第2話 男嫌いでなにが悪い②
私の名前は山本つぐみ。
私立桜蘭女子学園高校の2年生。
ちなみに桜蘭女子学園はこの辺では唯一といっていいほどの女子校だ。
一応その近隣では中高一貫女子校のお嬢様学校と言われている。
私が必死で中学受験のために勉強したのは、お嬢様のブランドが欲しかったからでも、制服が可愛いことで有名だったからでもない。
実際、制服は可愛いと思う。
紺を基調としたタータンチェックのリボンとお揃いの柄のスカート。
清楚さと可愛さを兼ね揃えていて、街ゆく男子が見惚れるのもわかる。
私が何故中学お受験までしてこの学校に入ったかというと、家から通える女子校が桜蘭学園しかなかったからだ。
つまり女子校ならどこでも良かったのである。
理由はいたって明瞭かつ簡潔で、男子がいないから。
女子校だから当たり前っていえば当たり前なんだけど。
そう、私は男性恐怖症と言っていいくらい男という性別を持つ人間が嫌いだ。
私には忘れられないトラウマがある。
あれは小学校2年生の夏休み、ママに連れられて近所の大型ショッピングモールに行った時のこと。ママがトイレに行っているほんのわずかな時間、私は一人ポツンとおもちゃ売り場の人形を眺めていた。
クマのぬいぐるみ、ピンクのモフモフとした肌触りのマスコットキーホルダー、人気魔法少女が持っているきらびやかな杖、そのどれもが私の目にはキラキラと輝いて見えた。
ママに欲しいといえば買ってくれるかな?
パパだったら絶対に買ってくれるのに。
心はおもちゃ売り場に並ぶファンシー小物に完全に持っていかれていた。
その瞬間だった。
突然、知らない男が私を羽交い絞めにした。
生温かい吐息が私の頬に吐き出され、瞬時に吐き気を催した。
泣き叫ぼうにも口を塞がれて全身が強張り、幼い心に信じられないほどの恐怖が走った。
この人、誰?
この人、私をどこへ連れて行こうとしているの?
もうパパやママに会えないの?
幼心にもう日常が帰ってこないことを予感し、私は絶望のどん底に落ちた。
今でもその時のことを思い出すと、震えが止まらない。
そのとき近くにいた、キツメのメイクに、髪を赤くソバージュにした若い女性が私たちの元へつかつかと近づいてきた。
あとから聞いた話だけど、そのお姉さんは「死苦夜露」という名のレディ―スの副総長、
「カミソリの紅子」という異名を持つお方だった。
「おっさん。何しているんだよ。この子震えているじゃねーか。アンタの子?」
ドスの効いた凄みのある声に、男は一瞬ひるんだようだった。
「・・・ああ。この子は僕のいとこの子でね。店の中をいろいろ案内してあげているんだ。」
私はその若い女の人の方をすがるようにみつめ、フルフルと首を振っていた。
「ん?どうした?ガキンチョ。ホントの事言ってみな?」
その若いお姉さんはしゃがみこんで、私に向かって優しくそう聞いた。
「このおじさんが・・・いきなり・・・」
それだけの言葉で紅子さんは全てを理解したようだった。
「やっぱりな!この変態ロリコン野郎が!」
そう叫ぶやいなや、その場で男を、柔道の投げ技で叩きのめしてくれた。
その後すぐにママが駆け付け、私を抱き上げ、何度も何度も紅子さんにお礼の言葉を繰り返した。そして紅子さんに丁度持っていたメロンを胸に押し付けるように渡し、後で改めてお礼がしたいから連絡先を教えて欲しいと頼んだらしい。
けれど紅子さんは名前だけしか教えてくれなかったという。
私も小さく「ありがとうございました。」とお辞儀をした。
紅子さんは私の頭を撫でながら
「知らない男には十分気を付けるんだぞ。じゃあな!」
と告げると風のように去っていった。
その言葉は私の心に聖典の一節のように深く刻み込まれた。
もし紅子さんがあの時あの場所にいてくれなければ、私は今頃どうなっていたかわからない。
あの男のペット、玩具に成り下がっていたかもしれない。
そう思うと、私はギリギリのところにいたんだなと、改めて背筋に電流が走るようにゾっとする。
あの男のきつい体臭の匂い、ごつい体、汚れた爪、すべてが私のトラウマになった。
紅子さんみたいに強くて優しい女の人になりたい。
そんな思いが私の胸に小さく灯った。
しかし現実は真逆の状態だった。
