。やがて、その口笛に音が被せられた。か細い口笛の音が、壁の向こうから聞こえてくる。
暗闇に慣れた瞳で壁を見遣って、そっと壁に近づき、ピタリと頰と耳をつける。すると、小さな声が聞こえてきた。
「リンデ」
名を呼ぶ声は、おだやかで、優しい。
「きょう、は、うまくいった?」
「うん」
そう。っという小さな答えが帰ってくる。
「そっちは今日、何してた?」
リンデが尋ねる。相手はしばらく沈黙して「何も」と答えた。
「いつもどおり、ただ、じっとこの、部屋で祈っていたよ。きみの、ことを、リンデ、が、うまくいくようにって」
「そう」
今度はリンデがそう返す番だった。
リンデよりもずっと拙い言葉が、一生懸命帰ってくるのを、リンデは唇を噛み締めて聞く。
リンデは聖女じゃない。奇跡を起こしているのは、壁の向こうの”彼”だ。彼がリンデの成功を願う限り。リンデの祈りがうまくいくことを願う限り、奇跡は起き続ける。
やめて欲しいという言葉は、もう出てはこない。その言葉を口にしたら言われる言葉は何かわかっているからだ。
どうして? みんな喜んでいるよ? 僕たちはそのために存在するのに? いつまでもそうあるべきだよ。
彼は、生まれてからずっとここにいる。それはリンデと同じだが、彼はリンデのように多くの人と会うことはない。洗脳にちかい教育により、いつもいつまでも、役割を全うすることしか考えてはくれない。
リンデと同じ日に生まれ、同じ腹から取り出され、同じ色をして並び、けれどたったひとつ違うことがあったばかりに閉じ込められている。
男だった。
それだけが、彼が聖女でない証拠。
奇跡を起こしたこと。
それだけが、彼が聖女である証。
けれど、聖女に男はいない。歴代存在しなかった。だから、表に出るのは、聖女の特徴をもった聖女の力だけを持たないリンデだけ。
リンデは知っている。
自分が逃げればどうなるのかも。彼がどうなってしまうのかも。
ただ、考えるのだ。もし自分がいなければ、彼はどう生きていただろう。
唯一の男の聖女として、役目を全うしていただろうか。今のリンデのように真綿に包むように大事にされて役目を全うするだけの存在としてあり続けるのだろうか。それとも、存在自体許されないのだろうか。リンデのような少女が用意されて、同じことが起きるのだろうか。
リンデの思考に答えてくれるひとはいない。ただ、リンデは思う。
「彼を、私を、自由にしてください。神様」
そういう願いばかりは、どうあっても届かない。
彼が望まないからなのかもしれないと、リンデは思った。
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