第39話 リミット・オーバー

 カモカ自治体警察の隊員が、目撃者の証言通りに目抜き通りを抜けた町外れを捜索している頃。

 トロワ達はそこから更に離れた川沿いの、上流の川辺にいた。


「ど、ど、どうしよぉ……!」

 水のせせらぎと共に、トロワの弱り切った情けない声が静かな川辺に響く。胸元につけた、木彫りのお守りを両手で握り締めるトロワの視線の先にいるのは。


「このメイドロイド、強すぎだってぇ! 今のうちに、早くやっちゃってくださいよ坊ちゃん! 」

「承知、いたしました。可及的速やかに、排除エクセキューションします」

「いや君に言ったんじゃないんだよねぇ~!」

 涼しい顔で渾身の力で剣を振り上げようとするクレシアと、そんな彼女のの剣を器用に片足で地面に押し付け防いでいるフードの男……人の姿になったリトマスの二人と。


「分かっている、もう少し堪えろリトマス。……人間の魔法、なかなか興味深い。だが、その程度で私の魔法と並べると思わないことだ」

 悠然と立つティモールの前で、ぜいぜいと肩で息をするソディアック。

「この、ボクの魔法が……!」

 苦々しく呟くソディアックの顔は、いつもの周囲を見下した余裕の表情ではなく、焦りと悔しさが滲む険しい表情であった。


「まだだ! “火柱よ焼き尽くせヒュグロ・ピュリア”!」

 右手を突き出し、ソディアックは魔法を詠唱する。ジィンの流れに火魔法を添加し、対象物を火柱に包む魔法である。


 火魔法を得意とするソディアックの、最も使い慣れている魔法だ。その気になれば樹木一本を丸ごと包み、幹を炭にすることもできる威力を持つ。

 ティモールは動かず、そのまま熱と光を放つ火柱に包み込まれていく。炎の中に姿を消した彼を見て、ソディアックは思わず会心の声を上げる。


「よし、これで……え?」

 火柱が、内部から爆発するように弾け、消えていく。

 現れたのは、まるでシャボン玉のような薄い水の膜に包まれたティモールだった。


「いい炎だ、少年。ジィンの密度も斑がなく、高い技術で構成された魔法だと窺える。……その技能に敬意を表し、私からも魔法を贈ろう」

 そう言い放ったティモールが、両手を空に広げる。空中に浮かび上がったいくつもの水球……彼の魔法、“高貴なる一滴ノーブル・ドロップ”が円を描くように旋回し、そこから固く凝縮した水の粒が無数の飛礫となってソディアックに降り注ぐ。


「“防護メンブレン”! ……な、馬鹿な……っ!」

 両手を突き出し、防衛魔法で水の飛礫を防ごうとしたソディアックだったが、水弾の威力がそれを上回り、展開したジィンの膜を突き破った。

 ソディアックの小柄な体を、水弾は容赦なく叩きのめしていく。痛みと衝撃に呻きながら、ソディアックは石だらけの河原に崩れ落ちた。


「威力は抑えてある、死ぬ程ではない。私は無暗に殺して回る程残酷でも狂暴でもないからな」

 ティモールの言葉通り、ソディアックは大きな怪我はしていないようだが、愕然とした表情でへたり込んでいる。

 体へのダメージよりも、自身の魔法が通用しないという圧倒的な実力差に、精神が打ちのめされてしまったようだった。


「ソディアック君!」

 思わず駆け寄ろうとしたトロワへ、ティモールは視線を向ける。その動作に、トロワは慌てて動きを止めた。

「御身の立場からすれば、碌な護衛も持たず、このような地に逃げ込んだことは、さぞや苦渋の御決断だったことでしょう。ですが、ご安心ください。この私が来たからには、すぐに終わらせて差し上げます。どうぞ、抵抗はなされませんよう」

 恭しくお辞儀をしてそう言ったティモールへ、トロワは両手を握り締めた。


「ワケのわかんないこと言わないで! 僕は逃げてきたんじゃない、修行のために人間界に来たんだよ! 僕のお友達に酷いことをして、どうしてそんなことするの!? どうして僕の命を狙うの!? ちゃんと説明してくれなきゃ、わかんないよ!」

