第6話

第6章 海浜都市レオーネ編 第6話(1)

《十二使徒》ミラとの決戦から一夜明けた翌日。

 クラウディアとクランツは、ミラの収容されている聖塔の地下牢を訪れていた。

 白い煉瓦石で覆われた聖塔の地下はひんやりと冷たく静かで、カツカツという靴音が広い空間に反響する。牢屋でありながらそこに満ちる雰囲気は神聖そのもので、ここで地上の説教を聞いていれば誰でも心を洗われるのではないかという印象をクランツは抱いた。

 町を守りミラを回収した一戦の後、ミラの身柄は駆け付けた自警団員に確保され、傷の手当てを施された後事情聴取を行う運びとなったが、頑なに無言を決め込むミラに対し、彼女が唯一「信頼できる」というクラウディアとシャーリィが彼女の身柄を預かり事情を聴くという話になり、彼女はそのままシャーリィの付き添いの下、聖塔の地下牢へと運ばれた。

 その翌日、聖塔にて催された集会で、クラウディアの尽力により夜盗が捕らえられたことが市長の口から話され、この事件の発端となった魔女と人間の間の軋轢について語ったシャーリィの口添えもあり、市民は皆深く敬虔な自省の空気に包まれた。その流れもあって、その後市長とカイルの口から話された《魔戒計画》とその阻止のために動いているクラウディア達の行動については市民の総意を持って賛同されたが、クラウディアの表情をクランツは横から見ていて、自身もその胸の内を共有したような複雑な気持ちになった。

 その後、クラウディアは改めて市長とカイル、シャーリィの三者から《魔戒計画》阻止への賛同の了承を貰い、アルベルトに任されていた任務は完了、あとはギルドに預けていたエメリアを引き取って、町の手配してくれた馬車で次の町へと向かう段になっていた。クラウディアはその前の時間を少しだけ使って、ミラに挨拶に来たのである。

 シャーリィに先導され、クラウディアとクランツは格子の付いた牢の一つへ案内された。そこで不機嫌そうな面持ちで奥にあるベッドに横になっていたミラは、訪れたクラウディアの顔を見ると、一瞬驚いた顔を隠すように元の表情を取り繕った。

「ミラ……具合はどう?」

「おかげさまで、何とも居心地の良い牢屋ですわね。地下には静謐、地上には説教の声。何より牢獄でも淑女に毛布を用意する心がけが残っていることは喜ばしいことですわ」

 皮肉を飛ばした後、ミラは詰るような眼をクラウディアに向けた。

「クララ……あなたが捕らえた私に今更何の用ですの? 勝者が敗者にかける言葉なんて、大抵は相手にとって屈辱にしかなりませんのよ?」

「そんなふうに受け取ってもらいたくはないのだけれど。もうすぐこの町を出るから、あなたに会っておきたくて。それに、いくつか確かめたいこともあったしね」

「確かめたいこと?」

 虚を突かれた様子のミラに、クラウディアは問いかけた。

「ねえ、ミラ。あなたはなぜ、私を殺さなかったの?」

 その言葉に、ミラが息を詰まらせたのを見て取りながら、クラウディアは続ける。

「私情のことを抜きにすれば、あなたは十分私を殺せるだけの力を持っていた。あなたは手を抜いたつもりはないと言っていたけれど……私からすれば、あなたは手を抜いているようにしか思えなかったわ。私を殺さないように手加減をしていた。あなたの感情からすれば、不自然なほどにね。まるで、私を殺してはいけない理由でもあるかのように」

 そして、緊張した面持ちのミラに向けて、追究するように訊いた。

「ハンスやカルロスの時もそうだった。あなた達は私を殺さないように、戦闘の中で手加減をしている。私を明らかに敵対勢力だと認識しているあなた達が、最も邪魔であるはずの私を――計画進行のリーダーである私を排除しないのには、何か理由があるの?」

