第6章 海浜都市レオーネ編 第5話(2)

 光に包まれた後、戻った視界を確かめると、自分が海上のはるか上空にいることをクラウディアは知った。眼下には月光を浴びて煌く海面と、アルネス半島から遠景のように広がるグランヴァルト王国の青い夜景が見えた。その壮大にして静謐な光景に心を奪われるクラウディアに、足場を確認するように足先をトントンと叩きながら、ミラが言う。

「ここでなら、誰の邪魔も入りませんわ。決着をつけるにはちょうど良いでしょう?」

 剣を手に提げるミラに、クラウディアは彼女を見据えたまま、最後とばかりに問いかける。

「ミラ、一つだけ聞かせて。私達がつけるべき『決着』とは、本当にこんなものなの?」

 クラウディアの問いに、ミラは冷ややかな目をクラウディアに向けた。

「あまり幻滅させないでくださいな、クララ。その問いは誰かに訊くものではありませんし、その答えは私が教えられるものではありませんわ。自分の胸に訊いて探してごらんなさい」

 そして、右手に持った剣の先をクラウディアに向け、突き刺すように言った。

「いずれにせよ、そんな迷いに囚われた心で、今の私を倒せるとは思わないでもらいたいですわね。そんな鈍らな意志の剣に倒されるほど、今の私達は柔ではありませんわ」

「ミラ……」

 言葉に陰りを見せるクラウディアに、ミラは憮然とした目を向けながら言った。

「私、気に入りませんの。英雄の血を継ぐあなたが、そんな迷いに囚われた瞳を見せるのが。あなたにそんな目をさせる迷いが生まれていることが、私、我慢がなりませんの」

 そして、右手の剣先を下げ、空いた左手をクラウディアに差し伸べた。

「今からでも遅くないと言いたいところですが、そろそろ最後通告の時期ですわ。クララ、私達の元へ帰っていらっしゃい。そして、私達と一緒に、お母様の無念を果たしましょう」

 その言葉に、クラウディアの目の色が変わった。

「母様の……無念?」

「ええ。人間に殺されたあなたのお母様と、セレニア様を亡くした私達の母様の無念……報いたくはありませんこと? 私達なら、きっとそのための力になれますわ」

 誘うようなミラの言葉に、クラウディアは確信と共に首を振った。

「違うわ。ゼノヴィア伯母様の思いはともかく、私の母様はそんなことを望みはしなかった。人間への復讐は、母様の無念に報いることにはならないわ」

「そう……でしたら、これ以上道を違えたあなたと語るべきことは何もありませんわね」

 クラウディアの返答に、ミラは目を閉じ、開いた。青いその瞳は静かに燃えていた。

「私達に靡く気がないのなら、余計な感傷はお捨てなさい。今、あなたの目の前にいるのは、あなたのかつての友ではありません。あなたと道を違えた敵――《十二使途》『海』ミラ=メアです。我らが母様の大義の元、この身に託された使命を執行させてもらいますわ」

 宣言し、《十二使途》「海」ミラ=メアは、身に纏っていた外套を空へと投げ捨てた。肩から先が剥き出しになった袖のない黒い衣装に身を包んだ上半身が露わになり、両の細い二の腕に刻まれた紋章の刻印が、その力を解き放つように青黒い光を放つ。

 ミラはその手に持った剣を真上に掲げた。その腕の刻印から手にした剣に魔力が伝わり、剣先から青黒い光の奔流が迸って、真下の海へと流れ込んでいった。

 途端、眼下の海が不穏な蠢きを見せた。眼下をよく観察してみると、海から何か異形のモノが浜辺に上がっていくのが見える。その様子を眺めながら、ミラが言った。

「あれは海水を私の意思を混ぜた魔力で練り上げた人形ですわ。私を倒して力の元を絶たない限り、延々と町の人間を襲い続けるでしょう。本当はこんな不細工な真似をしたくはないのですけれど、こうでもしないとあなたをその気にさせられなさそうですのでね」

「ミラ……」

 言葉を失くすクラウディアに、ミラは激しい目を向け、挑みかかるように言った。

「問答はここまでですわ。あなたの意思が鈍らでないと証明したいのなら、剣を構えなさい、クララ。そして私を打ち倒してみせなさい。それができないのなら、あなたのどんな意思も何の力も持たない、何一つ守れない錆びた鈍刀に過ぎませんわ!」

「…………!」

 意思を試すその言葉が、クラウディアの心に火を点けた。剣を握る手に力を込め、クラウディアは逸るような目でミラを見据える。その心を読み取ったようにミラは一声、

「見せてみなさいな、クララ。あなたが、私達の意志を越えられるのかを!」

 視線を交わし、赤と青、二つの影が月光の夜空の中、踏み込むのは同時だった。


 霊園の中から宙に浮かんでいた円陣を眺めていたクランツは、そこに剣撃の擦れあう光が見え始めたのと時を同じくして、夜のせいだけではない悪寒を全身に覚えた。

 何か、異様な危機が這うように町に迫っているような印象を感じた時、海辺を見たクランツは、海の中から透明な体をした無数の異様な何かが陸に上がろうとしているのを見た。

「何だ、あれ……⁉」

 不穏なざわめきを胸に覚えたクランツは、腰にしまってあった天意盤の反応から、それが中天に浮かぶ円陣の、クラウディアの戦っている相手――おそらく《十二使途》によるものであることを感じ取った。

 だとすると、今のクランツに元を絶つことはできない。だが、あれを放っておけば、町にどれほどの被害が出るか、想像しただけでも怖気がする。

《私が帰ってくるまで、何かあったら町を頼む》

 クラウディアに託された言葉を、クランツは思い返す。

 彼女が帰ってくるまで、何としても自分が町を守らなければならない。

 だが、あれだけの数の異形のモノを、自分一人で捌けるか?

 途方に暮れかけながらも自らを奮い立てて町の方へ走り出そうとしたクランツは、ふと、夜気の中に別の異質な霊気の存在を感じ取って足を止め、空を見た。

 見上げたその中空に、淡い光を放つ一羽の小鳥が、クランツの元へと舞い降りてきた。見覚えのあるその小さな姿を思い出した時には、小鳥はクランツの眼前に漂い、声を発した。

『クランツ君、無事?』

「シャーリィさん、ですか?」

 頭の中に直接響く声に答えたクランツの声に、声の主は小鳥を介して話を伝える。

『よかった……と言いたい所だけれど、そうも言っていられない状況みたいなの。こちらは今、聖塔の展望台にいるわ。状況はだいたい把握してる。自警団の詰所にも連絡を送ったわ』

 シャーリィを信用し、クランツは訊いた。

「シャーリィさん、今、何が起きているかわかりますか?」

『クラウディアと交戦してる夜盗の女の子が、海水で人形を作って、町を襲わせようとしているみたいね。動きが遅いから町に辿り着くには少しだけ時間があるけれど、あれはおそらく魔法生物の類。魔力を持たない自警団の皆の戦力では、おそらく対処できない』

「そんな……どうすれば……」

 絶望的な状況に俯きかけるクランツの頭を上げさせるように、シャーリィの声が続いた。

『私に貸せる力があるの。それとあなたの力があれば、あの化け物達を何とかできるかもしれない。今から言うことをよく聞いて、聞いたらすぐに向かってくれる?』

 シャーリィの言葉に呼応するように、眼前に漂っていた小鳥が、眩い光を放ち始めた。

「――わかりました。僕に何ができるのか、教えてください!」

 眼前で羽ばたく小さな希望を前に、クランツは決然と頷いた。

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