 珍しく怒ったように声を荒げたトロワに、ティモールは少し驚いたような表情を返す。


「なんと。トロワ様はご自身の立場を、お分かりでないのですか? 貴方様の姉君、ソルフレア様がご即位し、新たな魔王となりました。それ故に、同じ父を持つ弟、つまりトロワ様を排除すべしとのご命令を、この私に下されたのです」

 その言葉に、一番に反応したのはリトマスだった。

「ちょっとちょっと坊ちゃん、それ言っちゃっていいんです? だってこれ、密命でしょ?」


「……」

 僅かに無言を返したのち、ティモールはリトマスを睨んだ。

「トロワ王子をここで始末すれば、この密命を知る者は誰もいなくなる。それならば問題ないだろう!」

「ま、そうですけどぉ……ったく、口が軽いんだから」

 呆れたようにリトマスがため息を吐いたところで。


「……僕にお姉さまがいるの? でも僕、会ったことないよ?」

 きょとんとした顔でトロワが言った。

「ねぇクレシア、僕にお姉さまがいるって知ってる?」

「いいえ、トロワ様。クレシアの、データベースに、そのような情報は、ありません。トロワ様の、ご家族は、魔王ヴィルブランド様、ただお一人。そのように、記録されています」


 リトマスに剣を封じられながらも、クレシアはすらすらと答えてみせる。

 表情こそいつも通りだが、体は全力でリトマスの足を押し退けようとしている状態であり、リトマスの方は必死に踏ん張って拮抗させるので精一杯である。

「だよねぇ? うーん……もしかして人違いじゃないかなぁ? 僕にお姉さまなんていないんだし」

 緊張感のない声でそんなことを言い出したトロワに、ティモールは顔を引きつらせた。


「な、な、なんということを……っ! 例えトロワ王子であろうとも、ソルフレア様の存在を蔑ろにするなど、許されぬこと! そのような侮辱、このティモール・アレニウスが断じて許さぬ!」

「え、えぇ? ごめんなさい、侮辱したなんてつもりは……」

 急に激怒したティモールに、トロワはおろおろと狼狽えるが、その言葉はもう彼には届いていないようだった。


「御身を憐れむ感情もありましたが、それももはや霧散した。あのお方のため、これより我が身は水より冷たい刃となりて、その喉を掻き切って差し上げよう!」

 そう叫んだティモールは、勢いよく右手を突き出し、水球の一つを握り込む。

 ぐにゃりと形を変えた水球は、そのまま細身の剣へと変わる。


 トロワが光景に驚いた隙に、ティモールは数歩の距離を一気に詰めてくる。振り払う剣の軌道を予測し、トロワは思わず身を固くした。

「させませんっ!!」

 凛とした声と共に、硬質の物同士がぶつかり合う音が響く。

「……リチアさんっ!」


 トロワとティモール、二人の間にいつの間にかリチアが割り込み、既に装着していた〈打ち砕く踵レイディアント・ヒール〉のつま先でティモールの剣を受け止めていた。

「遅くなって申し訳ありません、トロワさん! ウィルさんを呼んできました!」

 その言葉に、トロワは目を見開く。


「おにいさま……? おにいさま、来てくれたの!?」

 急いで周囲を見回し、トロワはその姿を探す。そして背後を振り向くと。

「おにいさまっ!!」


「お……おう……来たぞ、トロワ……はぁ、はぁ……ちょっと、待て……もう無理……」

 限界を超えて全力疾走したせいで疲労困憊のウィルが、ヘロヘロな様子で近づいてきた。



***



 リチアとソディアックは、お互いの位置が分かる装飾品型の<魔導機マギア器>を持っており、そのお陰でソディアックのいる場所へと迷うことなくたどり着いた。リチアの護衛のために所持していた道具が、こんな場面で役に立つとは双方思ってもいなかった。


 ウィルと並んで走っていたリチアだが、疲労により少しずつウィルが減速していたことと、ティモールがトロワに剣を振る様子を視認したことで、その場に割って入るためにウィルを置いて本気で加速、まるで突然その場に現れたかのような速さで姿を現したのだった。


