第32話 春雷


 季節めは巡り、冬が過ぎ春が訪れた弥生やよいの下旬。


 依然として寒い日は続くけど、降り注ぐ陽射しは暖かい。


 木陰の雪は半ば氷となり、溶け残っている物もある。


 それでも草木は春の到来を敏感に察知し、芽生えたばかりの小さな葉を広げていた。


 里山程ではないけど、離れは自然が多い。


 そのせいか、こうして新緑に囲まれているとここが青都だと忘れそうになる。


 しかしそんな錯覚を正すように、硬い音が離れの庭から鳴り響いた。


 音を発しているのは、影二つ。


 片方はあたしよりも小さく、ともすればより女らしく見える黒髪の少年、スサノオ。


 片方は初老の域に入った、青い短髪の侍従頭。


 さっきから響いている音は、互いが持つ木刀がぶつかり生じている。


 といっても、打ち合いになる程ではなく。


 自らは攻めず、侍従頭はスサノオの打ち込みを受けるだけ。


「まだまだ、得物に使われておりますな」

 

 スサノオが振り下ろした木刀を、小揺るぎもせずに侍従頭が止める。


 逆に木刀のぶつかった衝撃で、スサノオの方がよろけていた。


 倒れず踏みとどまっただけでも、だいぶ進歩したと思う。


 スサノオが刀術を習いたいと言い出したのは、まだ雪降る日も多い如月きさらぎの初旬。


 切っ掛けは些細なこと。


 夕餉ゆうげの下拵えに手間取るあたしに代わり、スサノオが竈に米の入った釜を持ち上げようとし……できなかったのだ。


 顔を真っ赤にして頑張る姿と、持ち上げられず心なしかしょんぼりした姿が対照的で、


「可愛い……」


 とうっかり溢したのがまずかった。


 スサノオも立派……かはさておき、男の子。


 可愛いと言われ、自尊心が傷付いたらしい。


 それからしばらく、いつにも増して素っ気ない態度が続き、唐突に刀術を習うと口にしたのだ。


 あたしが教えられることじゃないため、侍従頭に相談した結果、週に二度スサノオへ稽古をつけてくれることになった。


 最初は定めた時刻の終わりまで体力が持たず、息も絶え絶えに倒れ伏したスサノオ。


 それが今や、荒い息を吐きながらながらも二の足で立ち続けている。


 可愛くてもちゃんと男の子なんだなあと、密かに感心したのは内緒。


 言ったら、また臍を曲げるかもしれないからね。


 きっちり半刻の鍛錬を終えた後。


 汗だくのスサノオに手拭いと水を持っていくと、疲れた様子もない侍従頭が不意に告げた。


「この時期、各地で豊作を願う春祭りが行われます。今年、ツルギ家は南部に広がる田園地帯の巡察を都長みやおさに命じられました。旦那様は、それに同行せよと仰っています」

 

「!?」


 珍しく、スサノオが目を見開き驚いている。


 あたしも驚いた。


 何しろスサノオの世話役となった際、二度と離れのある敷地を出ることはないような口振りだったからだ。


 それが今更、どういう風の吹き回しだろう。


 スサノオは刀術を習ったり、以前に比べ自分の意志を伝えるようになった。


 けど、それもここ数ヶ月の話。


 成長と捉え認められるには、早い気がする。


 不安を覚えるあたしとは逆に、スサノオは微かに頬を上気させ、拳を握り締めていた。


 親に認められたと、そう感じているのかもしれない。


 だからこそ、あたしは何も言えなかった。


 杞憂であればと願うあたしの心情に反し、遠くから迫る鉛色をした雲の中に、春雷が怪しく光っていた……。

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