1学期
意味わかんないし。優しいし
1
カーテンの隙間からオレンジの日差しが差していた。
朝だ。携帯のアラームより先に起きてしまった。頭がギンギンに冴えて二度寝できそうにない。
昨日の夜から興奮しっぱなしだ。
長距離のために引っ越しを決めたときよりも、すごく緊張している。
本当にこのまま進んでいいの? そう戸惑う自分と、もう決めたんだから進んじゃえ!っていう自分がいる。そしてそのまま進む。覚悟も勇気も持っている。
最後のレースが終わってから、私は初めて逆風君の家に訪れた。
彼の家はみちるさん同等、いやそれ以上かもしれない豪邸だった。自動シャッターを前で「何者?」って聞いたけど、鼻で笑われた。「知らないほうが面白いだろ」。
逆風くんは自動ドアを開けて中に入ると、五分くらいしてイヤホンと複数のCDをもってきた。CDの表面は白く、そこにNO.1など汚い文字で書いてあり、一番後ろはNO.13まであった。自分で焼いたらしい。
「これが私に渡す物? 楽器とかじゃなかくて?」
「いい音楽を知らなければいい物は作れない。いままで音楽に興味なかったんだからどっぷり浸かれ。練習はそのあとでいい」
「逆風くんの歌った曲忘れそう……」
「録音してあるから大丈夫だ。それよりいまは聴け。いいな」
これが逆風くんを追い抜く秘訣らしい。素直に頷いた。
「それと、ある程度音楽に慣れたら、今度は自分の好きな曲を探して選んでみろ。いまはサブスクに登録すれば、クラシックだろうが海外だろうがEDMだろうがいくらでも聴けるから」
「サブスクって何???」
私はわけがわからず首をかしげた。
そのときの逆風くんの表情といったら、私を宇宙人のように見ていた。
おい、めちゃくちゃ心外だったぞ。あんただって似た類のくせに!
「クラスの誰かにでも聞け。そうそう、音楽を聴くときはイヤホンがいいぞ。それ一つで二〇万するから」
「えぇ!?」
弟が欲しがってるパソコンより高いぞ!
お金持ちだから? それとも音楽が好き過ぎるから?
家でじっくり聴くとき以外は、コンビニで外出用のものを買うことにした。
私はひたすら音楽を聴いた。家での勉強中もお風呂のときも寝ている間も流した。
通学時もそうだ。無音の時間が一つもない。
貪欲に、がむしゃらに、無心に、わけもわからず、理解不能でも、走るみたいに、聴く。
――立場が逆転しちゃったな。昨日まで私が優位だったのに、彼の世界に立ったら到底追いつけない。
でも、だからこそ、やる。
逆風くんも挑戦したのだ。私がやらずにどうする。
負けず嫌いが立って田舎から出てきたんだ。負けてなるものか。
昼休み。
私と逆風くんとみちるちゃんは三人で机を囲んでいた。コンビニや購買のパンやお弁当で、誰も母親(父親)特製の弁当はない。寮暮らしの私はともかく、豪邸に住む二人は珍しかった。家族間が悪いんだろうか……。気にあるけど、ナイーブな問題なので伏せておく。
「おい、根暗。月下が正式にバンドのボーカルになったからお前もベースやれ」
相変わらずの呼び方に眉がぴくっと動いたけど、みちるちゃんは、パスタをフォークでくるくる回しながらコクっと頷くだけだった。
「ほんとにいいの?」
「うん。約束。月、やるならやる」
澄んだ瞳で私を見ながらぺろりと口に入れた。なんか様になるなぁ……。
三人で集まるようになってから、みちるちゃんはちょいちょい私と会話するようになった。接していると、私のことを好いている雰囲気だ。それは私も嫌いじゃなかったし、むしろ仲間ができて心強かった。もっと仲良くなったらお泊り会とかしたい。
「長距離。大丈夫?」
「もう平気。私、スイッチ入ったらそれに爆走するタイプだからさ」
「そう。……同じ」
少し頬を赤くして、ごまかすようにパスタをくるくる回すみちるちゃん。
逆風くんは私の反応をさして気にもせず、椅子を引いて背中を曲げた。
対角線上の席には、参考書を見ながら弁当をつついている結晶くんがいる。
逆風くんは露骨にため息をつくと、
「あとはガリ勉だけだ……。どうすればいいと思う?」
「結晶くんは無理だよ。大体、東京で普通のサラリーマンを目指しているんだよ?」
「普通を望もうとする人間ほどどっか破綻しているもんだ。自分がまっとうじゃないことに気付いているのに、その事実に蓋をしている」
「別に悪いことじゃないと思うけど……」
そういって、いちご牛乳の三角パックをぺこっと凹ませる。
「逆風。なんで。結晶。固執する?」
さっきまで首だけ縦に振っていたみちるちゃんが、不思議そうな声でいった。
「以前に、あいつのピアノは好いているっていったよな。北国出身のあいつの音は、雪の冷たさと温かさが同時にあるんだ」
「雪って暖かいの?」
「たしかに冷たい。が、ときに雪は人を優しくするんだ。それがあったかいんだよ」
わかってたまるかい!
こいつの言語センスに全然ついていけない。
「そして、ピアノという楽器には熱と冷気の二つの属性が備わっている。あいつの演奏はピアノの本質を引き出しているんだ」
「みちるちゃんはわかった?」
「逆風がいうなら、そう」
みちるちゃんは逆風くんの天才感を認めているみたい。
彼女もこっち側か。
逆風くんはむしゃくしゃしたように、焼きそばパンをむしゃむしゃと口に入れる。牛乳をジブリ映画みたいに勢いよく吸った後、
「俺は、世の中の人間がどうして夢をもたないか理解できない」
「満たされてるから……」
さらっとみちるちゃんが答える。
たしかに。クラスの人を見てもみんな裕福だ。うちの両親もそうだけど、真面目に働いておいしいものを食べて生活できれば幸せだっていう。
そんな日々に渇望するようなものは、普通ないよね……。
「やっぱり、あいつの音は必要だ。行ってくる!」
ちょ、待っ――私が制止するより早く椅子を引いて駆け出していく。
「アホ」
みちるちゃんは冷たくいうともう冷めたパスタを滑らかに回した。
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