第15話

 ホールに音楽隊のかろやかな音楽が響く。

 くいっと手を引かれ、ランシェルもフィルの動きに合わせて、足元ばかり見ないよう注意する。

 右、右、左、斜め右下に下がって……回る。

 くるりとランシェルが回ると、ほぅという感心した声が貴族達から溢れた。


「お上手ですね」

「…………練習したので」


 フィルの褒め言葉に、苦笑いを浮かべながら答えた。

 だが実際、ここまで順調に踊っていられるのは、フィルのフォローがあってのことだ。少しミスをしそうになっても彼がさりげなくカバーしてくれている。

 ダン!という一段強い音が聞こえて、一曲目が終わった。2人は一定の距離を開けて互いに一礼する。

 曲調が変わり、先程までのテンポの早い曲とは裏腹に、今度は優雅な音楽が流れ始める。


「素敵な時間をありがとうございました。舞踏会、どうか楽しんでいって下さい。また後ほどご挨拶に伺います」


 そう言って笑顔を向けるフィルの額には、汗の一つも浮かんでいない。さすかだなと思いながらもう一度一礼し、その場を離れる。

 貴族達を掻き分け、ホールの端にたどり着くと同時に、ランシェルを追いかけてきたベルニカに呼び止められた。


「ランシェル様!」

「ベルニカ様」


 2人は互いに笑みを浮かべると一礼する。

 次の瞬間、ベルニカは両手でランシェルの手を包み込むと、まだ興奮の冷めきっていない瞳をわずかに潤ませた。


「先程のダンス、とっても素晴らしかったですわ!私、あんなに綺麗なお二方を拝見できたこと、一生の思い出に致します」

「ベルニカ様にそう言って頂けるなんて光栄です。ベルニカ様が何から何まで教えて下さったから、成功させる事が出来たんですよ」

「……まあっ」


 ベルニカは頬を赤らめて少し俯く。

 その仕草は、何とも愛らしい。


「ベ、ベルニカ様」

「まあ、アルベルト様。アルベルト様もいらしていたのですね」

「は、はい。あの、良ければ、私と一曲……」


 そう言ってぎこちなく手を伸ばすのは、ベルニカと同い年くらいの少年だった。透き通ったクリーム色の髪が時々、光の反射で金色にも見える。瞳はサファイア色で、緊張しているのか、少し上目遣いでベルニカを見つめる。

