幻想・性的快楽

小澤怠惰

序章

 端田はしだ棟吉とうきちは酒、煙草、女をいっさい愉しむことができなかった。酒には弱いし、喘息持ちで煙草は吸えないし、人の肉体に興奮できなかった。

 恋人はいた。名は榊原さかきばら燈子とうこといった。棟吉は彼女を愛してはいたが、その布を剥いでも、触れてみても、声帯の震えを聞いても、その肉体にはいっさい興奮できなかった。

 趣味はなかった。写真が趣味の友人に誘われて神戸へ写真撮影に出たことがあったが、楽しいとは思えなかった。写真はそれっきりだ。スポーツも学生時代にテニス、バスケットボールから山登りまで色々やったことはあるものの、続ける気にはなれなかった。

 彼がやることは全て生きるための手段だった。彼がしていることに対して、なぜそれをするのかと理由を尋ねてみると、きまって「生きるため」と返ってきた。仕事も生きるための手段としか考えていなかったし、食事も、睡眠も、何もかもが、生きるための手段に過ぎなかった。


 そんな彼には毎日の楽しみというものがなかった。


 ある日の夕方ふとテレビをつけると、今話題の俳優が出ているドラマが流れていた。ちょうどベッドシーンで、棟吉には、何が楽しくてこんなことをしているのか理解できなかったが、ぼーっと観ているうちに、このように女に夢中になることができたらどれだけ楽しいだろうと、そう思った。


 実際に興奮はできないが、女に興奮する気分は味わってみたい―――。そんな棟吉は性的快楽を擬似的に得るべく、あらゆるものが性欲を持ち、性的快楽を得ると想定し、そのものになりきって小説を書くことにした。

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