大人は、嫌いだ
1
みちるちゃんの成績一位は一年生間で話題性トレンド一位を記録した。
これまで不登校生徒のイメージしかなく、テスト期間前までは学校にさえ来なかった。それが、秀才の結晶くんに勝ったという事実に、先生方も動揺を隠せなかった。ひとたび、みちるちゃんの悪い噂が出ようものなら、目ざとく注意するほど敏感になった。
こうなると否が応にも逆風くんに注目が集まった。私を長距離から転身させ、みちるちゃんを仲間に引き入れ、期末テストの賭けで学年二位の結晶くんを取り込んだ。
もはや台風の目である。その中心である逆風くんは、私たち四人の名前を書き連ねて軽音部の部活申請書を提出した。
先生たちから見ればテロだった。
昔の軽音部の生徒が覚せい剤を使っていたことで、うちの学校の軽音部は永久廃部になっている。ところが、学年首位と二位の名前があるから無碍にできないはずだ(ついでに長距離で全中一位になった私も考慮するかもしれない)。
軽音部の復活は、すぐに決まるはずはなく、結果は翌週になった。
――週明けの月曜日。私は放課後に進路指導室にいくよういわれた。
「……失礼しまーす」
進路指導室は、職員室のすぐ横の、書庫みたいな場所にある。
教室を半分にした大きさに、受験先の大学や大学試験の過去問が四方を囲んでいて、使われていない本の優しい匂いがする。
ここを使うのは3回目くらいで、長距離を辞める辞めないで何度も担任や顧問の先生と揉めた。当分使わないと思っていたんだけどな……。
呼ばれたのはいいけど、誰も来ないので椅子に座って足をぶらぶらする。
スマホに繋いだイヤホンを耳にかける。逆風くんが厳選した曲のクラシックが流れている。タイトルは忘れた。でも各パートのハーモニーが素晴らしい。
逆風くんがくれたアルバムは、ジャンルも楽曲も滅茶苦茶だ。ガキャガキャと騒がしい洋楽バンドっぽい曲が終われば、おばあちゃんが聞くような昭和歌謡。その次はドゥドゥっと低いリズムと、光線みたいな音が繰り返し流れるEDM系もある。
ジャンルがまったく違うのに、厳選した一枚のアルバムは、全曲とおして違和感なく、むしろ次の曲を引き立てるほど素晴らしい順番だった。
こと音楽に関して、何者だろうと思う。廃部だろうとエレキギターをもってきて、軽音部を立った一人で再興するため、学年首位と二位を手札にして教師たちを恫喝している。
――――。
ふと廊下のドアが開いた。一年生、日本史担当の
最果先生は三二歳の、全体から見れば若い先生で、二七のとき、うちの学校に就職した。外見は短髪で面長、筋肉質の一見すると体育会系。でも、部活動の顧問はおろか進路指導部の先生でもない。
授業は淡々としている。うるさい生徒は減点の警告などをして冷静でそつがない。また目力が強く、貫くような視線をする。初めて目が合ったときは、心の内を見られている気がしてなんか怖かった。頭よさそうにおもえた。
その最果先生は向かいに座る。私はイヤホンを外してぼんやりと待つ。
「きょうは呼び出してすまないね」
優しい声音に小さくうなずく。
「軽音部の結果を話そうと思ってね。本当なら逆風くんに伝えるのが筋だろうけど、今後の君のほうが大切だから呼んだ」
「どういうことですか?」
最果先生は小さく頷くと、指を二つ立て、一指し指を左手で覆い下す。
「まず軽音部は、限定的に復活する。部員は君たち四人のみ、そして私が顧問だ。ただし、学園内の活動は顧問の監視が届く範囲。つまり、学校での練習あるいは外でのライブは、私がそばにいなければならない。それは心得ていてくれ」
「わかりました」
正直私にはよくわからなかった。
試験が終わってギターを始めたけど、ただただ素人で、ギターコードを抑えるのも難しい。ピック捌きだっておぼつかないし、逆風くんみたいにスムーズかつカッコよく弾くのは夢のまた夢だ。正直、みんなで演奏――なんてレベルは到底無理だった。
「それと、私が顧問になった理由はドラム経験者でもある。君たちのパートをみたとき、抜けているのがわかったため、新しいドラムが来るまで臨時にやる経緯に至った。彼からしたら不服かもしれないが」
「いえいえ、助かります!」
逆風くんは、こればかりは経験者がいいといろいろ探していたが、そのお眼鏡に適わなかった。たとえ一時的にでもドラムパートがいれば、バンドの形になるはずだ。
「で、ここからが君のことになる」
最果先生が残していた中指を下ろす。
「このまま逆風くんに従えば、君は長距離の才能を棒に振る」
いつもの温和な声とはほど遠い、冷たく突き放す声音。
心の内を見透かすような瞳は、真価を発揮したように私の心臓をつかんだ。
「私は、もう、べつに気にしてないです」
