第27話 騎士と悪魔
潮の香りがアルフォートの鼻をくすぐる。
耳には道行く人々の賑やかな話し声や商人たちの威勢のよい売り文句が響く。
通りには露店がひしめき合い、食料品から魔法の道具に至るまで様々なものが所狭しと並んでいた。
アルフォートはそんな活気ある様子を横目に見ながら、人通りの多い街中を早足で歩いて行く。
ここはアンカー・ギャザリング。
ミスタリア王国最大の港街である。
他国との交易が盛んで、多種多様な種族が訪れるこの街は、王国内でも類を見ない独自の文化を築いていた。
さらにブレイブ・スピア領の領域にありながら自治都市として認められている。
人々は街で定めた最低限の規律に従いさえすれば、国王ライアスの悪法に縛られない自由で平穏な生活を送ることができた。
しかし、平和な街中に反して、外には危険な魔物の棲む未開の地や古代の遺跡などが未だ多く残っている。
そのため、一攫千金を狙う冒険者や腕に覚えのある賞金稼ぎなどがこの街を拠点として活動している。
魔物討伐、遺跡探索、街の防衛……刺激を求める者に与える仕事には事欠かない。
アンカー・ギャザリングは商人や冒険者たちがもたらす宝物や知識によって、今まさに最盛期を迎えていた。
そんな活気ある中心部から外れた人気のない場所にアルフォートは立っていた。
この街は外からの襲撃を防ぐため、街全体をひとつなぎの壁で囲んでいる。
彼が立っている場所は、壁の内側だが、街の中でも辺境と言っていいほどの片隅であり、目の前には雑草に覆われただだっ広い土地があるだけだ。
人々の声もここまでは届かない。
アルフォートは周囲に人がいないことを確認すると、短い言葉を早口に呟く。
するとそれまで何もなかった場所に、突如として巨大な石造りの塔が現れた。
塔は巨大な灰色の岩を削って作られたかのような外観をしている。
窓はなく中の様子は全く見えない。
晴天の空に向かって高くそびえ立つ姿は、異様な雰囲気を醸し出していた。
正面の入り口は何の装飾もない両開きの金属扉で閉ざされている。
扉は一般的な成人男性のゆうに三倍はあろうかという大きさで、人ひとりの力で開くことは難しいように思えた。
しかし、アルフォートは躊躇することなく扉に近づき静かに片手を押し当てる。
そして、軽く力を込めた。
それだけで大扉は重々しい音を立てながら、両側に開いていく。
何か見えない力が働いているようだ。
アルフォートは扉が完全に開ききるのを確認すると、ゆっくりと塔の中へと足を踏み入れた。
塔の中はひんやりとしており、アルフォートを外の暑さから開放してくれた。
窓がないため陽の光はなく、松明や燭台のように明かりを灯すものも見当たらないが、内部は不思議な光に満たされており、充分な明るさがあった。
一階は広い円形のホールになっており、天井はかなり高い。
床にはホールと同じ形状の赤い絨毯が敷かれているが、家具や装飾品などの何もなく、どこか殺伐としている。
さながら闘技場のようだ。
アルフォートは懐かしむようにしばらく塔内を見渡していたが、奥に小さな木製の扉を見つけると、早足に近づこうとした。
その時、ホールの中央で異変が起きた。
何もない空間に、裂け目ができたのだ。
中は暗くて何も見えないが、深淵の闇が広がっているようだった。
裂け目はゆっくりと大きくなり、やがて人が通れるほどになった。
アルフォートは足を止めて、ゆっくりと剣を抜く。
強力な魔剣である『炎の意志』が、刀身を赤く輝かせながら外の世界に放たれた。
魔剣は敵の出現を待ち切れないと言わんばかりに、ときおり小さな炎を吹き出している。
その間にも裂け目は更に広がっていったが、遂に裂け目を押し広げるようにして、一体の巨大な生物が姿を現した。
アルフォートは両手で剣を構えながら呟く。
「悪魔か」
完全にこの世に具現化したその姿は、まさに悪魔と呼ぶにふさわしかった。
