第14話 透明人間と挟まる友人と彼女
「……」
「……」
俺の部屋には沈黙が流れていた。
壁にもたれて本を読みながら時折二人の様子を観察する。
ちゃぶ台を挟んでにらみ合う二人はさっきから少しも動いていない。その姿はさながら牽制し合うカマキリのようで、動いた方が先に食われてしまうような、そんな緊張感があった。
その結果、動き出しは全くの同時で、
「日暮さん」
「おいヒグラシ」
「え、俺?」
突如矢面に立たされて動揺する俺の方を向き、二人はお互いを指差した。
「誰この人!?」
「誰だよこの女!?」
興奮している他人を見ると自分は冷静になる。これは人間の心理だ。
というわけで冷静に二人の疑問を解消することにした。
「これは土井浩隆。大学のときの同級生だ」
「どうも、浩隆です☆」
愛奈に向けていた人差し指に中指を加え、横向きにピースしながら挨拶をするという、謎の順応性の高さを見せる浩隆に今度は愛奈を紹介する。
「この子は愛奈。俺の事が見えるらしいから、協力してもらっている」
「えっ、あ、こんにちは……?」
さっきの興奮状態からすれば、これが普通の反応だろう。
浩隆という見知らぬ人間がいることを意識しているためかはわからないが、喋り方は完全に標準語のそれだ。
そして、そんな状態の愛奈に真っ直ぐ向かっていくのは、異常な反応をした者が放つ言葉の矢である。
「とりあえずマナちゃん、君いくつ?」
「じゅ、16です」
「高校生?」
「はいっ」
「いつから知り合い?」
「えーと、今年の春ごろに……」
どうも職務質問のように聞こえてくる。そのせいか、愛奈も委縮して敬語になっていることには気づいていないだろう。まあ、浩隆のことだから仕方が無い。
そう思ってしばらく放っておくつもりだったのだが、愛奈の答えを聞くと浩隆の声が止まり、妙な間が空いた。
次に浩隆はこう切り出した。
「襲われたり……してない?」
「おそっーー!?」
「はあ……、するわけが無いだろう」
「そだねー。ヒグラシくんはヘタレだもんねー」
浩隆は満足そうにうんうんと頷くと、質問を再開した。
それからの質問は特に俺が介入するようなタイミングは無く、しばらく経てば質問も終わり、目の前にはぐったりと机に額を擦り付ける愛奈と満足げに額の汗を拭く浩隆、という構図が目の前に広がっていた。
俺は立ち上がると、コップに水を汲んで二人の前に差し出す。何度も見てきた光景なので、その後の対処は浩隆からの折り紙付きである。
「サンキュー、ヒグラシ」
「それと、のど飴な」
「流石だなあ」
こう嬉しそうに受け取る姿だけ見れば、愛嬌のある良いヤツなのだが。この表情を見るためには必ず一人以上の犠牲者を出さなければならないのが本当に残念である。
「愛奈も水飲んだ方が良いぞ」
「アリガトウゴザイマス……」
愛奈は受け取った水を一気にあおると、ハーッと大きく息を吐いた。それから机に上半身を預けると、ムッとした表情で俺に視線を送る。
何かしたか、と不安になるあまり謝ってしまう。
「付き合わせて悪い」
「別に、いいけど」
「けど?」
「……何でもない」
「そうか」
ちょっとトイレ、と立っていく愛奈を見送ると、浩隆が急にすり寄ってきた。
「おいヒグラシさん。マジであの子と半同棲してんのか?」
「半同棲って……、人聞き悪いな」
「いやお前、身の回りの世話してもらっといてそれはさあ」
「買い出しだけだ」
「え? 彼女の手料理は?」
「ないぞ」
「んじゃ俺もチャンスあるかな?」
「多分ないぞ。それ以前に未成年だ」
「はー、お堅いこって」
さっきの質問攻めのせいで好感度がガタ落ちしていることにコイツは気付いていないのだろうか。大学の頃からあれに付いてこられた女性は一人もいないというのに。
「じゃあじゃあ、お泊りは?」
「それもn…………あるな」
「何いっ!? その話詳しくっ!」
「お前が期待するような事は何も無いと思うんだが……」
