第13話 これは初デート?

青葉の季節が去り、紫陽花に雨の雫が溜まり落ちる梅雨の季節も過ぎ、


試験が終わればすぐに夏休みがやってくる。


夏休みのディズニーランドはカップルや学生、そして県外から訪れるファミリー層で、


おそらく通常の倍近く混むだろう。


狙い目は期末試験前後の平日だ。


平日なら勤め人やファミリーの混雑からは免れる。


そんなことを考えていたとき、合コンで知り合った熊谷守からラインが届いた。


スマホの熊谷さんのアイコンは、現在推しているアニメの金髪の美少女だった。


熊谷さんとは一回だけラインで会話しただけだ。


その時は熊谷さんお気に入りのアニメを沢山教えてもらった。


ラインのその文面は私を打ちのめした。


「申し訳ないのですが、僕にはアニメイベントで知り合った彼女が出来ました。


だからラインのやり取りは控えさせてもらいたいと思います。では。」


私はそのラインを読み終わると、スマホをベッドの上に投げつけ、


ついでに自分もベッドへダイブした。


私を振るなんて何様のつもり?


こっちだって別にアンタの事なんて好きでもなんでもなかったし!


でも、考えてみれば私は熊谷さんをオタクだからって、勝手に自分より下にみていた。


こんな私だから、男友達なんて出来ないのかも。


まあ男友達なんて別に欲しくもないけど!


私は自室の勉強机の上で光り輝くディズニーのチケットを見つめていた。


その時、部屋のドアがコンコンとノックされた。


「はい」


私が力なくドアを開けると、そこには袋入りのシュークリームを持った鹿内さんが立っていた。


「これ。ママさんから。おやつ。」


無造作に手渡されたシュークリームは富士家特製の私の大好物だった。


鹿内さんは私の学習机に置かれたディズニーランドのチケットに顔を近づけて笑いをこらえながら尋ねてきた。


「で?ディズニーランド、いつ行こうか?」


「いつでもいいですけど」


「なにふてくされているんだよ。」


鹿内さんはチケットをひらひらと、私の視線に入るように、人差し指と親指でつまんだ。


「嫌々付き合ってもらっても嬉しくないです。」


「嫌々じゃないよ。俺はつぐみと一緒に行きたいんだけどな。」


悔しいけど、今私と一緒にディズニーランドに行ってくれるのは目の前のこの人しかいない。


私は意を決すると、鹿内さんにそのシュークリームを手渡した。


「あの!このシュークリーム、あげます!


その代わりと言っちゃあなんですけど・・・私と一緒に・・・・その・・・嫌だとは思いますが」


言葉尻がどんどん小さくなっていく。


すると鹿内さんはふっと笑って言った。


「だから、どうして俺が嫌がっていると思うの?」


「あんな嘘っぽい顔で言われても、信じられません。」


「あの顔だって本当の俺だよ。人間には色んな顔があるもんだ。いつも俺に突っかかってくるつぐみも、かわい子ぶっているつぐみも、君の中の一部なんだ。俺はどっちのつぐみも一生懸命で可愛いなって思っているけど。」


「だからそういうところです。そうやって不用意に可愛いなんていうから、勘違いしてしまうんですよ、女の子は。」


私は腕を組み、そっぽを向いた。


「だから俺、可愛くない子に可愛いなんて言わない主義だって。それに俺がいう可愛いは姿形だけというわけじゃないから。」


「どういう意味ですか?」


「だからそのままの意味だよ。」


目の端に写り込んだ鹿内さんは苦笑いしている。


「こんなもの貰わなくてもディズニーランドには付き合うよ。食いな。それ好物なんだろ?」


私の腕の間に、シュークリームの入った袋がひょいと置かれる。


「ありがとう・・・ございます。」


私はシュークリームをみつめながら、聞こえるかどうかぐらいの小声で言った。


「それはディズニーランドのこと?それともシュークリームのことかな?」


「どっちもです」


「素直でよろしい。」


鹿内さんは私の頭を軽くぽんっと叩き、部屋を出て行った。


私は鹿内さんの大きな手が乗せられた頭のてっぺんに触れ、また水玉模様の布団がかかる自分のベッドにダイブした。




初夏の空は雲一つない晴天で、高く飛ぶ小鳥たちもこの天気を喜んでいるようにぴーぴーと可愛らしい鳴き声をあげていた。


そして今日は久しぶりのディズニーランド!!