「おにいさまぁ~~~!! 僕のために来てくれたんだ!!」

「お、おう……仕事も、放り出してな……ぜぇ、ぜぇ……し、しんど……っ!」 

 感動に声を揺らしながら飛びついてきたトロワに、ウィルは何とか応じるものの、両膝に手をついて呼吸を整えるだけで精いっぱいである。

 現場に到着したばかりだと言うのに、この場の誰よりも疲弊し、限界に近いのはウィルである。


「あのあんちゃん、何しに来たんだ? ……おわっと!」

 不思議そうに首を傾げるリトマスの油断を突き、クレシアは剣を解除、通常の右手に戻すことで拘束を抜け出し、トロワの方へ駆け寄った。


「トロワ様、ご無事ですか?」

「クレシア! うん、僕は大丈夫! でも、ソディアック君が……!」

 トロワの言葉に、リチアは首を捻ってソディアックの姿を確認し、その端麗な顔を歪ませた。

「よくも、ソディに酷いことを……っ!」


 受け止めた剣を蹴り上げ、華奢な身を翻してリチアは踵を一閃する。

「絶対に許しませんっ!」

 まるで剣技のような銀色の軌跡を、ティモールは慌てて回避する。必死の動作ではリチアの攻撃に追いつけず、水の剣も維持する余裕がない。

 引き攣った顔で後退していくティモールへ、更に追撃を加えようとするリチアだったが。


「お、乙女がそのように、あられもない恰好をするな!」

 何故かリチアを見ないようにと掌を目前に掲げながら、ティモールは水の剣を水球へ戻し、更に細長い水流として放出する。


「な、何……!? くぅっ、巻き付いてくる……!」

 リチアの周囲に伸びた水流が、まるで意志を持つ蛇のように彼女の体に巻き付き、その体を拘束した。

 手首をまとめられ、足首にも水の輪が装着され、リチアは立った姿勢のまま一切の身動きが取れなくなってしまった。


「何をする気ですか!? お放しなさい!」

「案じなくとも、これ以上そちらに手を出す気はない。……やれやれ、この世界の女性はどうしてこうも野蛮なのだ……」

 必死にもがくリチアを後目に、ティモールは乱れた髪を手早く整えた。水の流れの如き美しい長髪は、彼の自慢なのだ。


 そんなティモールの傍に、リトマスがニヤニヤしながら近づいてくる。

「あらぁ~坊ちゃんったら、女の子を縛って何もしないんですかぁ? じゃあ俺っちが代わりに」

 そんなことを口にしたリトマスの目前に、水球が静かに近づいた。

「……なーんちゃって冗談冗談、何もしませーん」

 一転して発言を撤回したリトマスに、ティモールはふんと鼻を鳴らした。

「この私の前で、たとえ敵対した相手であろうと乙女を辱める真似は許さん。次は二度と喋れなくしてやるから、そのつもりで発言しろ」

「はーい、気をつけますぅ」

 態度だけ反省したように返事をするリトマスを置いて、ティモールは再びトロワの方へと向き直る。


「次から次へと邪魔が入る……こうなったら、仕方ない」

 そう呟いたティモールは、再び手を広げて水球を操作する。複数の水球は集まって一塊になると、一気に空高く上昇してトロワ達の頭上へ到達する。そして、まるで軟体動物のような動きで広がっていき、トロワとウィル、クレシアを包み込む薄い水の膜を展開し始めた。


「な、なんだこれ……!」

 動揺するウィル達は、すぐに水球の中へと閉じ込められてしまった。

 急いで水の膜を潜り抜けようとしたウィルだが、その膜に触れた瞬間体をはじくような衝撃が走り、思わず手を引っ込める。

「たかが水と侮らぬことだ。本来なら無差別に殺したくはないが……目的のためだ、致し方ない」

 水越しの少し不鮮明な姿で、ティモールはそう語る。


 その直後、水の膜から水が溢れ出し、ウィル達の立つ地面にどんどん水が溜まっていく。

「しまった、このまま俺達を水に沈める気だ……!」

「えぇっ、ど、どうしよぉ!」

 トロワがひっくり返った声を上げる中、クレシアは再び右手を剣に変え、水の膜へ斬りかかった。

 刃は確かに水の膜を切り裂いた。しかし絶え間なく溢れ続ける水が、裂け目をすぐさま塞いでしまう。

 何度か斬り続けたクレシアだったが、一向に裂け目が広がらないため、攻撃を停止した。


「武器での破壊による、脱出は困難であると、推察されます。現在、毎秒10リッタの水が、この水球内に、注水されています。このままでは、約4.3分後には、水球内の空気が、内部の水により押し出されます」