 ベルニカは少し悩んでいたが、ランシェルがどうぞと勧めると、ベルニカもふわりと笑って彼の手を取った。


「では、お願い致しますわ」

「は、はいっ!!」


 急にぱっと明るい表情になって、少年が嬉しそうに笑う。それを見て、何だかランシェルまで嬉しくなった。

 2人が去ると、それを待っていたかのように他の貴族達がわっとランシェルに寄ってきた。

 皆、今日の主役に興味があったのだろう。


「先程のダンス、思わず見入ってしまうほど素晴らしいものでした。貴女のお名前をぜひお聞きしたい」

「ラ、ランシェルです」

「ランシェル様!とっても素敵なお名前ですわっ!」

「フィル王子とはどこでお知り合いに?ご両親は何をされている方なのですか?」

「お2人とてもよくお似合いで、フィル王子に婚約者がいらっしゃるのが残念なほどでしたわ」

「今度はぜひ、私とダンスを……」

「え、えっと……」


 矢継ぎ早に繰り出される言葉の中で、フィルに婚約者がいるという言葉に一番驚いた。

 ……いや、フィルはもう二十歳であるし、婚約者がいるのは普通のことかもしれない。

 何せ王子だもの……と、心の中で呟いた時、ふとリュウの顔も浮かんだ。

 彼も、王子だ。婚約者くらいいるのもしれない。


「ーーーーランシェル様」


 突然名を呼ばれてはっとした。横を向くと、心配そうなフィルの姿があった。


「ここにいらっしゃったのですね。……どうしました?」


 フィルがこんな顔をするとは、今自分は相当にひどい顔をしているのだろう。

 ランシェルは慌てて首を横に振ると、何でもないと言って笑った。


「フィル王子こそ、どうされましたか?」

「あぁ、いえ。そろそろ陛下へ挨拶をと思ってお呼びしました。……宜しいでしょうか」


 最後の問いは、ランシェルにではなく、彼女を取り囲む貴族達に向けられたものだった。

 彼らはまた、それぞれに口上こうじょうを述べて去ってゆく。

 こういう時の引き際が皆よく分かってる。

 最後の一人が挨拶を終えると、フィルの視線がランシェルに戻る。


「では、参りましょうか。ランシェル様、私の腕に手を」


 ランシェルは小さく頷くと、言われた通りにフィルの腕に手を添えた。

 先程リュウと歩いた時の手の添え方は、従者に向けて行われるものだ。フィルとの手の添え方は、対等な貴族同士で行われるもの。ランシェルはフィルと対等など恐れ多いと思っているので、何とも後ろ髪を引かれる思いだ。

 2人が玉座の前にたどり着き、それぞれに一礼すると、再び音楽が止まった。ホール全体が静寂に包まれ、王を交えた4人に視線が集中する。


「顔を上げて下さい」


 王の優しい声が響く。ゆっくりと顔を上げて王を見ると、声と同じく優しい笑みで2人を出迎えた。


「今宵は我が国の舞踏会によくお出でくださいました」


 ランシェルは緊張で声が震えてしまわないように、喉に力を込めた。


「……陛下。王妃様。今宵はお招き頂きまして、誠にありがとうございます。私のようなものがこうしてここに立っていられるのは、ひとえに陛下のお心遣いのおかげです。感謝申し上げます」


 そう言ってランシェルが深々と頭を下げようとすると、王はそれを片手を上げて制した。


「そんなにかしこまらなくて大丈夫ですよ。それに、貴女はもうこの国の民です」


 その単語を聞いた瞬間、ランシェルの胸がきゅっと締めつけられた。

 無属の村からブラウン王国の領土へ。今までどこの国にも属していなかった事により保たれていた3大国の関係が、これによって一気に崩れてしまった。


「……貴女にとって、とても重要かつ厳しい決断だった事でしょう。……よく、受け入れて下さいました」


 ランシェルはドレスのたもとをきゅっと握った。


「…………の……」


 発せられた言葉はあまりに小さく、国王の耳には届かない。

 ランシェルは息を大きく吸い込んで、今度はさっきよりも大きな声で言葉を告げる。


「っあの、国王陛下」


 王の瞳にランシェルが映る。

 彼女のドレスにかかる手の力が強まる。だが、視線は王から決して逸らさなかった。


「……実は、ユリテルド村の今後について、陛下にお願いしたいことがございます」


 ランシェルの言葉に貴族達がざわついた。だがそれを、王は手で制す。しん……とざわめきが静まると、王はランシェルを見て一つ頷いた。


「続けて下さい」

「…………はい」


 ランシェルは喉に力を込める。すぅと息を吸うと、揺るぎない瞳で王を見返した。


「お願いというのは、ユリテルド村の制度についてです。ブラウン王国は入国の際、厳しい入国審査が行われており、国へ入れない人々もいると伺っております。ですがユリテルド村は、これからも変わらず、どんな人でも、どこの国の人でも、自由にユリテルド村に来れるようにしたい。……ですから、ユリテルド村へはその制度を行わないで頂きたいのです!……どうか、お願い致します」