最後に行ったのが小学校6年生の卒業遠足以来だから、もう5年ぶりだ。


きっとアトラクションも色々と変わっていることだろう。


浮足立つ私のボルテージは上がりっぱなしだった。


この日の為に新調したオレンジ色のロングTシャツにジーパンに白いスニーカー。


髪はポニーテール。


本当ならワンピースみたいな女の子らしい服を着ていきたいところだけど、ディズニーランドはアクティブさが求められるアミューズメント施設だから、お洒落より動きやすさを重視することにした。


私にとってはパパや信二兄ちゃん以外の男の人と二人きりで出かけるという初めての体験。


これは一応、デートと言ってもいいのだろうか?


鹿内さんは白いTシャツに半袖の柄シャツ、チノパンというラフなスタイルだ。


チノパンのポケットが膨らんでいるのは、きっと煙草の箱だろう。


「鹿内さん、ディズニーランドは夢の国です。煙草は禁止だと思いますよ。」


「どっかに喫煙場所があるだろ?


俺みたいなニコチン中毒のおっさんにも夢の国は優しいと思うけどな。」


まだ22歳なのに、おっさんだって。


それにしても鹿内さんの煙草依存は半端ない。


電車を乗り換えるたびに一服されたんじゃ、待たされる方はかなわない。


でもそんなことまでも許せてしまうくらい、心から私ははしゃいでいる。


「も~。このペースだと乗り物全部制覇できなくなりますよ!急がないと!」


「そんなに急がなくても、ディズニーランドは逃げねーよ。


あ、煙草切れた。買ってくるからちょっとその辺で待ってろ。」


そう言って駅構内のキヨスクに向かって歩いて行く鹿内さんの後ろ姿を眺める。


嫌々付いて来てくれたのかと思っていたけど、案外上機嫌に見える。


鹿内さんも実はあんななりをしていても、ディズニーランドみたいなファンタジックなところが好きなのかな?ちょっと笑っちゃう。


夢の国へと向かう駅のホームは小さな子供を連れた家族やテスト休暇中の学生らしきグループ、などでかなり混んでいて、少しでも離れればはぐれてしまいそうだ。


こんなとき本当の彼氏彼女だったら、指と指を絡ませて手を繋いだりするんだろうけど、私と鹿内さんはそんなんじゃないからと、つい私から微妙な距離をとってしまう。


正直なところ、私と鹿内さんってどう見えているんだろう?


兄妹?友達?恋人同士・・・にはさすがに見えないか。


さて、夢の国に着いたら一番最初になにに乗ろう?


