003 弟の愛(なお誤解の模様)


 自室にやってきた弟とその刀を前に、俺は内心の殺意を抑えるのに集中するしかなかった。

(まぁやろうと思って、殺せるかはわからんが)

 そんな俺の葛藤を知ってか知らずか、弟は俺が鉄姫を取り出して一太刀でも刃を振るえば簡単に首が落とせそうなぐらいに油断した心地で、俺の間合いの内側に星雨姫と立っている。

 しかし、そこまでされると俺は逆に緊張してしまう。

 相手は武装もせずに隙だらけ。

 俺が収納印から鉄姫を取り出し、弟の首を一閃するのにかかる時間は一秒も必要がない。そのように見える。

 だが、それは恐らく

(そう、これは高度な擬態だ。共に修練することもなくなったからわからんが、幼い頃は俺よりも一歩抜きん出ていた男だ。武の才は俺以上、油断仕切った姿でも、俺の刃を避け、返す刀で俺を一撃で斬り殺すことぐらいは余裕だろう……)

 瑠人め、恐ろしく大胆不敵な奴だ。

 自らの命を餌に、俺の攻撃を誘っているのだろう。

 大天才である俺を超える超天才ともなると、敵がいないのか。こういう命を賭けた遊びでもしないと退屈なのかもしれん。

(惚れ惚れするほど完璧な擬態だ。俺の目から見てもまるで凡人にしか見えん。全身に刃を打ち込める――ように見える。隙だらけにしか見えない)

 しかも弟は、体内の霊力も、まるで凡人がごとくにしか見えないという偽装までしている徹底っぷりだ。

 だがな。流石にそれに関しては俺は騙されないぞ。

 根拠がある。その程度の霊力では絶対に最上級の刀姫は扱えないからだ。

 刀姫と魂結びの儀を行って、正式に契約したということは刀状態の刀姫を振るい、権能を使えるだけの霊力がなければならない。

 でなければ最上級の刀姫は武器としての力を発揮できず、ただの愛妾として弟の寿命までの間、過ごさなければならなくなる。それは武家としては完全な無駄な行為ゆえ、絶対にありえないのだ。

 ありえないというのに、今目の前の瑠人は、俺の目には最上級刀姫である星雨姫を扱えるほどの霊力はないように見せかけている。

(弟め。兄をそこまで愚弄するか)

 俺は自ら術式を開発するぐらいの天才だぞ、そんなことぐらいわからないわけがないだろうが。

 それに、奴に対して警戒するのは他にも理由がある。

 俺が色に溺れた凡人にしか見えない瑠人に対して警戒するのは、こういうタイプの大業鬼と俺は大龍穴で戦ったことがあるからである。

 強敵であり難敵であったあの大業鬼。雑魚中の雑魚である小鬼のように擬態しつつ、いざ俺が油断した瞬間に完全なる暗殺者がごとくに俺を殺しにかかってきた化け物中の化け物。

 思い出せば肌が粟立つようにして俺の警戒心を巻き起こす。

 かつて戦ったあの鬼は、完全に小鬼のようにしか見えなかった。だが俺が子鬼相手だと思って手ぬるい攻撃を仕掛けた瞬間、一秒も掛けずに戦闘態勢に移行し、俺を絶殺するのに十分な技量と瘴気でカウンターを仕掛けてきたのだ。

 初手で殺されなかったのは運に近い。

 あれのおかげで俺は対策として、両前腕に過去の武人の歴史を用いて・・・作り出した術式図である【義侠大武人千人斬図】――骨格・筋力・反射神経の常時微強化かつ任意で霊力を通すことで特大強化が可能な創作大術式――を生み出し、刻印する必要に駆られたのだ。

 ゆえに、俺は全身全霊で弟を警戒する。奴の腕前なら気づいた瞬間に俺の首が落ちていてもおかしくはない。

 両前腕の術式図に霊力をいつでも通せるように警戒しつつ、俺は、俺を嘲る弟に向かって頷いてやった。

「ああ、去勢な。そういうことになったよ」

 くく、と蔑んだような目で見てくる弟。

「なぁ、兄貴。婚約者寝取られて悔しくねーんか? そういうことになった、とか冷静ぶっててアホみたいだぜ?」

みのりあれに対して情や信を抱いたことはないからな。あまり気にはならんな」

「冷てぇなぁ、兄貴よぉ。みのりはあれで兄貴を好いていた時期があったんだぜ?」

「何年も前のことだろう? 俺はそのときには大龍穴にいたからな。みのりに関しては全く思い出すこともなかったな。そういう意味では、彼女には悪いことをした」

 寝取られたと言っても、その程度の関係だから寝取られただけだ。

 命がけの毎日で術式の開発と剣技の修練に精一杯で、手紙もあまり送ってやれなかった。そのせいで気持ちが離れたなら、やはり俺のせいだ。

 そんな俺を瑠人はつまらなそうに見た。そうして、へ、と意地が悪そうに俺を見て、傍らの星雨姫の胸をいやらしく揉んでみせる。

(挑発か。やはり攻撃を誘っているな)