「あるっ、絶対に! デュフッ」
おそらく浩隆には、俺に見えていない何か別のものが見えているのだと思う。
いつになく目をキラキラと輝かせる浩隆をして、話さないというわけにはいかない。一度チラとトイレの方に視線を送るが、まだ愛奈は出てきそうにない。
隙を浩隆に与えたのも、俺が気乗りしないのも完全にこちらの都合で、この男がそんなことを気にするタイプでは無いのは重々承知している。
「……わかった」
俺の思考や考察は限りなく排し、そして愛奈の事情にも触れず、ただお互いが眠るまでの出来事をつらつらと話した。
それを聞きながら浩隆はニヤついたり、あるいは突然険しい顔になったり、という風に声を発しない代わりに表情は忙しくしていた。そして話し終えたとき、浩隆は探り探りながらも俺の肩に腕を回し、目を潤ませる。
「よく耐えてんな、ヒグラシ」
「っ……、捕まりたくないんだ」
珍しくストレートに褒められたことがむず痒く、それに人から肩を組まれるのも久しぶりで、反応が雑になってしまった。そういえば少し前に首を組まれた、いや、組みつかれたことはあったか。
しかし、これだけで止まらないのが浩隆という男である。
「やっぱり、童☆貞☆力が高いな!」
「口縫うか?」
人の印象なんてものは簡単に変わりやすく、ふとした事で上がるのも早ければ落ちるのも早い。お互いがよく知る仲であるほど、根底の部分は変わらずとも表層は山の天気と同じようなものだ。
男二人、軽口を交わし合う時間には懐かしさを覚える。とはいっても、この時間がずっと続いてほしいと思うのはまた違う。
それは浩隆も同じようで、
「しかし、長くないかえ? マナちゃん」
「本人の前では言うなよ。セクハラだ」
頷き合うと、妙な仲間意識が芽生える。いつの時代も、男という生き物はこうやって己の身を守ってきたのである。
「ただいまー。あれ、ホントに二人仲いいんだね?」
「まあな」
「へへっ、オレと浩隆はマブだからさ」
このように、対象が戻ってもお互いを売るようなことはしないのだ。
ちなみに、より強く肩を組む俺たちに向けられた愛奈の視線はとても痛い。
思い出せば、トイレに立つ前から少し不機嫌そうだった。
俺は少し浩隆から距離を取り、何か話題を探した。
「あー、ところで、その袋は何なんだ?」
指差したのは、愛奈が買い出しとは別に持ってきていた紙袋。誕生日の時と同じシンプルな茶色の袋には見覚えがあり、若干気になっていた。
「これ? それじゃ、今渡そうか?」
そういって申し訳なさげに微笑みながら、愛奈は紙袋からやはり服を取り出した。だがそれは俺にとって見覚えがあるもので、しかし最初に反応したのは俺ではなく。
「あ、オレの」
「やっぱり? 靴もおっきいし、浩隆さんかなって」
「おお、マナちゃんよく見てんね」
「えへへ……ついでに靴のサイズも当ててあげるよ。えーと、29センチ!」
「せ、正解……」
珍しい。浩隆が驚いている。
とはいえ驚くのも無理はない。
女子高生からすれば特に興味も無い人間の靴のサイズをひと目見ただけで当ててしまうのだから。結束バンドの時といい、たまに見せるこういった一面が彼女の底知れなさを加速している。
「ごめんなマナちゃん。オレのなんか着せちゃって。ヒグラシの家に置いとくのもあれだから、そのままもらってくよ」
「そんな、着心地良かったです」
「それなら良かった」
「たまたまですけど、タイミング良かったですね」
そんな雰囲気で談笑する二人の隣で、俺は無言でいた。
こうしていると、改めて俺は与えられる立場なのだということを否応なく実感する。
浩隆にしても、愛奈にしても、俺のような人間に構っている暇は本来無いはずの人間だ。
それなのに、一度経験したことをまた期待して、なんておこがましいことだろうか。
「日暮さん? どしたの?」
意識が離れていた俺に気付いて、愛奈が声をかける。だがそれも俺の返答を待たずに、浩隆が言葉を奪っていく。
