剣聖追放からのざまぁ
止流うず
本編という名前のプロローグのみ
001 名ばかり当主
大龍穴から立ち上る仄暗い煙。
それを見ながら今しがた殺した大鬼の骸を三十体ばかり、それと今回の百鬼夜行の
自分の処理の仕方の雑さに、皮肉げに片頬が持ち上がる。
無論、俺とて大鬼の角だの皮膚だの骨だの肉だのが武具や薬の素材として役に立つとは聞いているが、こんな巨大なものをいちいち持ち帰るのが手間である以上、一番価値のあるものを回収し、簡単な瘴気祓いを行って、この穴に叩き込むのが処理としては一番楽な方法なのだ。
「なぁ、
四方全てを海に囲まれるも、この大龍穴による豊かさを甘受することで一千万もの人間が暮らすことができている巨大な島、
その焔桜島を支配する唯一の国を、
そして夜想国に存在する、大龍穴の監視役たる
つまりそれは大龍穴から溢れ出す鬼退治を、剣聖様の双子の兄にして、龍頭家の当主たる俺が引き受けて八年経ったということでもある。糞が。
(ま、俺が当主って言っても名ばかり当主。政務のほとんどは前当主のクソ親父がやっちゃいるがな)
俺がやっているのはこうやって最前線たる大龍穴の前に立って身体を張ることだけ。
とはいえ、部下の一人もつけてもらっていない。当主なのに。
いや、こんな重要な仕事を一人でやらされているというのがな。俺の報告なんざ聞いてもいないんだろうけど。
そもそも十歳からこんなことをやらされているから、当主教育なんざほとんど受けられていない。
俺が大防人頭として、ここに来る前に教えてもらったことなど、せいぜいが龍頭家が継承する鬼斬流の刀法と、陰陽師どもが使う術式の作り方と読み解き方の初歩を教わったぐらいのものだ。
なので、あとは実家の書物を紐解いての我流である。
――我が家はこれで大丈夫なのかよ?
そんなことを考える俺の頭の中に、カラカラと、町娘のような笑い共に気楽そうな女の声が流れ込んでくる。思念だ。
思念の出先は、俺の腰に治まった刀からである。
『そうですねぇ。たぶんこんなものなんじゃないですかぁ?』
「いやいやお前、なんで刀姫なのに知らねぇんだよ?」
『だから
内心で舌打ちすれば『聞こえてますよぅ』と言われる。俺と刀姫である鉄姫はお互いの魂を結ぶ、
ああ、わかってるよ。そうだよな。お前は何にも知らねぇ村娘だもんな。だけど愚痴でも言わなきゃやってられないぐらいに今日もひどかった。霊力で身体を守っているとはいえ、死の危険が幾度もあった。
鬼どもめ、散々に打ち倒されているせいか、死にものぐるいだった。勝利を捨てて、俺に一撃加えることだけを狙ってきてやがる。
「俺の味方はお前ぐらいなもんだ」
『いえいえ、それほどでもぉ』
カラカラと笑う、俺の佩刀たる最下級鉄刀――
最下級と言っても、俺が鉄姫に絶対的な信頼を抱いていた。なぜなら、如何に俺が剣の腕に優れ、数多の術式を行使できる絶世の
とはいえ俺は夜想国を支える龍家の筆頭たる龍頭家、その当主である。
ならば上級上位の
だけれど俺が手に入れられたのは、うちの領地で生まれた最下級の刀姫が一振りだけ。
十歳のガキが、こんな地獄につながった大穴の前に、刀姫を一振りだけで、叩き込まれる。
最初からおかしいんだよ。腕の良い剣士でも鉄刀片手に大龍穴に放り込まれたら、いつ死んでもおかしくないというのに。
――否、確実に死ぬか。
今日倒した大業鬼、あれは町中に出れば龍頭家生え抜きの剣士の中隊ぐらいは朝飯前とばかりに平らげるような化け物だった。
あんなもの、普通にやったら鉄刀ごときじゃ殺すことは愚か、肌に傷をつけることすら不可能だ。
俺だから倒せたのである。
自画自賛するが、普通の剣士じゃ十中十で死ぬ。俺が生き残ったのは、俺が天才的な剣技と術式の使い手だからである。
(そんな天才の俺がこの待遇。不遇にもほどがあるよな……俺って)
あーあー、顔も良くて血統十分な大天才の俺がこんなところで、冷や飯ぐらいとは、マジで俺って可哀想な奴だわ。
そう、
評判も悪い。弟の出がらしだの、出来損ないだの、ゴミクズだのと呼ばれ、幼い頃から婚約していた婚約者にも浮気される始末。
こうして最下級の刀姫を与えられ、共も与えられずに大龍穴の掃除を行わなければならないぐらいには死んでも良いと思われている。
それが俺、龍頭雅人の日常。
「はぁ――帰るか」
『帰りますかぁ』
