第6章 海浜都市レオーネ編 第1話(5)
シャーリィの誘いに従い、三人はお茶の支度の整えられたテーブルを囲むように据えられている円形の椅子に腰掛けた。青磁器のカップに入っているお茶は、微かに青みがかかった色をしており、温かい湯気と共に早朝の風のような爽やかな香りが立ち昇っていた。
かぐわしくもどこか妖しい香りを漂わせるそのお茶を前に、クランツはどうしても身構えてしまう。奇しくもこれまでにかの「六星の巫女」の内の二人に邂逅しお茶を振る舞ってもらったクランツだったが、その時の体験は端的に言えば当たり一、ハズレ一だった。効能があることはよく身に沁みてわかるのだが、一度目の時の強烈な魔力酔いの経験は、今でもなかなか忘れることができない。対して二度目の時は心身に沁み入るような温もりに満ちていた分、クランツの中で「霊茶」の印象は五分五分になっている。
それらの経験から、もしかしたらその性質は彼女達の性格を反映しているのかもしれない、などと確証もない仮説を思いながら、クランツは対岸に座るシャーリィの顔を盗み見る。
彼女はさしてクランツのそんな警戒心を気にした様子もなく、しなやかに優雅な手つきでティーカップを手に取ると、お茶を一口飲み、
「う~ん、美味しい♡ さすが、霊樹の葉っぱはお茶にしても格別なのね」
と、心底嬉しそうに表情を綻ばせた。
……どうやら、彼女は性格的にはどちらかと言えばフレーネよりエレネールの方に近いのかもしれない。なら、とクランツは意を決してティーカップを手に取り、霊樹の茶葉から淹れた霊茶を啜った。
その時、体中に熱く漲る霊力が流れ込み、自らの血流と一体となるように巡り渡ってゆく感覚は、クランツが全く予期していないものだった。体中に巡る血潮のような熱量を持ちながら、それは決して体に異常をもたらすことなく、クランツの体内に融け込んだ。
「っぷはぁ……美味しいですぅ。何だか体の中が綺麗になるみたいですねぇ」
「そうだな……これもシャーリィ様の魔力の賜物だろうか」
彼の隣でお茶を啜っていたエメリアのクラウディアも、それぞれに好印象を口にする。
ひとまず異常が起こらないことにほっとしたクランツに、シャーリィが声をかけてきた。
「ありがとうね、クランツ君。こんないい茶葉を使わせてもらって、嬉しいわ」
「あ、いえ……僕も、よかったです。こんな形で使ってもらえたなら」
返礼を返したクランツを、シャーリィは微笑みを浮かべながら眺めていた。先程までの流れから、何となく自分が値踏みされているように感じるのがクランツは気になった。明るく穏やかで思い遣りもありそうで、決して腹に一物あるような人ではなさそうなのだが、どこか自分を試すような態度が見え隠れする辺りに、クランツは彼女の性格を測りかねていた。
そんなクランツの内心を読み取ったのか、シャーリィが口を開いた。
「さてと……まずは遠路はるばるお疲れ様、クラウディア。よく来てくれたわね」
「いえ……こちらの方こそ、長い間音沙汰も寄こせず、ご心配をおかけしました」
お互いの気遣いを含んだ挨拶の後、シャーリィは言った。
「随分長い『間』になっちゃったけれど……元気にしていた?」
どこか様子を窺うようなシャーリィの言葉に、彼女のその内心を察したクラウディアは、彼女なりの恩義を感じさせる言葉で答えた。
「お陰様で。あれから色々ありましたが、こうして仲間にも恵まれました」
「そう……その眼を見る限り、それに関しては心配はなさそうね。いい眼をしているわ、クラウディア。深く澄んだ紅玉……もう、すっかりあの子にそっくりね」
嬉しそうに目を細めるシャーリィに、クラウディアは少しばつが悪そうにしながら言う。
「ネール様にも、ローエンツでお逢いした時、似たようなことを言われた気がします」
「今のあなたを見れば、皆そう思うってことじゃないかしら。あの子の――セレニアの記憶を持つ私達なら、ね」
嬉しそうに語るシャーリィに、クラウディアは――俯いた。
「……シャーリィ様。今の私は本当に、母様ほどの器でしょうか」
「え?」
クラウディアの呟くような声に言葉を止めたシャーリィは、俯いているクラウディアの声に陰が差しているのに気が付き、話を止めて、クラウディアに謝るような視線を向けた。