そんなことをつらつらと考えながら一人でホームの固い椅子に座っていると、髪を緑色に染めた鼻ピアスの若い男が私の隣に座り、馴れ馴れしく話しかけてきた。


私の1番嫌いなタイプのチャラくてキモイいきがっている男。


「よお、お姉ちゃん、一人?なんだか寂しそうな顔しているけど、大丈夫?僕と一緒にどこか遊びに行かない?」


これは・・・ナンパというやつか。


私は毛虫を見るような目でその緑頭を見上げた。


「いえ。ご心配は無用です。ひとりじゃありませんので。」


「またまた。本当はひとりなんでしょ?嘘つかなくてもいいからさ~。」


男は私の片腕を握り、ゆらゆらと揺すぶった。


「ちょっと・・・やめてください!勝手に触らないで!!」


「そんな、冷たくしなくてもいいじゃん。一緒に楽しもうよ。」


「楽しそうだな。俺も混ぜてくれよ。」


いつのまにかキヨスクから戻って来た鹿内さんが、男の腕をガシッと掴み、捻り上げた。


「誰だ?お前・・・」


「俺はその子の彼氏だけど?さて、どうやって楽しませてくれるのかな?」


「いや俺はそういう風に楽しみたいわけじゃなくて・・・」


「は?楽しもうって言ったのはてめえだろ?!ああ?」


「いや・・・それは言葉のあやというか・・・」


「俺の女に気安く触ってんじゃねーぞ?!」


鹿内さんは男の首根っこを掴み、戦闘態勢に入ってしまった。


やっぱり鹿内さんって人畜無害な皮を被ったバリバリの元ヤンなんだ、


とこのとき私は思い知らされた。


でもこんな駅のホームで喧嘩を始められたら、ディズニーランドどころじゃなくなってしまう。


ここは私が止めなきゃ。


「鹿内さん!もういい加減にしてください!!」


私の叫び声に鹿内さんの動きがぴたりと止まった。


「だってつぐみ、怖い思いしただろ?」


「だからってこんなところで喧嘩している場合じゃないでしょ?


子供じゃないんだから。」


「・・・・・・。」


鹿内さんは教師に怒られた生徒のように肩を落とし、すぐにその蛇に睨まれた蛙のようなナンパ男をギロリと睨みつけた。


「・・・そういうことだから、さっさと消えろ。」


鹿内さんはドスの効いた低い声で、男の首根っこをパッと離した。


「・・・なんだよ。男がいるならはっきりそう言えよ。」


消え入りそうな声でそう捨て台詞を残し、ナンパ男はそそくさとその場所を立ち去った。


「さすが狂犬と言われていただけの迫力がありますね。」


「昔の癖が抜けなくてさ。ごめんな。俺、怖かった?」


「全然。私を助けるためにしてくれたことを怖がるはずないでしょ?」


「そうか。やっぱりつぐみは最高だな。」


「は?私の何が最高なんですか?」


「全てがさ。」


「全然意味わからない。」


「いいよ。わからなくて。でもつぐみちゃん、本当に大丈夫?」


「はい。」


「そうは見えないよ。」


気が付くと意識とは関係なく、両手両足がぶるぶると小刻みに震えていた。


鹿内さんはその震えをなだめるよう、私の両肩をさすった。


「ナンパされるのって、もしかして初めて?」


「はい。学校でも帰りの電車でも、大体友達といるので。


ていうか!そもそも鹿内さんがモタモタと煙草なんて買いにいっているのが悪いんですよ?」


「・・・そうだな。大切な姫君から目を離した俺が悪かった。」


そういうやいなや、鹿内さんはさっと右腕を出し、ぎゅっと私の手を大きくて温かいその手で握りしめた。


「え?」


「最初からこうしてれば良かったな、と思って。嫌?」


「嫌じゃないですけど・・・」


「じゃ、夢の国へ行こうか?」


鹿内さんの言葉に、いつになく素直に私はコクンと頷いた。




夢の国ディズニーランドは平日とはいえ、やはりそれなりに人出が多かった。


私達はまずは腹ごしらえということで、食事をすることにした。


「私、ミッキーマウスのパンケーキが食べたいです。」


「パンケーキなんて食後のデザートだろ。


俺はもっとガッツリしたものを食いたい。」


「ガッツリしたものならどこででも食べられますよ?