泣き虫だった私は、小さな頃から男子によくいじめられた。
スカートをめくられた。
死んだ虫を投げつけられた。
鬼ごっこではいつも追いかけまわされた。
体育のドッチボールでは真っ先に当てられた。
登下校の帰りに待ち伏せされて、ランドセルごと身体を振り回された。
音楽で使う縦笛や体操服を隠された。
スクール水着を盗まれた。
大切にしていた髪留めを失くされた。
とにかくありとあらゆる嫌がらせを受けた。
その首謀者たちは、みな男子達だった。
同級生のみならず、委員会では高学年の男子に無理やり机を隣に寄せられノートの中身を覗かれた。また下級生にも、ママに甘えているかのように抱きつかれた。
小学校の担任の先生はそんな幼い私に、こう慰めた。
「男の子達みんな、本当はつぐみちゃんと仲良くしたいと思っているのよ。」と。
けれど先生の言葉なんて信じられなかった。
男子なんてただただ不快で鬱陶しいだけだ。
仲良くなんてこっちから願い下げだ。
どうして男子ってプールで必要以上に水を蹴散らかし大騒ぎするんだろう?
どうして男子って掃除当番のときホウキでゴミをさらに広げるんだろう?
どうして男子って乱暴に物を扱うんだろう。
どうして男子は・・・ホント馬鹿みたい。
というか馬鹿でしょ。
馬鹿が洋服着て歩いているんだ。
男子なんて全員、教室から消えてしまえばいいのに。
何度そう思ったか数えきれないほど、私は男子が大嫌いだった。
そんな私を守ってくれたのはいつも気の強い女の子の友達だった。
私を誘拐犯から守ってくれたのも強くて綺麗な優しい女の人。
女の子は素敵だ。
いい匂いがするし、持っているものも可愛くてお洒落だし、何より優しい。
繊細な仕草、清潔な装い、洗練されたその身のこなし。
それに比べて男子はがさつだし乱暴だし単細胞。
給食の時間に牛乳を一気飲みして、鼻からその液体を噴き出している。
聞くに堪えない下ネタを叫びながら、その禍々しい大声で大笑いしている。
汚れたスニーカーの底にチューインガムの残骸がくっついていてもお構いなしで、体操服も何をどうしたらそうなるか分からないほどの泥の痕や緑の汁でまみれている。
小学校の卒業式のアルバムに載せる、クラスの色々なナンバーワン選手権というコーナーがあった。足が速い人ランキング、給食を食べるのが早い人ランキング、将来大物になりそうな人ランキング。そこで私は「なぜか苛めたくなる女子1位」にランクインされていた。
その数なんと17票。それはクラスの男子の総数だった。
なんでそんなに男子から目の敵にされるのか、自分でも全く分からなかった。
私がアナタ達男子に何をしたっていうの?
私はただ教室の隅っこで、静かに目立たぬように仲良しの友達とひっそり話しているだけなのに。
中学で女子校に入ってそんな不毛な日々から解放された私の喜びは大きかった。
それでも不本意ながら、日常生活で男とすれ違う場面は少なからずある。
満員電車で吊革に掴まっているとき、肩が触れてしまう男性には息を殺して我慢する。
学生服を着た男子がたむろっているコンビニは避けて、遠回りしても別のコンビニへ向かうことにしている。
お祖父ちゃんお祖母ちゃんの家に遊びに行っても、信二兄ちゃんのものではない男物のスニーカーが玄関に置かれているときは、そのままUターンをして家に帰ってしまうほどだ。
自意識過剰とでもなんとでも言うがいい。
私の周りには女性だけいればそれでいい。
世界中が女性だけだったら戦争だって起こらないんじゃなかろうか?
戦を起こすのは大昔から男だって決まっている。
織田信長なんかその最たるものだ。
乱暴で嫉妬深くて大勢の罪のない人達を殺戮して、
なにが「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」よ。
ホトトギスだって鳴きたくないときだってあるのよ。
「鳴かせてみようホトトギス」なんて豊臣秀吉はとんだ自信家だ。
さすが人たらしと伝えられているだけあるわ。
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」と言った徳川家康は随分のんびりした人ね。
そんな心根だと欲しいものは、どこかへ行っちゃうわよ?