「そうね……ごめんなさいね。あなたにとってはデリケートな話なのに、無遠慮に踏み込んでしまって。あの子の生き写しのようなあなたを見ていたら、つい熱くなってしまって」
「いえ……母様のことを今でも憶えていてくださっているのは、嬉しい限りです」
そう言ったクラウディアの言葉には、おそらく嘘こそなかったが、どこか疲弊にも似た色が表れていた。シャーリィがふと気を引かれてクラウディアの隣に控えるように座るエメリアに目を遣ると、エメリアはその視線を受けて、微かに同情のような笑みを浮かべて首を振った。言葉なしに交わされるそのやり取りをクランツが不思議そうな目で見ているのを見て、シャーリィはある程度彼らの事情を察し、一旦この話を措くことにした。
「そうね……それじゃあこの話はまた時を改めましょう。この会っていない間に、あなたがどんな出会いや経験をしてきたのかも聞きたいけれど、それはあなたが話せる時でいいわ。あなたの心の整理が付けられる時……聞かせてくれると嬉しいな」
「……はい。お気を遣わせてしまい申し訳ありません」
「気にしないで。謝るべきは私の方よ。でも本当に、いい仲間を持ったみたいね」
嬉しそうに笑みながらそう言うと、んっ、と小さく咳払いをして、シャーリィは蒼海の水のように冷たく澄んだ瞳でクラウディアを見た。
「ところでクラウディア、今日はどうしてレオーネまで来てくれたの? 観光に来てくれたのならレオーネの守り手としても嬉しい限りだけれど……どうも、そういう訳でもなさそうね」
シャーリィの言葉に、クラウディアは気勢を正し、『長』としてシャーリィに相対した。
「シャーリィ様。私は今、縁あって王都の自警団に所属しています。此度は、王都にいるアルベルト・ハインツヴァイスからの依頼による巡業の一環として、立ち寄らせて頂きました」
そして、毎度のことながら、アルベルトから受けた話を、シャーリィに説明する。
このグランヴァルト王国・王都の水面下で、魔女の犠牲を伴う最終兵器の開発計画が進んでいること。計画の主導者は王国宰相ベリアルであり、さらにそこにシャーリィと同じ《六星の巫女》の一人・ゼノヴィアとその手勢である《十二使徒》、そしてアルベルトの双子の兄ゼクシオンが一枚噛んでいるらしいこと。自分達はその最終兵器開発計画を阻止するべく、王国全土を巡って主要地の協力を取り付ける旅業をしており、その際に何度か彼らと接敵したこと――そして、このレオーネにも、その協力を願いたい旨を、シャーリィに話した。
一通り話を聞き終えたシャーリィは、ふぅと呆れたような息を吐いた。
「そうだったの……まったく、ゼノも頑固ねぇ。今さら誰かや何かに当たり散らしたってあの子は帰ってこないし、あの子だってそんなことを喜びはしない……そんなことくらい、あの子ならわかりきってるはずなのにね」
呆れながらも同情の色を表情に見せるシャーリィに、クラウディアは言葉を繋いだ。
「何とか、レオーネの町にも協力を仰ぎたいのですが」
「そうねぇ……でもだったら、今日は絶好のチャンスじゃないかしら」
「えっ?」
突然の提案に面食らうクラウディアに、シャーリィが言う。
「さっきの式の列、見たでしょう? 今日はカイル君とメリィちゃん……このレオーネの市長の娘さんの結婚式だったのよ。きっと今頃、市長宅の庭を使ってパーティで盛り上がってるんじゃないかしら。皆上機嫌だろうし、話を持ちこむなら今がチャンスよ、きっと」
(いいのかな、それ……)
口にはせずクランツは思った。乱痴気騒ぎのノリに持ち込んでいい話とは思えない。
全く逆の視点から、クラウディアも同じことを思ったらしい。
「そんな……良いのでしょうか? そんなおめでたい場にこんな話を持ちこむなど、水を差すことになりはしませんか?」
「それはもちろん、いきなり祝いの場に戦略交渉を持ちかけるのはちょっとね。けど、親交を築くって意味では、今日ほどのチャンスもそうはないはずよ」
それに、と、シャーリィは興気にクラウディアを見て、こんなことを言った。
「あなたなら、この町ではきっと歓迎されるはずよ。救国の英雄、『紅勇』のクラウディア」
「……え?」
虚を衝かれた思いのクラウディアに、シャーリィはにこにこと興気に笑むばかりだった。