ここのパンケーキは絶品なんです。」


「せめてラーメンがいい。」


「いや、パンケーキ一択です。鹿内さん甘党だからいいじゃありませんか。」


「メシとデザートは別腹なんだよ。


ふん。さっきまで泣きべそかいていたくせに、食べ物のことになると随分強気なんだなあ。」


「泣きべそなんてかいていません。」


押し問答の結果、じゃんけんで決めることになった。


「じゃんけんぽい!やった!」


私はグー、鹿内さんはチョキを出して、ちっと鹿内さんは舌打ちをした。


ミッキーのパンケーキを売りにしているお店には、行列が出来ていた。


ほとんどが若い女性で、鹿内さんは居心地が悪そう。


ちょっと可哀想だったかな。


ようやく私たちの番が来て、私は二人分のパンケーキを頼んだ。


すると鹿内さんは店員さんに


「いや、三人分でお願いします。」


と割り込んできた。


「なんで三人分も頼むんですか?」


「俺が二人分食うからに決まっているだろ。」


トレーを持って席に着くと、鹿内さんはパンケーキにたっぷりのはちみつをかけ出した。


「うん。美味いな。」


口いっぱいにパンケーキをほうばりながら鹿内さんは言った。


「ね?美味しいでしょ?」


ナイフとフォークでパンケーキを綺麗に切り分けながら、


口の端に生クリームをつけて食べていく鹿内さんは可愛かった。


とてもさっきまでドスを効かせていた人間とは思えない。


「鹿内さん、付いていますよ。」


私は鹿内さんの口の端についている生クリームを紙ナプキンでふき取ってあげた。


そのとき鹿内さんは少し驚いたような、照れたような顔で私の顔を凝視した。


「・・・彼氏でもない男にもこんなことするの?」


「なに言ってるんですか?仮にも鹿内さんはいま、私の彼氏でしょ?」


「・・・そうだったな。」


鹿内さんはそうつぶやくと嬉しそうに微笑んだ。沢山の人込みの中で、雑多なノイズが聞こえるけれど、私の耳には鹿内さんの深い響きのある低い声しか聞こえてこなかった。


口の中で甘さがふわりと広がって、前には鹿内さんの笑顔があって・・・なんだか本当に夢の世界にいるみたいで身体が蕩けそうに幸せを感じていた。


きっと脳にドーパミンとかいう物質が大量に放出されているに違いない。


お腹が膨れた私達は店をでてアトラクションに向かった。


塵ひとつないアスファルトを掃除するキャストが子供達に囲まれている。


綺麗なもの、可愛いものしか見えない、箱庭のような場所。


鹿内さんが指をさしたのは意外なアトラクションだった。


「イッツ・ア・スモールワールド」


「せーかいはひーとつ♪」


プカプカとゆるやかな水流に揺られながら、


世界各国の民族衣装を着た人形達が私達に笑いかける。


子供たちの大合唱が耳に心地よく、カラフルな装飾が異世界へと誘う。


鹿内さんは腕組みをして軽く目を瞑りながら、彼なりにメルヘンの世界を楽しんでいる様だ。


「世界は一つで戦争のない平和な世界・・・か。」


「鹿内さんがこういうファンシーな乗り物を好きなんて意外です。」


私が揶揄うようにそう言うと、鹿内さんは少し伏し目がちになった。


「ガキの頃、一回だけ親父とお袋と3人でここに来た時、初めて乗ったのがこれだった。」


「そう・・・なんですか。」


「だからつぐみと一緒に、まずはこれを乗りたかった。つぐみとは家族みたいなものだって感じているから。」


家族、か。


私はさしずめ妹ってところかな。


鹿内さんは揺れる船体に身を任せながら、どこか遠いところを見ていた。


それはタイムマシーンに乗って過去にさかのぼっているかのような少年の顔。


そこではパパとママと小さな男の子が微笑みながら船に揺られているのだろう。


きっと鹿内さんにとってはとても大切な思い出なのだろうな。


もし私もそのタイムマシーンに一緒に乗って、鹿内少年に逢えたなら、大丈夫だよ、大丈夫だよって抱きしめてあげたい。


・・・って、私はさっきから何を考えているのだ?!


どうしてか判らないけど、胸の奥をキューっと鷲掴みされているような甘い痛みが襲った。


これが母性本能ってヤツ?