とにかく男なんて大嫌い!!
そんな脅迫観念のようなものが年を重ねるごとに、
塵が積もるようにじわじわと心を支配していった。
そして男嫌いの女子高生がひとり完成したわけである。
それにしても桜蘭学園に入学出来て本当に良かった!
中学受験で頑張った自分を褒めてあげたい・・・とこれはオリンピックで金メダルを取った
女子マラソンランナーの言葉だっけ?
しかしそんな私に河本沙耶はこう言う。
「男の魅力が判らないなんて、つぐみは人生の半分を損している!」
「はあ?じゃあ沙耶の人生の半分は男のことで埋まっているの?
そんな人生、こっちから願い下げよ。」
私も負けじと応戦する。
河本沙耶は桜蘭高校で同じクラスの私の親友だ。
手足がすらりと長く、ショートカットの茶髪に、やはり茶色のカラーコンタクトを入れた大きな瞳がよく似合うボーイッシュで活発な女の子。
私は沙耶とは対照的な優等生キャラだ。
セミロングで、生まれてこのかた染めたことがない黒髪。
まったくイジリのない制服。
同級生のほとんどがカバンにジャラジャラとマスコットなどの飾りをぶら下げているけれど、私のカバンには四葉のクローバーのキーホルダーが一つだけ。
これは桜蘭学園中等部の受験に合格したときに、小学校時代一番仲の良かった梢ちゃんから貰った大切な宝物。
梢ちゃんとはたまにラインのやりとりをするだけの仲になってしまったけれど、明るくちょっと天然な性格だから学校生活も楽しく送っているに違いない。
沙耶と私は正反対のふたりだけれど、これがなかなか馬が合い、一緒にお弁当を食べる仲になった。
私が男嫌いだという話になったとき、沙耶は信じられないといった目をして私を不思議な生き物と言いたげにさらりと言った。
「私、中学1年のときに、もう彼氏がいたし、ファーストキスも済ませたけど?」
「ファーストキス??男と、その、唇と唇を・・・その・・・」
言い淀む私に沙耶は唇を突き出してタコのような顔になった。
「うん。ブチューっとね!」
「うわっ!キモ!!」
「ちょっと!愛を育む恋人たちのスキンシップをキモ!!で片付けないでくれる?
さすがにレモンの味はしなかったけど、彼が噛んでいたミント味のキスだったなあ。
場所は誰もいない教室で。チャイムが鳴ったと同時になんとなくいい雰囲気になってね。
ロマンチックだったなあ。」
「へえ~」
私は自分に置き換えて想像してみる。
もしも私が男嫌いを克服して、そんな相手が出来て、ブチューっと・・・
いやいやいや。
「ないないない。絶対無理!!ありえないわ。」
私は脳内シュミレーションしただけで、背中に鳥肌が立つのを感じた。
「で?今度の彼氏はどうなのよ。大学生の、弁護士を目指しているっていうあの法学部の。
たしかタケル君だっけ?」
タケル君とは最近出来た沙耶の新しい彼氏の名前だ。
沙耶とダブルピースした彼の写真は、マリオに出てくるキノピオみたいな髪型の金髪の男。
沙耶には言えないけどキューティクルさらさらの髪がなんとも言えず気持ち悪かった。
でも沙耶は恋バナが大好きなので、時々こうして話を振ってあげる。
ホントはまったく興味ないけど。
「ああ。アイツ?二股していたからソッコー別れた。
同じ大学の女子大生とも、できていたの、あの男。
あろうことにその女子大生宛てのラインを間違えて私のところに送ってきやがってさ。
なにがラブ♡みゆきちゃん、よ。男がハートマークの絵文字使っているんじゃないわよ。
二股するなら最後までバレないようにやれ!」
そう言い捨てると沙耶は小さくはあっと息を吐いた。
あれ?つき合い始めの頃、そのハートマークを見せびらかしていたのはどこの誰だっけ?