 言い終わった後も、ランシェルは王から目を離す事はしなかった。王は顎に手を当て、しばらく考える素振りを見せた。

 王がランシェルの発言を受け入れてくらるとは限らない。でも彼女も、ここだけは引く訳にはいかなかった。

 だから、この国で見た王の優しさに賭けることにしたのだ。

 ランシェルが王の返答を待っていると、後ろのほうで暗い影が落ちた。


「ーーーーそれは許されぬ」


 ランシェルははっとした。どの貴族も皆、似たような表情をとっていた。その男の発言を合図に次々と他の貴族達も口を開く。


「そ、そうよ。私達の国に他の野蛮やばんな国の者達を野放しにしておくなんて、とても耐えられませんわ」

「そもそも、ユリテルド村の豊富な資源を我が国のものとするために属領としたのだ。他国民が入り込めたら、属領にする前と何ら変わらぬではないか」

「それに、クロキスカ帝国の犬どもがユリテルド村に侵入し、あの村を力ずくで自分のものにする可能性だってあり得るのです。他国民を入れる事は、百害あって一利なし!」

「陛下、どうぞこの者の意見をお取り下げ下さい。我々に利益など一つもありません!」

「…………っ、」


 ランシェルは拳を握り締めた。なぜ、この人達にここまで言われなくてはならないのだ。彼女は言い返そうと口を開く。

 ーーしかし。


「ーーうるせぇな。お前らにそれを決める権利なんかねぇだろ」

「ーーーー」


 ホールがしん……となった。

 ランシェルもゆっくりと声のしたほうを振り返る。

 貴族達の騒ぎ声を一瞬にして黙らせたその男は、周りからの鋭い視線にも悠然ゆうぜんとした態度を崩すことなく、ランシェルのもとまで堂々と歩いてやってくる。

 彼女の呆然ぼうぜんとした顔もさらりと受け流すと、その男ーーリュウは貴族達を振りあおいだ。

 彼の顔を見た瞬間、一番始めに声を上げた貴族がギリッと歯噛みする。


「……この……っ。クロキスカの犬め……っ。お前の顔など見たくないわ!下がれ!」

「ここは舞踏会の場ですのよ!貴方のような者が足を踏み入れて良い場所じゃないわ!」

「そうだ!消えろ!」


 これがお偉い貴族達の本質なのだろうかというくらい、ひどい罵声ばせいの数々だった。

 リュウはその暴言を無言で受けていたが、フッと堪えきれなくなったかのように一つ笑った。


「…………おいおい。ここにいる貴族どもは、王子に対する口の利き方も知らないのかよ」

「……な、に……?」

「私達は貴様を王子だと認めた事はない!」

「王に守られているからって、自分の立場も理解出来ないのか!」

「ちょっーー」


 思わずランシェルは身を乗り出した。これはあまりに失礼だ。


「…………下がってろ」


 だが、リュウはそれを制し、一歩前に出た。貴族達の顔ぶれを一周し、再び口端こうたんを持ち上げる。


「ーー立場を理解出来てないのはお前らのほうだろ」

「何だと……?」

「……勘違いするなよ。俺はこの国の王子ではない。言葉に気を付けろ。俺が今、全てを捨ててあの国に戻れば、お前らの領地なんて一瞬でぶっ壊してやれるんだからなぁ……」


 リュウの眼光がぎらりと光る。貴族達は押し黙り、視線をらす。それほど、今現在ブラウン王国とクロキスカ帝国に実力差があることがうかがえた。

 老人の貴族の拳に力がこもる。


「……けがれた血を引く化け物め……」

「ーー静まりなさい」


 今まで静観していた王が、口を開く。静かな声にも関わらず、その声は貴族達を一瞬で静まり返せるだけの迫力があった。

 その視線がリュウに移る。


「リュウ、冗談に聞こえない冗談を言うのは止めなさい。私達は貴方を敵だと思った事はありません」

「……………………」


 王とリュウの視線が交差する。

 ……折れたのはリュウのほうだった。

 膝を曲げ、胸の前に手を当てる。片足を地面につけ、王を前に頭を垂れた。


「ーーーー申し訳ございません」


 ざわっとホール内がざわついた。

 ランシェルも貴族達も、皆同じような思いでリュウを見つめた。

 あの、リュウが、王に対し、しかも公衆の面前で頭を下げる。

 この意味を、この場にいる誰もが理解している。

 リュウはブラウン王家の養子としての立場はあるものの、クロキスカ帝国の第一王子という肩書きも持っている。先程の騒ぎで、それは更に強く貴族達に印象付けられた事だろう。