「そうなると、どうなるの?」

 ぽやっとした顔で首を傾げるトロワに、ウィルは腕を組んで答えた。


「このままじゃ、俺達は陸の上で溺れ死ぬってことだよ」

「……えぇ~~~~~!!!!」

 顔を引き攣らせて絶叫したトロワの、ズボンの裾が水に濡れていく。既に水位は三人の膝の上まで到達していた。

「どうしようどうしよう、どうしよぉ~~~~!!」

 喚きながらじたばたしているトロワの横で、ウィルも必死に打開策を模索する。

 しかし、相手はクレシアの武器ですら通用しない水の檻。ただの一般人のウィルに、出来る事など思いつかない。


「……あれ、あれ? お守り、ない! おにいさまに買ってもらったお守り、落としちゃった……!?」

 不意に、トロワの声の調子が変わった。水位は更に上がり、水はもうトロワの胸の高さまで来ている。そんな中で、トロワは周囲を見回した。

「クレシア、お守りを探して! さっきまであったんだよ、ここにつけてたの! きっとこの近くで落としちゃったんだ!」

「お守りぃ? そんなもん後でいいだろ、後で! 今はそれよりも……」

「落し物とは、こちらですか?」

 ウィルの声に重なるように、ティモールが話に割り込んできた。


 その言葉にトロワが視線を向けると、ティモールが片手に何かを持って水球の前に立っている。形はよく見えないが、色からしてそれがお守りだとトロワは判断した。

「それ、それだよぉ! ねぇ返してよ! 大事なものなんだよぉ!」


 あまりにも必死なトロワの声に、ティモールは思わずまじまじとそのお守りを凝視する。

「……もしやこれは、王家に伝わるなにがしかの重要なものということですか?」

「全然違うったら! おにいさまが僕に買ってくれたの! すっごくすっごく大事なものなの!」


 トロワの返事に、ティモールはあからさまにがっかりした顔を浮かべた。

「何だ、期待したというのに……このようなもの、今更持っていても仕方ないでしょう」

 つまらなそうに言うと、ティモールは手にしたお守りを片手で放り投げた。その方向には、川がある。

 あっ、とトロワが息を飲む。


 水球内はもはや空気より水の方が多くなり、トロワは爪先立ちをしていないと顔が水に浸かる程になっている。

「トロワ、こっち来い! お前はちっせぇから、俺にしがみついてろ!」

 ウィルはそう言いながら、水中でトロワの体を抱えて持ち上げ、少しでも水面から引き揚げようとする。


「クレシア、お前もだ! 水中なら浮力があるから、二人ぐらい抱えてやれる!」

「いいえ、ウィル様。クレシアは、問題ありません。このボディは、水中での動作も、想定されています。今は、トロワ様のご安全を、最優先にしてください」


 そう答えたクレシアは、既に顔の半分が水に浸かっているが、言葉通り特に支障はないようだった。

 水中で喋っているにも関わらず、声もはっきり聞こえる。

「そ、そうか……とは言え、この状況をどうにかしないと……トロワ? おい、トロワ?」

 ふと、さっきまで騒いでいたトロワが急に静かになったことに気付き、ウィルは左腕で抱え上げていたトロワを見やる。


「……ひどい、ひどいよ……大事なものだって、言ったのに……っ」

 トロワは大きな目から大粒の涙を零しており、何事かをぶつぶつと呟いている。


「トロワ? おい、どうしたんだよ……」

 思わず現状も忘れて呼び掛けたウィルだったが、トロワにその言葉は届いていなかった。


「もう、もうこんなのやだ、僕もうやだ、全部全部やだぁ~~~~~っ!!!」

 トロワは絶叫し、大声で泣き始めた。恥も外聞もなく、みっともなく喚きながら好き勝手に泣き出すその姿に、ウィルは唖然とする。

 そして、この姿に見覚えがあることに気付いた。



「ま、待てトロワ! 泣くな! 泣いたら、お前また……!!」


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