「参りましたわね……やはり見抜かれていましたか」

 問い詰めるクラウディアに、ミラは降参したように息を吐くと、憮然としながら言った。

「私の口から今明かせることは何もありません。しいて言うなら、あなたのその認識のどこかに間違いがある、とだけ申し上げておきましょうか。それ以上は何も言えませんわ」

 そして、クラウディアの眼を、何かを伝えようとするような強い眼差しで見て、言った。

「ただ、私達皆、かつての家族であったあなたを手に掛けることなど望んでいない……それだけは、確実な事実ですわ。それをどう捉えるかは、あなた次第ですけれど」

「そう……それを聞けてよかった。少しだけ安心したわ」

 ほっと胸を撫でおろすクラウディアに、ミラは「クララ」と呼びかけた。

「出立前に私に会いに来てくれたことには感謝しますわ。今のあなたと剣と言葉を交わしたことで、私もいささかながら得るものがありました」

「ミラ……?」

 当惑するクラウディアに、敗者のような諦念を浮かべた眼を見せながら、ミラは続けた。

「昨夜も言いましたが、私は私達の村を焼いた人間達のことを許すことは、やはりできそうにありません。たとえあなたに諭されようと、それは私の中の変わらない気持ちです。そして、人間も魔女も皆守りたいというあなたの想いもまた、本物であるということも」

 クラウディアの燃えるような赤い瞳から目を背けるように俯きながら、ミラは語った。

「私達――《十二使徒》は、人間と魔女を被虐の関係のままにはしておけないとして立ち上がった身分です。魔女と人間の間にある被虐の鎖を断ち切る、そのために私達は行動している。それが我らの母様――ゼノヴィア様の意志であり、それを実現するための《計画》です。私達は、私達の理念と正義の下に戦っている。我ら《使徒》一同、そこに迷いはありません」

 そして、目を上げると、ですが、と、クラウディアを穏やかな目で見た。

「あなたにはあなたなりの戦い方があるのかもしれませんわね。私はそれを感じました」

「ミラ……」

 言葉の出ないクラウディアに、ミラは心の内を語った。

「もしも、ゼノヴィア様が亡き朋友、セレニア様の意志を継ごうとしているのなら……私達の目指そうとしている場所は、究極的には同じなのかもしれない。だとしたら、いずれ私達はどこか同じ場所でまた、同じ目的のために再会するのかもしれません。認めたくはありませんが、シャーリィ様の仰っていた通りでしたわね」

 そして、降参したような笑みを見せると、クラウディアに宣下するような目を向けた。

「私はあなたに敗れ、あなたに私が背負う分だった未来への選択を託しました。そしてあなたは、私を前にその覚悟を示して見せました。人間も魔女も守るという、あなたの決意を。敗者として、そしてかつての家族として、私はあなたを、あなたの選んだその道を、信じてみようと思います。私には進めない道、選べない選択……それを、私はあなたに託してみたいと思いますわ。私達には実現できない希望を、あなたが実現させる、その可能性を」

「ミラ……」

 表情を明るくするクラウディアに、ミラは挑戦的な笑みを浮かべてクラウディアを見た。

「いずれ、どちらが正義を手にするのか、本当の決着を着ける時が来るはずです。その時まで、せいぜいお仲間共々頑張ってみなさいな。私は私の道を行きます。だからあなたもそうなさい。この私を屈服させてまで選んだのです。中途半端は承知しませんわよ?」

「ええ。あなたに託された意志、確かに背負わせてもらうわ。ありがとう、ミラ」

 決意に溢れた笑顔を浮かべるクラウディアに、ミラは眩しそうに微笑んだ。

「その笑顔……まるで明るい炎のよう。今でも眩しいですわね。やはりあなたには敵いませんわ。――ところで、私もひとつ、あなたに訊きたいことがありましたの」

「え……私に?」

「ええ。というか、あなたの横にいるそのちんちくりんについてですけれど」

「ちんちくりん、って……」

 告げられた言葉が自分に向けられたものだとクランツが理解する間に、ミラは呆れたような眼をクラウディアに向けて、言った。

「ねえ、クララ。そこのおチビさん、あなたの何ですの? 騎士にしても恋人にしても、いささか背丈の差がありすぎるようですけれど」

「――――――」

 ミラのその言葉に――正確にはそれの問う所に、クランツは息が詰まるのを感じた。つまるところ、これに対するクラウディアの答えは、彼女が自分をどんなふうに見ているのか、という、ずっと知りたかったその答え、そのものになる。

 ミラの問いに、クラウディアは自らの脇に立つクランツに目を遣る。それに気づいたクランツが見上げてくるのを見ると、何かを見出したように微笑み、クランツの肩にぽんと手を置いて、ミラの問いに――そして、クランツの問いに、答えた。

「彼は、クランツ・シュミット。私の騎士だ」

「――――――――――」

 私の騎士――迷いなく口にされた、信頼の言葉。

 その言葉が脳裏に刻まれたクランツは、その後の会話をほとんど覚えていなかった。

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