言いながら背後を振り返る。あれだけの大鬼を殺しても大龍穴から溢れる瘴気に変化はなく、仄暗い煙を吐き出すばかりだ。
「こうやって鬼をぶっ殺しても来週には復活してるんだからマジで徒労だよな」
『そういうものじゃないんですかぁ?』
「そういうもの――じゃないと思う、んだが」
俺は自らの生存のために数多の術式を自作したほどの大天才だ。しかし剣聖と夜想家の姫巫女たちだけが使えるとされる結界術の指南は受けたことがない。
だからいまいちわからないが……一応の根拠はある。
俺は十歳からこうして鉄姫片手に大龍穴に立ち向かってきた。
そのときからこの結界はこんなものだった、というわけではない。
それだったらいくら大天才の俺でも早々に死んでいた。
最初は月に大鬼が一体出ればいいぐらいで、百鬼夜行なんて形成されなかったし、大業鬼なんて大物は影も形も見えなかった。
酷くなったのはここ数年のことだ。
「鉄姫は覚えてないだろうが、最初の頃はまだマシだった」
『そうでしたっけぇ? 雅人様の腕がなければ倒せて小鬼がせいぜいの鉄姫にとっては大鬼以上はどれも一緒ですからねぇ』
3、400年前の剣聖様が施した魂鎮めの結界が綻び始めたのはちょうど双子で生まれた我ら兄弟が十歳になったころだった。
前当主である父がそのときに出てきた大鬼と戦って負傷して、俺に当主を譲った。
ガキに当主譲るとか幼い頃はマジで何考えてるかわからない人事だったが、今考えるとたぶん俺があっけなく死ねば俺の責任にして、自分の責任を軽くしながら大防人頭を別の誰かに擦り付けられるとでも思ったのかもしれない。
前の剣聖様がかなり長生きして、かつ腕も良かったために随分と丈夫だった結界のおかげで自らは小鬼ぐらいしか退治したことのない父だからこその判断だ。
あの人は剣士としては並だからな。大鬼に大怪我をさせられたことで、死にたくないと思ったのだろう。
加えて言えば、当時は魂鎮めの剣聖である弟が生まれて、運気が回ってきたのか領地で豊作が続いていたので、武人としての役割を終えて、安全な領地経営に専念したかったのかもしれない。
思念を読んだ鉄姫がけらけらと笑っている。
『
「俺もそう思う」
はぁ、と深いため息を吐き、大龍穴の傍に作られた壊れかけの神社みたいな詰め所に向かう。
一応ここでは神様も祀ってるらしいが、修繕費用すら出ていないここの社はもうボロボロで何の神を祀っているのかもわからないぐらいである。
というか、ここの神様はとっくに逃げ出してると思う。誰もいないし。
(社直せば戻ってくるかもしれないのに)
まぁどうせ龍頭家が修繕費用を着服してるんだろうな。
もともとは大龍穴から溢れた鬼を退治する勇敢で忠義に篤い一族だったらしいが、長年の平和で、淀んで腐って、ウジが湧いた。
うちはそんな蛆虫が前当主をやっているうんこの家系で、そんなうんこの家系だから、現当主たる俺にはマシな側仕え一人いない。
(龍頭家でまともな人品を持ってるのは俺だけだわ)
そもそも大防人頭という役職付きなのに、ここに戻ってきても役人一人しかいないなんて異常でしかない。
本当は大防人頭は後ろにドンと控えて、防人頭二名と防人百名が常駐するのがこの部署なのだが、前当主である父は俺が大防人頭になった瞬間から予算を削減して俺一人と、報告を聞く役人一人しか置いていない。
そんな唯一の部下である役人は、椅子に座ってタバコをやっていた。
暇をつぶすためか夕刊を読んでいた役人は俺に向かって「報告は?」と聞いてくる。なぁ、上役だぞ俺。抗議しても無駄だからいちいち言わんが。
「今週は先週と同じだよ。大業鬼一匹、大鬼三十匹、小鬼は無数。百鬼夜行って奴だな。討伐後に大龍穴と周辺の龍穴を念入りに
「そうですか。
目の前でいい度胸であるが、もう諦めたやり取りだ。昔は討伐した証拠である首だの角だのを持っていったが、裏で龍頭家の軍に素材を横流しされて、結局小鬼一匹と報告されていることに気づいてからは鬼どもの討伐の証拠を報告のために拾うのもやめている。
「証拠の魔石などはありますか?」
「ねぇよ。隠れて換金されてお前の小遣いになるぐらいならってことで龍穴に捨ててる」
「そうですか。それは残念ですねぇ。証拠の魔石があれば貴方の虚偽報告は本当だとわかったでしょうに」
「はいはい。じゃあ俺は帰るよ」
「お疲れさまでした」
「はいよ。お疲れ様」