「うん、それは知っている。君の人生だから自由だ。だからこそ気になっている。君は逆風大知くんの家を知っているかな?」
――――――――。
急に、核心を、突かれた。気がした。
「動揺しているね。彼も自分の家のことを話す性格ではない」
「あの、でも、家の前には一度だけ行きました」
「私も立派な家だと聞いている。当然だ。父親はクラシック界で革命を起こした天才指揮者。兄は超一流のヴァイオリニスト。2階建て一軒家に住むような一般家庭ではないよ」
息を飲んだ。
知らない。聞いてない。いや、話そうとしなかったから詮索しなかった。
何も知らなくたって、逆風くんについていけば楽しかった。
「彼もまたその才能を継いでいる。本来なら音楽系の学校に進学するところ、バンドをやりたくてうちの学校に入った。たしかにここは生徒の個性は強くて才能もあるが、べつに音楽系は強くない。変わっているだろう? まぁ、彼の家は異端だから変わっているのも無理はないが」
「どうして私に話すんですか。どうして必要ないことまで言うんですか」
語気を強める。精一杯の強がり。
ほんとは逆風くんのことをもっと知りたい。できたら先生からじゃなくて本人から聞きたい。だけど、知れば知るほど、逆風くんが遠くにいる気がする。
怖かった。
真実が。
これまでの現実を変えてしまうから。
「どうして、というなら敢えて答えよう。もし君に音楽の才能がなければ、時間をかけるうちに彼との溝が広がる。才能のあるものとないものは、同じ量の努力をしても、同じ到達点には立てない。それは長距離をやっていた君が一番よくわかっているはずだ」
――そうだ。
私と逆風くんの共通点は、【天才】の気質だ。でも、その分野は噛み合わない。彼が長距離が得意でないように、私に音楽の才能があるかわからない。
「勉強という分野は、将来役立つから何とかなる。いま勉強を疎かにしても、まだ二年あるから巻き返しも可能だ。何より、将来やりたいことを見定めなければ、東大でもないかぎりどうにでもなる。だから、結晶くんと明さんは問題にしてない」
「私は勉強ができないから、こうして話しているんですか?」
最果先生が首を振る。
「君の長距離の才能は稀有だ。それを棒に振って、あるかわからない音楽に向かうのは無謀だよ。凡人はいくらでもいる。だが、もし、あのとき長距離を続けていれば、常識の範疇に自分を落とし込めば、誰もが憧れる人生になるのではないか。君が大人になったとき、そういう後悔を抱えるかもしれないと、私は危惧する。
ここで失敗すれば、君はありふれた人間の一部になる。そして、いま、この瞬間の選択を一生引きずるかもしれない」
――これは、脅しだ。
否。将来なんていう、来るか来ないかもわからない未来に対する不安なんだ。
それもブラックホールみたいに永遠に広がり続ける不安。
先生は、私の選択を否定していない。
でも、すべてを語ったうえで、後悔しないようにしろと言っている。
いや、私が後悔しようがしまいがどうでもいいのかもしれない。
怖い。
失うのが?
平凡に終わるのが?
自分の思い通りにならないのが?
「先生は、私が女子長距離に戻れば、私が満足すると思っているんですか?」
「それを決めるのは月下さんだ。わかることは、君たちは高校生で大人になる準備をしている。何かを得るために、何かを捨てる。それが人生というものだ」
「無責任です」
悔しかった。他人に自分未来をいわれることが、
「あぁ、その通りだ。自分の人生の責任は全部自分にある」
「だったら――」最初から言わないで、とはいえなかった。
逆風くんの真実があったから。
真実は未来への第一歩を照らすから。
たとえ、その一歩の先が針の山だったとしても。
「君が抜けたら、軽音部の活動もなくなることを見越して言っている。逆風くんは怒るか悲しむかもしれない。だけど、彼は才能が何であるかを知っている。もしかしたら君に音楽の才能がなくて、そのことで君が悲しむことさえもだ。そして、君のことを悪くは言わないだろう。
これが最後の選択だ。どうするかよく考えて結論をだしてくれ」
おもむろに立ち上がって先生は、進路指導室を出る。
私は座ったまま項垂れる。
――卑怯だ。
大人は、嫌いだ。
自分たちの都合のいいように誘導する。子どもの弱点ばかりついてくる。
社会を知らないから? 働いてないから?
それが何だっていうんだ。
私は生きているんだ! やりたくない勉強をして、やりたいことを貫こうとして。
怠惰もある。惰性もある。
でも、後悔がないよう精一杯生きてるんだ。
なんでそれが失敗するなんていうんだ。
正解なんて誰もわかるはずないのに!!!!
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