 龍頭家の筆頭刀姫である星雨姫は、名ばかりとはいえ当主となる俺の刀姫となる予定だったのを、魂鎮めの剣聖である瑠人がゴリ押しして奪っていった経緯がある。

 つまりは俺の女となる予定でもあったのだが――ああ、なるほど。

 この愚弟め。俺の前に星雨姫を連れてきたのはそれが理由か? 俺を挑発し、激昂させることで攻撃を誘発させようというのか……――それとも、ただ単純に徹底的に馬鹿にしたいだけか?

「刀も女も奪われて、当主であることも奪われるとかよぉ。兄貴はマジで男として終わってんなぁ。くく、俺の種で生まれた子供を自分の子供にして、あんたは去勢されて、あんたの血はここで断たれる。ははは、バァカだねぇ。何の為に生きてるんだろうねぇ? くくくく、はははははは」

 反論しても無駄だと黙っていれば、そんなことをずっと瑠人は言い続ける。俺は出来損ないだとか、自分の為に全てを捧げてくれてありがとうだとか。

 だが、あまりそれらは俺の心に響かなかった。

 なぜなら現実として俺は強くて最強で大天才であったし、何より、俺が愛する女は誰一人奪われてなどいないからである。

 俺に寄り添い、共に戦ってくれている愛すべき鉄姫と夜姫がいる。

 それに比べれば、番われる予定だった女がどれだけ奪われようがなんの意味があろうか。

 しかし、それよりも気になることがあった。俺を罵倒し続け、俺に向かって前のめりになっている瑠人は本当に隙だらけで――これ、斬ってもいいんじゃないのか?

(これは、このタイミングなら、いけるんじゃないのか?)

 挑発に一生懸命の瑠人はまるで凡人というか、そのへんの路地裏のチンピラにしか見えない。いや、瑠人はあまり実戦の機会はなかったはずだ。箔付けのためにちょっとした野党討伐の指揮を行ったが、刀を振るうことなく本陣で酒を飲んでいたとも聞く。

 だからこそ、こうして下手くそな挑発を俺にしてしまって、隙を晒している、のか?

 魂鎮めの剣聖ともあろうものがそんな下手を打つか?


 ――それとも、これはもしかして。


(まさか、瑠人。お前は――)

 弟の真意・・に気づく。まさか、お前……正気か?

 俺は、瑠人の好意・・を無碍にしてはならないのだと、兄としての直感で、奴の思惑を全て一瞬で悟ってしまった。

 そうか。そういうことか? 


 ――まさか、俺を助けてくれるのか?


 機能しているか怪しい大龍穴の結界。増え続ける強力な鬼ども。避妊もせずに相手をしていたという俺の婚約者。

 そして、この、そのへんのチンピラにしか見えない挑発。

 最強の魂鎮めの剣聖が、凡人にしか見えないほどの隙を晒している無様にしか見えない姿。

 ダメ押しとばかりに、この場では全く役に立たない大太刀の刀姫。

 理性はまさかという驚愕を俺に与え、だが状況だけが弟の献身・・を俺に教えてくれる。

(ふ、まさか、兄弟愛がこいつにあったとはな……)


 ――まさか俺を追い詰めているお前が、逃げろ・・・、と。そう言ってくれるのか。


「兄貴はよぉ! クソみたいに真面目なくせに要領も悪くて小鬼一匹しか討伐できねぇクズだがよぉ。顔だけは俺に似てイイからよぉ! チンポ切り取ってメスになったらケツ穴使って下人どもの相手でもさせてやろうかと――」

 俺の頭を蹴り飛ばす弟、だが俺は強力な体幹で小揺るぎもしない。悔しげに舌打ちする瑠人が不格好に足を振り上げ――ここだ。

(すまん。弟よ、そんな見え見えの隙まで作ってもらわねば、俺はお前の慈悲に気づけなかった)