当主といってもこんなものだ。側仕えもおらず、部下には舐められ、婚約者は寝取られる(俺は寝たことないが)。
龍頭家の実権は当主とはいえ、剣を振るうだけが脳の俺ではなく、政治力に優れた隠居した前当主が持っており、俺には忠実な側近どころか、信頼できる仲間すらいない。
『仲間なら愛刀兼愛人の鉄姫がいるじゃないですか』
「そうだな」
腰の刀をぽんと叩けば、にこにことした気配が帰ってくる。
『そんな愛刀のために、今日は龍尾領の高級椿油で拭いてくださいね~』
「わかったわかった」
現金なものだと苦笑する。俺が自由にできる現金はほぼないが、
そんなことを考えていれば頭の中に別の声が響く。
『夜姫は香餡堂のあんみつを……』
「夜姫、目ぇ覚めたか?」
『うみゅ……ぐぅ』
腰に吊るした鉄姫の横で、加工された
働かせたとはいえ、眠気混じりの思念に俺は苦笑するしかない。
夜姫は、俺が創った術具に宿る樹霊である。
焔桜島の中心地である富士の山。
その頂上に生える大神霊宿りし神木である夜想桜より年に少量だけ切り出される神木の枝は、術具の触媒としては最高の品だ。
とはいえ、龍頭家の当主とはいえ、名ばかりの俺ではその枝を手に入れることはできない。
ゆえにその枝の、術具の媒介としては使えないとされる端材を五年前に俺が拾ってきて、自分で術具の形に加工し、霊力を込めた漆と富士の霊水を三度と五度塗って、吉兆を占ってから、星辰が揃う最上のときに、最上級の霊地である大龍穴の地の月明りの下で術式を刻んで作った際に、この夜姫が宿ったのである。
とはいえ本来、どれだけ好条件を揃えたところで、端材で作った術具に樹霊が宿るなど前代未聞ではあるのだが……まぁそこは俺が天才であるからと言っておこう。最高に良い道具を創ってしまったのだな。
ただ、神木の枝から作った術具は、術者の霊力を吸って成長する。
今の夜姫は術具としては大術式を一度か二度使えば眠ってしまう程度でしかないが、魂結びの儀を経てから折を見て精と霊力を吸わせている。
育てば、いずれはまともに使える術具へと育つはずなのである。
『夜姫は……ふつー。雅人が霊力馬鹿で術具泣かせなだけ』
「くく、俺が最強に大天才ってか。嬉しいこと言ってくれるもんだな」
『霊地を焼かずに、鬼だけ焼く炎を広範囲に放つとかふつーじゃない』
「大天才だからな」
『雅人が剣聖だから……ね』
剣聖、ね。俺の天才性にそんなことを言ってしまうのは夜姫が幼い術具だからだろう。
「またその冗談か。夜姫は世間知らずだよな。俺が剣聖だったら、弟はなんだよってなるわ。神か天魔か仏様ってな」
『鉄姫はよく知らないんですけど、そんなすごいんですか? 弟様』
「俺がガキの頃だったか。道場で連敗したからな。この、天才の俺が。
俺が天狗にならないのはそのためだ。
親父の血を色濃く受け継ぎ、実家の環境で育ったために、弟の性格は最悪に育ったが、奴の剣才も、術式の腕も俺の天才を超える超天才だった。
俺が当主となって本家の道場に通うのをやめてからは試合などはしていないが、順当に育っているならばこの世に二人といない、最強の魂鎮めの剣聖へと育っているだろう。
まぁそれでこそ俺の婚約者を寝取ったり、龍頭の刀姫全員と魂結びの儀を行ったり、他家や夜想の姫たちに手を出したり、俺の代わりに好き勝手暮らすことを俺は許しているのだ。
奴がただの凡人だったら流石の俺も殺してる。
『でも、結界は直ってないんですよねぇ』
「だな。なにか異変でもないといいんだが……」
『あれが剣聖だと思うのは変。ただの超早熟の凡人だと夜姫は思う。そのときの雅人ってろくに剣術も術式も習ってなかったはず』
夜姫の擁護に笑ってしまう。幼いなぁ。
まぁ己の使い手が最強だと思いたがるのは、こういった意思持つ道具の可愛いところだろう。
「じゃあ、夜姫が褒めてくれたから、香餡堂に寄ってから帰るか」
『……ッ、香餡堂! 餡蜜!! わーい! 夜姫、雅人大好き!!』
『ちょ、ちょ、鉄姫も大好きですよ~!!』
愛刀と術具の声に荒んでいた心が癒やされていく。
ちなみに、霊力持ちが刀姫に話しかけるのはこの国では珍しい光景ではないため、俺が一人で喋っててもたいていの人は無視するから、変人扱いはされていないことを説明しておこう。
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