「鹿内さんにもそんな純粋な頃があったんですね!」


私はあえて湿っぽい空気を吹き飛ばすように言った。


「俺だってガキの頃はそれなりに純粋でしたよ?」


「それがいつから狂犬になってしまったんですか?」


「いつからかな。覚えてないよ。」


「もし私と鹿内さんが同じ小学校だったら、きっと話すこともなかったと思います。


あの頃は、とにかく男子が大嫌いだったから。」


「わからないよ?同じ委員会で委員長と書記をしていたかも。」


「それでも口を利かなかったと思います。」


「徹底しているな。男子に苛められていたんだっけ?」


「そうです。ランドセル掴まれて振り回されたり、毛虫を投げつけられたり。


散々な目に遭いました。」


「つぐみは男心ってものがわかっていないね。


そいつら、つぐみにかまってもらいたかったんじゃないのかな。


男子が好きな女子を苛めてしまうって定番じゃない。」


「そんなこと知りませんよ。こっちは嫌な思い出しかないんですから。」


「ま、男心がわからないから男嫌いになったんだよな。


俺も女心がわからないから女嫌いになった。


そんなつぐみと俺がここでこうしているのは、


交わることのなかったはずの線と線の交点なのかもね。」


そう言って鹿内さんは唇の両端を引き上げてみせた。


「交点?」


「でも、俺とつぐみは絶対どこかで交わっていたと思うけど。」


そうつぶやいた鹿内さんが、嬉しそうに笑った。


そんなはずない。


色んな偶然が重なって、今私と鹿内さんはこの小さな船の上で、緩やかな水流に揺られている。


鹿内さんが信二兄ちゃんと親友ではなかったら、ウチに一部屋空いていなかったら、鹿内さんの従兄さんが結婚しなかったら・・・私と鹿内さんはきっと交わることのない線と線だっただろう。


だからこの出会いは運命ってヤツなんだ。


その水流は光に照らされてキラキラと眩しく光っていた。


気が付くと船はゆっくりと明るい出口に着いていた。


イッツ・ア・スモールワールドを出ると、次に鹿内さんが目指したのは


「アリスのテイーパーティ」だった。ティーカップがグルグル回るアレだ。


そして次々と乗ったのは「ウエスタンリバー鉄道」「空飛ぶダンボ」


確かにそれらも楽しいけれど、どれも子供向けの乗り物だ。


そろそろ刺激の強い乗り物に乗りたくなった私は、鹿内さんのシャツの裾を引っ張った。


「ねえ、鹿内さん?」


「なに?」


「そろそろこうゆるい乗り物じゃなくて、スピード感のある奴、行っちゃいません?


スペースマウンテンとか、スプラッシュマウンテンとか。」


すると鹿内さんは少し目を泳がせてから、頷いてみせた。


「いいね。行こうか。」


「じゃあ乗りましょうよ!ここから一番近いのはスペースマウンテンですね。」


「そうだな。」


スペースマウンテンの乗り場はさすがに人気のアトラクションだけあって


長い行列が並んでいた。


「随分待ちそうだな。」


「すごい人気なんだからこれくらいの行列は覚悟しないと。


今度いつ乗れるかわからないんだから。ほら、並びますよ!」


行列に並ぶと、後列の女の子たちが鹿内さんを見て、


なにやらひそひそと話している会話が耳に入った。


「前に並んでいる人、月9に出ていた俳優に似てない?」


「マジ格好いいんだけど~。」


私は鹿内さんに耳打ちした。


「相変わらずイケメンさんはモテますね!」


「まあな。」


「うわ!肯定した!」


行列に並んでから、鹿内さんの口数が明らかに少なくなっている。


「鹿内さん、なんか顔色悪くありません?」


「そんなことねえよ。」


「具合が悪いのなら、乗るの止めときましょうか?」


「うるせーな!ここまで来て引き返せるか。


どんだけ並んだと思っているんだ。時間がもったいない。」


「・・・鹿内さんがそう言うならいいですけど。」


でも明らかに機嫌が悪くなっているではないか。


言葉使いが荒くなっているのがその証拠だ。


そしてとうとう私たちの搭乗となった。


鹿内さんは不安そうに何度も安全ベルトを確認している。


「これ、外れないだろうな?」


「大丈夫ですって。子供だって乗っているんですから。」


前の席では小学校の高学年と思しき子供たち二人が、キャッキャと騒いでいる。


ふいに辺りが真っ暗闇になり、人々のどよめきは消え、静寂が訪れた。


私達を乗せた滑車は、ゆっくりと急な上り坂をグングン進んでいく。


そしてある地点まで来るとピタリと止まり、一転滑車はものすごいスピードで急斜面を降りていく。まるで宇宙空間に放り出されたような快感が、私の身体を包んだ。


「きゃああああ!」


ところどころで叫び声が聞こえてくる。


私も思いっきり叫び声を上げた。


高い所から一気に下る瞬間は死んでしまうかもしれないという恐怖と興奮で体中の血が湧きたつほどの興奮を私にもたらした。


内臓だけがふわっ、と下がり、無重力空間に投げ出されたみたいだ。


ああ、心臓がバクバク音を立てている。


恋しているときって、こんな風に心臓が高鳴るものなのかな?