という言葉を私は飲み込んだ。
「まあ良かったじゃない。そんな男だって早くにわかって。」
沙耶も男の為に大切な時間を使うなんて無駄なこと、
止めたほうがいいって早く気付けばいいのに。
「まーね。私もアイツにはちょっと飽きてきていたから別にいいんだけど。」
そう、沙耶は少し飽きっぽいところがあって、彼氏が出来てもいつも長続きしない。
そして今日も今日とて、沙耶は昼休みの食事中、私を合コンに誘って来た。
お弁当のハンバーグを口に入れる前に、私は沙耶の顔を睨んでみせた。
「・・・あのねえ。いつも言っているでしょ?私は男という人種が大嫌いなの!
合コンって絶対男がいるでしょ?」
「そりゃまあ、男と知り合うための場だからねえ。」
「そんな所に私が行くわけがないじゃない。」
「そんなこと言わずにつぐみも一緒に行こうよぉ。
喰わず嫌いは良くないよ?世界が、視野が広がるよ!
アンタだって大学行ったら男と一緒に勉強をしたりサークル活動しなきゃいけないんだよ?」
「女子大に行くから大丈夫ですぅ。」
「会社に入ったら上司や同僚が男だったりするんだよ?それ避けて通れる?」
「・・・・・。」
痛い所を突かれて私は顔をしかめた。
そうだよね。いつかは男と接触しなければならない時がやってくる。
分かってはいるのだけれど・・・。
私はハンバーグを咀嚼してゴクンと飲み込んでからこほんと咳ばらいをした。
「その時は・・・その時よ。」
「ねえ。今回はイケメン揃いだって言うしさ。一緒に恋バナしようぜィ!」
「沙耶は合コンに行きすぎじゃない?学生の本業は勉学ですよ。」
「そう言わずに・・・ね!イケてるメンズ、ゲットだぜ!」
そんなポケモンゲットだぜ!みたいに言われてもね。
「あ、イケメンと言えばさ、中等部の時テニス部に所属していたルナっちが言っていたんだけど、
一時期めちゃくちゃ格好いいイケメン男子が、練習中の様子を見て微笑んでいたんだって。
みんな私を見ているんだ!ってマウントの取り合いで大変だったらしいよ?」
「イケメンなんて興味ないし!大体中学生のテニス姿を見て笑っているなんて、変態に決まっているでしょ。」
「これがイケメンだと許されちゃうんだな~。」
男嫌いの私にとってはイケメンだろうとブサ男だろうと、男に変わりはない。
ちょっと顔の作りが整っているだけで、中身は男なわけだし。
それにイケメンって大抵ナルシストだったり、軽くて中身空っぽってカンジだし。
「大体つぐみはもったいないよ。めちゃ可愛いのに地味な恰好しちゃってさ。
もっと外見に気を使ったらセブンティーンの読者モデルになれるよ、きっと。」
「可愛くなったからってナニよ。痴漢の被害に遭う確率が高くなるだけでしょ。」
「そんなことないって。もっと女子高生というブランドを活用しなきゃもったいなくない?」
その時私のスマホがラインを知らせる音を鳴らした。
見るとママからの通知で、今日は信二兄ちゃんが来るから
早く帰宅するように、という内容だった。
私は先日の夜中のパパとママの会話を思い出していた。
今日は信二兄ちゃんの結婚報告があるのかもしれない。
もしかして未来の奥さんを連れてきていたりして。
その奥さんのお腹の中には、小さな赤ちゃんが宿っているんだ。
「ねえ沙耶。私、もうすぐお姉ちゃんになるかもしれない。」
「ええ?どういうこと??」
「多分、今日その大切な話が聞ける予定なの。どっちにしても今日は合コンなんて行けません。
信二兄ちゃんが来るから早く帰って来いって。」
「信二兄ちゃんってつぐみの伯父さんだっけ?
あの人の良さそうなパンダのぬいぐるみみたいな?」
「そ!パンダみたいに人が寄ってくる、私が話せる数少ない男の人。」
「もー仕方ないな。今度は付き合ってよ。」
沙耶はそう言ってサンドイッチをぱくついた。
「だから合コンなんて行かないっていっているでしょ!」
私は食べ終わったお弁当箱のふたを閉じ、クマ模様のランチクロスで包んだ。
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