 鬼斬流は鬼狩りの剣技だ。ゆえに、人に化けた鬼を殺すために、座った状態からでも振るえる技がある。

 鬼斬流が居合技。龍牙りゅうが

 これは本来、座った状態から、立ち昇る龍が如くに、飛びかかるように刀を抜きつつ、敵を斬りつける技だが、これに俺は、この一瞬で自らが持つ刻印術を加えてアレンジした。

 なにしろ相手は剣聖だ。俺への慈悲と、兄弟愛でこのようなことをしたとはいえ、剣聖がむざむざと俺を逃すことなど外聞も悪くできないだろう。

 俺がそれなりの相手であったということしなければ、弟だろうと悪評は免れない。

 ゆえに俺は両足首に刻んだ【大跳躍印】と、両脛に刻んだ【義侠美髯公千里行図】――走力・持久力・瞬発力・脚力の常時微強化かつ任意で霊力を通すことで身体能力の特大強化が可能な創作大術式――を用い、【収納印】から鉄姫の柄だけを出すと、鬼斬流が居合技を、座ったまま、刹那の速度で放つ。

(鬼斬流刀法、這い龍牙が改め、昇り龍尾)

 俺の身体が布団の上から座った姿勢のままに跳躍していた。同時に、手に握った鉄刀が神速で放たれる。速力、乗せた霊力、気合、全てが十全の、万全以上の一閃。


 ――刃はするり、と手応えすらなく目標物を切断する。


「――へ?」

 弟の呆然とした声。だが俺は刀を振るい、宙空にいるまま(どうなった!?)とあまりの手応えのなさに、現実が信じられず目視での確認を必要とした。

 背後には唖然としたような瑠人の姿。その傍らには宙を飛ぶ、弟の右腕。

(瑠人よ、お前、ここまでするのか!?)

 なんと、弟の奴、俺の太刀である鉄姫が最下級の鉄刀であることから、霊力のガードすら解いてくれたのか。

 剣聖ほどの存在が霊力で肉体を保護すれば、如何な刀姫であろうと、鉄刀の格では肉体を斬れないゆえに。

 無論、鉄姫の権能を用いれば如何な剣聖であろうとも霊力のガードは抜けるが、権能を使えばこちらの霊力消費が大きくなる。弟め、兄の消耗を避けてくれたか。

 着地し、思わず俺は叫んでいた。

「すまない。慈悲に感謝する。瑠人おとうとよ!!」

『へ? へ? 雅人様? 今、鉄姫で人間斬りませんでしたか!?』

「気にするな! 不甲斐ない兄に対する、弟の慈悲だ!! 逃げるぞ!!」

 いきなり収納印から引きずり出され、刃を振るわされたことから、頭に響く鉄姫の混乱を無視して俺は逃走を開始する。

 背後では思い出したかのように、弟の傷口から噴水のように血が吹き出す。

 だが俺は振り返らない。大げさに慌てたような弟の姿だが、血が吹き出ようと霊力で傷口を塞げばいいだけだからな。

 ああやって自らを犠牲にして、奴は追手の追撃を緩めてくれようとしてくれているのだ。

 ゆえに弟の献身に応えるべく、縁側から庭園へと駆け出した俺は、両足裏の刻印図である【猿神使役金雲図】に霊力を通し、目前の宙空に黄金の雲状の足場を作ると、それ目掛けて【大跳躍印】で飛んでいく。

 追撃はまだない。いや、この家の武人の力量は把握してる。父によって腑抜けにされたグズどもだ。そんな追手など速度でぶちぬいてやる。

 そう思ったときには俺はすでに夜想国が首都、夜都の空の上にいた。龍頭家の上屋敷はとうに視界の外だ。

 遮蔽物のない空中といえども、自前の霊力による身体強化に加えて、脚力強化の【義侠美髯公千里行図】と筋力強化の【義侠大武人千人斬図】を起動させているのだ。一足で百メートルは距離を稼げるがゆえの速度。