しかし隣に座る鹿内さんの声は、まったく聞こえてこなかった。


安全バーを掴んでいる私の手に、汗で湿った大きな手がギュッと握られる。


「つぐみ。俺の手を握っていてくれない?」


もしかして・・・鹿内さん、ジェットコースターが怖いの?


え?ちょっと子供みたいで可愛いんだけど。


またみぞおちに甘い痛みがキュンと音を立てた。


そっと横を見ると鹿内さんは、私の手を握りしめ、下を向き、目を瞑っていた。




「苦手なら苦手だと最初からそう言ってくれればいいじゃありませんか。」


スペースマウンテンの建物から出ると、開口一番私は鹿内さんの肘を自分の肘で突いた。


「なんのこと?俺はめいっぱい楽しんだけど。」


外の日の光を浴びながら、鹿内さんはそう宣った


「次は、スプラッシュマウンテンに乗るか?ビッグサンダーマウンテンでもいいし。」


「いや、もういいです。」


私は片手を工事現場のストップというマークのように、鹿内さんの顔の前に掲げた。


男ってこんな些細なことでもやせ我慢するのだから。


ほんと面倒くさい生き物よね。


「つぐみがそういうなら仕方ないけどさ。」


そう言いながら鹿内さんは両手を自分の頭に乗せた。


それからは再びお子様向けのアトラクションに乗った。


お子様向けでも、それはそれで楽しかった。


ジャングルへ進む船に乗って大袈裟な芝居をするキャストさんに釣られてびっくりしてみたり、上へ下へと揺れ動く白い馬に乗って束の間のお姫様体験をしてみたり。


ひとつの乗り物に乗るたびに私たちは大笑いしながら進んで行った。


思えば出会ってから、こんなに楽しそうに笑う鹿内さんの顔を、初めて見た気がする。


いつもの鹿内さんは笑っていても、どこかシニカルで冷めている。


「鹿内さん、私、ちょっとお手洗いに行って来てもいいですか?」


「おう。行ってこい。」


お手洗いで用を済まし、備え付けの鏡で自分の顔を隅々とチェックする。


少し乱れた髪を整え、桜色のリップを塗り替える。


自分が他人からどう見られるのかを気にすることなんて、今までの私では考えられないことだ。


でも女の子は本来こういうものよね、と自分に言い聞かせる。


私がお手洗いから出てくると、3歳くらいの男の子が少し離れたところで号泣していた。


私は男の子が怖がらないように近づいた。


「ボク、どうしたの?」


「ママがいない!!わーん!!」


どうやら男の子はママとはぐれてしまったようだ。


黄色いミッキー柄のTシャツに茶色いチェック柄の半ズボン。


戦隊もののシューズは卸したてなのか、新品のように綺麗だ。


ぷっくらとした頬には涙の粒が光っている。


私は男の子を抱っこして、きょろきょろと回りを見渡した。


「泣かないで。ママ、すぐ見つかるからね。」


「どうした?」


鹿内さんが私達の方へ駆け寄って来た。


「この子、迷子になっちゃったみたいで。」


「重いだろ。代わろう」


鹿内さんは軽々と男の子を抱き上げてみせた。


「大丈夫だ。男の子だろ?こんなことで泣くんじゃねえぞ。


すぐにお前のママとパパが探しにくるから安心しろ。」


「・・・うん。」


男の子は安心したのか、しばらくすると泣き止んだ。


「ママはどんな人かな?」


「うん。髪の毛が茶色でふわふわしてて、唇が赤いの。怒るととっても怖い。お菓子も一日一個しか買ってくれないんだ。でも眠るときにディズニーの絵本を読んでくれるんだよ。」