「あー……、コイツたまにすっげえ遠い目してる時あるんだけどさ、多分それだろ。見えねえけど。合ってる?」
「まあ、そうだ」
投げかけられた問いに首肯する。サングラスの動きで浩隆には通じているはずだ。
だがそれとは別に、今のやりとりに疑問符を浮かべた人間が一人いた。
「待って。浩隆さんって見えてないの?」
神妙な顔で問いかける愛奈に、俺と浩隆は顔を見合わせて、再び向き直って頷く。すると、愛奈はへなりと、突然力が抜けたように机に突っ伏した。
「どうした!? 腹でも下したか!?」
「おいヒグラシ、女の子にその言い方はダメだろ。デリケートな問題かもしれないぞ」
それを口に出して言う方がダメだというのはひとまず置いておいて、近寄ろうとすると愛奈は急に頭を上げて両手をぶんぶんと体の前で振る。
「いや、そうじゃなくて。そんなに心配せんでもええから……」
でも、と今度は肩の力が抜けたような息を吐き出す。
「なんやぁ。見えてないんや……」
呟くような小さな声が、静かな部屋の中に嫌でも響く。
聞こえた言葉の意味を理解しようとするが、どうにも上手くいかない。首を傾げる。
そんな俺の様子に気付いた愛奈は、おそらく今の言葉が出た経緯を説明しようとしたのだろう。だが口を開いた状態から続く言葉は無く、代わりに頬をみるみる内に赤くしていった。
「ちょっ……と、待って。アタシ今なんて言った?」
「ん? 『よかった』って、」
「日暮さん黙って! ……そういうことじゃないから」
聞かれたから答えただけだというのに、なんという理不尽か。いや、これは俺が悪いのかもしれない。また、何かしてしまったのかもしれない。
状況の整理もままならない俺に、愛奈は一人で話を展開していく。
「あのね、今のは別に浩隆さんには日暮さんのことが見えてないことをアタシが知らなくて、それで、結局見えてないことがわかったんだけど、それでちょっとホッとしたというか、なんでだろうね!?」
「悪い、よくわからなかった」
浮かんだことをそのまま伝えると、気が動転しているのか、愛奈も「そうだよね!」と首を縦に振る。
この場の収め方がわからず浩隆の方を見ると、見事なアルカイックスマイルを愛奈の方に向けていた。
「おい浩隆。そんな顔してないで収めてくれ」
「では、お前は後ろを向いて耳を塞ぎなさい」
「何かするつもりか……?」
「何もしませんよ。さあ早く」
説法を聞かされているような気分になりながらも、手渡された耳栓を装着し、言われた通りに愛奈から背を向ける。後ろで何が行われているのかは全くわからない。だが事前に言質を取った以上、この嘘嫌いが何かすることはまずありえない。
数分も経たず、肩を叩かれた。その時には愛奈のパニックは収まり、しかし今度は彼女が俺に背を向けていた。
背を向けている間、少し前に愛奈がしていた話を整理することができていた。同じように彼女の方も浩隆の助けを借りて整理したのだろう。しかし次の一言は突然で。
「……帰る」
とだけ言ってバッグを手に持ち、そのまま早足で玄関へ向かっていく。
なぜ、と思った。しかし、それを考えるより先に俺の体は動いている。理屈は無いが、どうしてかこれが正解なのだと悟る。
「愛奈」
玄関で靴を履き、ドアに手をかけていた愛奈は、俺の呼びかけに一度だけ振り向いた。
その顔はややほんのりと赤色に染まっていて、やはり瞳は純粋で。
ただ衝動的に動いた体に、付いてくる言葉は見つからない。
俺の言わなければならない事は、なんだ。
彼女は俺の言葉を待っているというのに。
何も言えずに立ち尽くした俺の目の前で、玄関のドアが開く。
「……あほ」
夕暮れの影で、彼女の顔はよく見えない。
ドアが閉まると同時に、部屋には凍えるような外気が入り込んだ。
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