 自分の立場をよく理解した上でのリュウのその行為に、貴族達はそれ以上何も言えなくなった。


「リュウ。先程のランシェル様からの提案。お前の意見を聞かせてもらえますか」


 リュウは王を見て一つ頷く。


「はい。私は、彼女の意見に賛成です」


 リュウは立ち上がった。王は続きを促す。


「確かに、先程までの抗論のように、クロキスカがユリテルド村を侵略し、ブラウン王国に攻めてくる可能性もありましょう。ですが、よく考えてみて下さい。ではなぜ、今までクロキスカはその暴挙に及ばなかったのでしょうか。それは、ユリテルド村の先代村長がクロキスカの前王と交渉し、ユリテルド村の資源を3国に平等に与える事を条件に、ユリテルド村を侵略しない事を誓わせた為です」


 ランシェルは無意識に手に力が籠る。王や貴族達も、真剣にリュウの話に耳を傾けている。


「つまり今、ユリテルド村、いてはこのブラウン王国がクロキスカに襲われないのは、ユリテルド村が3国平等を理念としているからこそ。それを今ここでユリテルド村から奪ってしまったら、この均衡は崩れ、ブラウン王国はほぼ間違いなく、クロキスカに滅ぼされましょう。……我々は、ユリテルド村に守られているのです!」


 はっとしたような表情をとった貴族達は、口を開きかけ、途中でその口をつぐませた。

 皆、その事実を改めて思い知らされたのだ。


「………………っ」


 ランシェルはたまらなくなって、リュウの隣へ走り出す。

 このまま、リュウに庇われたままではいけないと思ったのだ。

 リュウの隣へ並ぶと、王を真っ正面から見つめた。


「……私は、今回の件、自分のいたらなさを改めて反省し、ブラウン王家の方々には大変感謝しております。このご恩は、このままには決していたしません!……もしこの先、万が一にも他国がブラウン王国に攻め入る事があれば、すぐにでもクロキスカ、スティナとの貿易を廃止し、村のあらゆる資源を、貴国に供給致します」

「………………へぇ」


 横で、リュウが笑った気がした。


「ランシェルのいう事が本当なら、この国にとっては願ったり叶ったりじゃねーの?」


 元々3国がユリテルド村を必要としていたのは、戦争になった時に役に立つ道具が大いにあると思っているからだ。この資源を手に入れられるかどうかが勝敗を握る重要な鍵だった。

 それを、村長であるランシェルの口から、もし戦いが起これば、その全ての資源をくれると言ってきた。

 ブラウン王国にとってそれは、戦いに勝てる未来を約束されたも同然。


「……ですから、ユリテルド村は今まで通り、あらゆる人種の人々が自由に行き来出来る村のままでいさせて下さい。……ーーユリテルド村の村長として、お願い申し上げます」


 暫し、ホールに沈黙が降り立った。最早、ランシェルの言葉に反論を示す者はいない。

 王は一同をゆっくりと見渡し、ランシェルに視線を戻した。

 目を瞑って、開く。

 次の瞬間には、王はいつもの穏やかな笑みに戻っていた。


「ーーーーランシェル・ブランジェ。私は、貴女の意見に同意します。あの村は、貴女の村です。私達が不用意に触れて、壊して良いものではありません。あの平和で穏やかな村を、これからも守っていって下さい。我々も協力はしみません」


 王のその優しい笑みに、ランシェルは目頭が熱くなるのを止められない。

 最大限の感謝の気持ちを込め、ランシェルは王に対し、深々と頭を下げた。


「……ありがとう、ございます……っ」

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