「そうなの・・・。」


「で、パパはね。ほとんどお家にいないの。遠いところへ行っているの。


だから今日もママとお姉ちゃんと三人で来たんだ。お姉ちゃんはいつも僕のお菓子を一口食べちゃうの。でもいじめっ子からは守ってくれるんだ。」


男の子の話で、その家庭の事情がなんとなく判った。


もしかしたら母子家庭なのかもしれない。


「まこと!」


アトラクション会場から男の子の母親と、おさげをしたお姉ちゃんらしき女の子が私達の方へ駆け寄ってきた。


必死に探し回っていたのだろう。


母親のソバージュの髪が乱れていた。


「すみません!この子、一人でどこかに行っちゃって。大変ご迷惑かけました。


ほら、まこと、ご挨拶しなさい!」


母親らしき女性がぺこぺことお辞儀をしながら、まことと呼ばれた男の子を鹿内さんから受け取った。


「ママやお姉ちゃんと会えて、よかったね。」


まこと君の頬に少しだけ涙の痕が残っていた。


「ありがとう。バイバイ。」


まこと君はたどたどしくそう言って私たちに向かってブンブンと大きく手を振った。


雨の痕の虹のような笑顔で、まこと君は去っていった。


私達もまこと君に手を振りながら、その場を立ち去った。


これもひとつの交点なのかな?


でも交点って一瞬交わって、離れていくんだよね。


今の私たちとまこと君のように。


なんだか淋しい。


「まことって昔の俺みたい。」


鹿内さんがぼそりとつぶやいた。


「え?」


「俺もガキの頃出掛けるといったら、もっぱらお袋とふたりだったからさ。


まわりの家族連れ見ると羨ましかった。


つぐみはいつもパパとママと3人で出かけていたんだろ?


つぐみ、可愛がられているもんな。」


「そんなことありませんよ?」


私は後ろで手を組みながら、少し後ろを歩く鹿内さんの方へくるりと振り向いた。


「ウチのパパも私が小学校4年の時から中学2年の頃まで青森に単身赴任していたんです。


だから私もママと二人だけのお出かけが多かったんですよ。」


「・・・へえ。」


鹿内さんは意外だという顔をした。


「だからパパは今になって父親らしいことをしたいんでしょうね。


パパ、私にすごく甘いでしょ?あれって罪滅ぼしなのかも。」


「単身赴任で罪滅ぼし?会社の命令じゃ不可抗力だろ。」


「そうだけど、家族より仕事を選んだってことでしょ?」


「仕事もできない男に家庭を守れるはずなどないだろ?


君のパパは、君と君のママを守るために、単身赴任へ行ったんだよ。


そこを間違えてはいけない。」


「・・・そっか。そうですよね。」


私は子供じみた自分の甘えた考えを指摘されて、恥ずかしくなった。


パパがいない間、すごく寂しかったのを覚えている。


写真を撮ってくれる人のいない運動会に学芸会、調理実習で初めて作ったクッキーもパパに食べて欲しかったのに。


でも私の誕生日には、必ず青森から新幹線で帰ってきてくれた。


私は昔からパパに愛されていたのだと、やっと素直にそう思えた。


「鹿内さんも結婚したら仕事人間になるんですか?」


「さあ。どうだろ。いまのところその予定はないに等しいけど。」


「鹿内さんのお嫁さんになる人は大変だ。仕事と私、どっちが大事?なんて聞いたら怒られちゃう。」


「俺はどっちも大切にするよ。」


鹿内さんの真剣な眼差しが私に向けられた。


「それに君のママはそれをちゃんとわかっている、しっかりとした良妻賢母だろ?」


「あ。」


「そのDNAはつぐみにも受け継がれていると思うよ?