 ただしこんなことをしていれば羽虫や甲虫、飛んでいる鳥にぶつかって痛いことになるから左肩の【神聖大盾印】で障壁を二重に作った自分の身体を守りながらだがな。

 鬼がいなくて助かった。見つけたら俺が処理してるけど、このへんの上空って大龍穴に近いせいか、この辺って、たまに空中に鳥型の鬼とか飛んでるしな。

 もちろん大盾印の二重障壁ならば突発的な鬼との遭遇でも問題はないが、今は一秒でも早くこの国から離れる必要があった。

『え? え? あの、雅人様、なんで逃げてるんです?』

 収納印に収めていたために鉄姫は俺の状況を全く知らない。こいつを故郷から連れ去ってしまうが、愛の逃避行だな。まぁ許してくれ。

「去勢すると父上のお達しだ。だから弟が逃してくれた!!」

『弟様が? へ? なんでです?』

「兄弟愛だよ! あいつめ、最初から俺をあの家から出してくれるつもりだったらしいな!!」

 そう、剣聖である弟は、大天才な兄とはいえ、ただの人間である俺が家にいては冷遇されるだけだと考えたのだろう。

 だからこうして、俺を逃がすために周到に、それこそ直前に俺だけが気付けるような企みをしたのだ。

 今思い返せば、全てに意味があった。

 大龍穴に結界を張っているように見せかけていたのは、俺を鬼と戦わせて鍛えるため。

 刀姫どもを全て奪ったのは、故郷を出ていく俺についてきてくれるような、龍頭家ではなく、俺に忠誠を持つ刀姫と契約させるため。

 婚約者を寝取ったのは、寝取られるような婚約者などなんの役にも立たないから捨てろと俺に示すため。

 役人どもが俺の成果を過小に報告するのは、俺が重要な戦力となって、周囲に利用されて逃げられなくなるのを避けるため。

 そして最後に奴が俺の婚約者と子供を作り、俺が龍頭家の当主でなくともよくしてくれたのだ。

 弟自身は魂鎮めの剣聖として国の中枢を治める夜想家の当主となる身だからな。だが龍頭家出身の剣聖と、龍爪の血を継いだ子ならば十分以上に龍頭の当主としての格は持っている。それこそ、俺がいなくなっても問題ないぐらいに。

「瑠人の振る舞いは全て、俺のためだったんだよ! くく、奴め。クズに振る舞っているがその実、情に溢れたいい男だったな!!」

『え、えぇぇ、ちょっといい感じに捉えすぎてませんか~? 絶対になんか誤解がありますよぅ!』

「馬鹿な! じゃあ、魂鎮めの剣聖である弟がたかが鉄刀の一閃を無防備に受けたことをどう説明する。霊力ガードなんてガキの剣士でも習う初歩の技法だぞ。剣聖が全力で霊力を回せば鉄刀の一閃は確実に防げる。何しろ俺なら防げるからな。俺以上の使い手の弟ならば絶対に防げないとおかしい」

 高速で流れすぎていく夜景を背後に腰に差した鉄姫に言えば、鉄姫は『たかが鉄刀って鉄姫に失礼ですよぅ! でも、じゃあ、本当に? 雅人様のこうなったらいいな的な妄想じゃなくて? 瑠人様はわざと憎まれ役を?』と言ってくる。

 俺はそれにこくりと頷いてやった。

 そうでなければ、奴が俺を逃がす理由がないからだ。

 この遠大な計画、きっと奴の自我が発生した瞬間に、不遇を囲うとわかった兄を助けようと思いついたのだろう。

 ならば弟の計画に乗ってやらねばな。まぁ逃走先が俺次第みたいで細部がちょっとガバガバだが、そこは俺の器量を信じたとしておけばいいだろう。

『あ、逃走先ってどうするんです?』

 俺の思考の表層を読んだ鉄姫が聞いてくるから。うむ、と答えてやる。

「このまま海の上を駆け抜けて、外の大陸に行けばいい。知ってるか? 大陸には大鬼のように瘴気で生まれる魔物モンスターとかいうのがいてだな。そいつらを狩って、生計を立てる冒険者という職があるらしいぞ。そして幸いにも隣の大陸の主要言語は初期の当主教育で履修済みだ」

 言いながらも逃走は続けている。

 黄金の雲の上を俺は駆けていく。


 ――遠目にこの国を象徴する富士の山の山頂に咲く、巨大な神木である夜想桜の姿が見えた。


 夜気と暗闇に沈むこの夜の闇の中でも、神気に満ちて淡い光を放つ夜想桜は神々しく美しい。

 だが、俺は魂鎮めの剣聖である弟を斬って出てきたのだ。

 俺があれを見ることは、二度とできないだろう。

 感傷に揺れる俺に対して、鉄姫から思念が届く。

『まぁよくわかりませんが、鉄姫は雅人様についていきますよ』

「助かる、っと夜姫にも言っておかないとな」

『ですねぇ。もう香餡堂の餡蜜食べれないですからね』

「うむ。謝らないとな」

『あー、大鬼とかどうするんですかぁ? 誰が今後倒すんです?』

「そんなの弟が結界張り直せばいいだけだよ。もう緩くする必要ねーんだから」

 そんなことを言いながら、俺と鉄姫は夜の空を駆けていくのだった。



 俺は結局、二度とこの国には戻らなかった。

 そうして大陸で活動中に、この国が滅んだと聞き、国の跡地に訪れるのはこの夜より数年あとのことになる。


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