その後、シャーリィから「事情」を聞いたクラウディア達は、善は急げとばかりにシャーリィの元を辞去し、教えてもらった市長宅へと急いだ。後に残ったシャーリィは、茶器を片付け終えると、聖塔のテラスに出て、猊下に広がるレオーネの町を眺めた。
眼下に広がる町を見下ろす視線の先、市長宅へ向かう三つの人影が見える。遠目からでも目立つ真紅の髪と、その両隣に並ぶ二つの小さな影。
その内の、二人の従者――特に、少年の方に、シャーリィは不思議に気が向くのを感じる。
《この子を守りたいなら、もう少し頑張らないとね》
自分でもさらりと口に出てきた言葉に、今さらながらシャーリィは驚いていた。彼を見た瞬間、自分はなぜか、彼に何か足りないものが見えていた気がしたのだ。
それは期せずして、隣にいたエメリアとの様々な比較によって、より鮮明に見ることができていた。実力・愛嬌・関わってきた時間……それら、およそクランツ少年が至らない諸々の部分の中にあって、逆にクランツ少年だけが持ち得ているもの。
《シャーリィ様。彼は見かけほど小さな男ではありません》
それがおそらく、彼にとってエメリア以上に比べ物にならないほど大きな存在である、あのクラウディアを惹きつけているもの。
それを推察したシャーリィは――思わず、彼らの愛くるしさに微笑が零れてしまうのを抑えられない。
「エメリアちゃんも、きっとこんな気持ちだったんでしょうね」
テラスから彼らの小さな姿を眺めながら、シャーリィは楽しそうに零す。
今はまだ、未熟。それは彼自身も含めて、誰もが知る所だろう。
だが、彼はいずれ、現状を変える何かを見せる――それも、そう遠くない内に。
その、彼が秘める可能性の熱量は、全てただ一所のためのもの。
それなりに長い時を生きてきた者にとって、そんな荒削りながら熱い輝きを放つ若さの煌きというものは、在りし日の自らを映して眩しく見えるものなのだ。
「まったく……可愛い子達ね。応援しがいがあるわ」
笑みを漏らし、シャーリィは視線を上げ、イリアス湾の遠望を見晴らす。
――一方で、シャーリィはレオーネの、そして王国の守り手の一人として、クラウディアの持ち込んだ話を冷静に検討していた。
王国宰相ベリアル・クロイツによる、水面下で進められる最終兵器の開発計画。それになぜか加担しているらしいゼノヴィアの一派と、それに対抗しているアルベルト勢。
事によれば、単純な図式ではアルベルトとベリアル両派による、国府勢力の分断も考えられる。シャーリィはクラウディアからハーメスの一件を聞かされていたが、そうでなくともレオーネもまたそのような勢力図の流れに食い込まざるを得ない状況は容易に想定できた。彼女はレオーネの守り手として、そしてグランヴァルト聖王国の守護を務める巫女として、この一件について最適な判断をしなければならない。
それに――彼女から聞いた話の中には、いくつか引っかかる点もあった。
(市長さんと話し合う必要があるわね……せっかく送り出した後だけど、仕方ないか)
クラウディア達がその件を話しておいてくれれば、少しはスムーズにいくか……そう考えながらシャーリィは最後にもう一度、市中を歩く赤い人影に視線を注ぐ。
心無い『人間』によって、家族と仲間と故郷を二度に渡って奪われた少女。
その彼女が、かつての里親と仲間達と敵対し、人間の世界を守るために戦おうとしている。
彼女こそ、今のゼノヴィアのように怨執に囚われてもおかしくない。それでも彼女がそのような道を進むと決められるだけの何かが、自分の知らない所であったのだろう。
それがきっと、エメリアであり、シャーリィの知らない彼女の仲間達であり、そして――あの、幼いながら不思議な魅力を持つ少年のもたらした何かなのだろう。
(本当に……応援しがいがあるわね)
シャーリィは久々に心が満たされる心地よさを味わいながら、テラスを離れ、ゆっくりと聖塔を降りていった。
アスレリア聖王暦1246年、8月22日。
祝福の鐘の音を乗せた潮風が、光の溢れるレオーネの白い街並みに吹き渡っていた。
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