自分では気が付いていないかもしれないけど、君はけっこう世話好きだ。


モモの散歩は欠かさないし、なんだかんだ言っても俺の勝手な申し出を引き受けてくれた。


君は、いつかきっと、君を大切に想う誰かと結ばれることが出来る女だと思う。


そしたらパパやママを喜ばせたいという願いを叶えることが出来るんじゃない?」


「大切に・・・想う?それが・・・愛?」


「それが愛なのかどうかは、俺にはわからない。」


両手をポケットに突っ込みながら、鹿内さんは自嘲気味に笑った。


「俺、愛って言葉がこの世で一番嫌いなんだよ。」


「どうしてですか?」


「なんだか胡散臭いだろ?」


「・・・じゃあ、愛ってなんですか?」


「それ、俺に聞く?」


なんの興味もなさげに鹿内さんは大きく伸びをした。




少しづつ日が低くなり、夕闇が辺りを包んでいく。


楽しい時間はあっという間に過ぎていってしまう。


アナウンスがエレクトリカルパレードの開始時間を告げる。


「せっかくだから見ていくか。パレード。」


「はい!」


私達はパレードの通り道になる花壇のレンガの上に並んで腰かけた。


少し離れたところでは、グーフィが家族連れと一緒に写真を撮っている。


「そうだ。ね、写真撮りません?」


私は楽しかった今日一日を、形として残しておきたくなった。


私がもっと大人になって、そういえばこんな日があったな、としみじみ思い出せるように。


それくらい私にとって今日という日は特別なものだと思ったから。


しかし私の提案に鹿内さんは難色を示した。


「俺、写真嫌いなんだ。」


「どうしてですか?」


「写真を撮ったとたん、俺は過去の思い出になってしまうだろ?


過去に閉じ込められてしまうようで怖い。


俺はいつでも現在進行形でいたいんだ。」


「鹿内さんって見かけによらず、意外と寂しがり屋で臆病なんですね。


でも大丈夫。私は鹿内さんを過去形になんてしませんから。」


鹿内さんは私の顔をまじまじと見て、ゆっくりと目を細めた。


「いま、俺、口説かれている?」


「自惚れないでください。前に縁を切らないと言ってくれたでしょ?あれけっこう嬉しかったんですから。」


「そんなことが嬉しいなら、いくらでも言ってやるよ。」


「いいから、撮りますよ。」


私はスマホを掲げると、半ば強引に自分と鹿内さんが写るようにセッティングした。


「はい、チーズ!」


カシャッと音が鳴ると同時にフラッシュの光が二人を射した。


スマホで画像を確認すると、いつもよりテンション高めなピース姿の私と、いつもより柔らかい笑顔の鹿内さんが写っていた。


ナンパ男を撃退してくれたこと。


パパの私への想いを教えてくれたこと。


私の未来への道の先に光を差してくれたこと。


鹿内さんのその全ての言葉、行動、表情を思い出させてくれるこの写真は、時々弱虫になる私に勇気をチャージしてくれるような気がした。


パレードの時間が迫り、辺りは人の波が出来始めていた。


煙草が吸えなくて口さみしいのか、


鹿内さんはイチゴキャンディを口の中で転がしている。


カップルも多いけれど家族連れもなかなかの人数だ。


ところどころベビーカーが置いてあるところもあり、赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。


ふいに鹿内さんが両手を組みながら言った。


「家族連れが多いな。」


「そうですね。ディズニーは大人も子供も楽しめますから。」


「つぐみはきっといいママになるだろうな。


ベビーカー押して赤ん坊のほっぺたをつついたりして。」


「そうだといいんですけど。」


「もしかしたらその隣を歩いているのは俺かもね。」


「わー嬉しい。愛のない結婚生活でもディズニーランドへは連れて行ってくれるんだ。」


私は棒読みでそう言って一笑に付した。


いよいよパレードが始まった。


きらびやかな電光の装飾をされた馬車が、ブルーのドレスを着たシンデレラ姫を乗せてゆっくりと走っていく。


姫の隣にはガラスの靴を持った王子様がにこやかに笑いながら、姫の手をそっと取る。


「つぐみ。今日は楽しかったか?」


鹿内さんの少し切れ長の目が優しく微笑んだ。


「はい!すごく楽しかったです。」


「俺も楽しかったよ。」


「鹿内さんの弱みも掴んだし。」


「おい。信二には内緒だぞ。」


鹿内さんは少し照れ臭そうに、髪の毛をくしゃくしゃとかき上げてみせた。


オーロラ姫、アナと雪の女王のエレサ、ディズニーの世界のお姫様が次々と登場しては大きく手を振っている。


最後にディズニーランドのメインキャラ、ミッキー&ミ二―が


おどけたダンスで場内を盛り上げる。


ディズニーのヒロイン達は、王子様と巡り合いハッピーエンドになる。


「つぐみは・・・お姫様になりたいの?」


鹿内さんに尋ねられて、私はううんと首を振った。


私は王子様に救ってもらおうとは思わない。


それが愛だなんて思わない。


愛って救ってもらうものでも与えてもらうものでもなくて、きっと自分でみつけて掴み取るものだと思うから。



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