山羊のような頭に歪によじれた角が生えており、背中にはコウモリを連想させる大きな翼が生えている。
身長はアルフォートの倍ほどあり、たくましい身体つきをしている。
全身が赤い体毛で覆われており、炎の衣をまとっているようにも見えた。
そんな悪魔が、炎を宿した瞳で目の前の騎士を見つめている。
明らかな敵意と殺意を持っており、戦いは避けられないようだった。
騎士と悪魔はしばらくの間、距離を取ってお互いの隙きを伺っていたが、悪魔が先にその均衡を破った。
その巨体に似つかわしくない速さでアルフォートに近づき、女性の腰回りほどはあろうかという太い腕をなぎ払う。
瞬き一つの間の出来事だったが、アルフォートは冷静に後ろにステップを踏み、最小限の動きで悪魔の攻撃をかわしていた。
更に彼は攻撃をかわすと同時に薙ぎ払われた腕に魔剣による一撃を加えていた。
浅く切りつけただけだったが、思わぬ反撃をくらい悪魔は苦悶の声を上げる。
しかし、攻撃を当てたアルフォートも苦い顔をする。
『炎の遺志』の魔力で腕を焼き切るはずが、当てが外れたからだ。
この悪魔は強い炎の魔力を有しているようで、傷口を多少焼く程度でとどまった。
悪魔より剣の魔力の方が上回っているとは言え、炎による効果はあまり期待できない。
しかし、アルフォートはすぐに気持ちを切り替えた。
例え炎の力が効かなくとも、魔剣の切れ味と自分の剣技は本物だ。
悪魔の身体は岩のように硬いが、それを裂くことは容易いのだ。
アルフォートは自信を取り戻して身構える。
悪魔も手首から血を流し、怒りに燃える目で騎士を睨みながら身構える。
今度はアルフォートが仕掛ける。
一気に悪魔の懐に入り、流れるような動きで三連撃を放つ。
一撃目は腹部へのなぎ払い、二撃目は傷を負わせた左腕への斬り落とし、三撃目は深く踏み込んでの切り上げ。
一撃目はかわされたものの、二撃目、三撃目は浅くはない傷を負わせた。
悪魔が苦痛によろめく。
切り上げた剣は悪魔の鋼鉄のような腹筋を大きく引き裂き、どす黒い血を吐き出させる。
アルフォートはチャンスと見るや追撃をかける。
悪魔は重症を負っているとは思えない動きでその攻撃を躱しながら、左手で複雑な印を結ぶ。
(魔法か!)
アルフォートは魔法の完成を阻止すべく凄まじい速度で剣を繰り出した。
攻撃は悪魔に確実にダメージを与えていたものの、魔法を中断させるには至らなかった。
悪魔が作った血溜まりに足を取られ、思うような攻撃ができなかったのだ。
『我に血を流させし者に報復を!』
悪魔が両手を広げて吼えると、血溜まりから無数の赤い槍が上へ向かって突き出した。
アルフォートは魔法の触媒が血であることを事前に予測して回避行動に入っていたが、それでも間に合わず左足の甲と太ももを貫かれた。
騎士は痛みに顔をしかめたが、血の槍が出尽くしたと見るや躊躇なく前に出た。
悪魔は魔法を回避されるとは思っていなかったのか、突進してくる騎士に全く反応できないでいる。
アルフォートは体当たりするようにして、悪魔の腹部に剣を突き刺す。
剣は悪魔の身体を貫き、背中から飛び出した。
悪魔は断末魔の悲鳴を上げて、片膝をつく。
アルフォートは素早く剣を抜き、身体を回転させて勢いをつけると悪魔の太い首を斬り落とした。
切口から炎が吹き出す。
事切れたことにより体内の魔力も活動を停止したのだろう。
魔剣の業火は悪魔の躯を焼き尽くし、汚れた血を浄化した。
アルフォートは深く深呼吸して緊張を解くと、魔剣を鞘に収めて傷の具合を確認する。
痛みはあるが、動けないほどではないようだ。
魔法の抵抗にも成功していたようで、貫かれた傷もそれほどひどくはない。
出血の少なさがそのことを物語っていた。
しかし、もう半歩ほど回避が遅れていたら、魔法の槍によって全身を串刺しにされていただろう。
そうなれば、抵抗できたからと言って無事である保証はない。
騎士は同じ失敗を繰り返さぬよう、異界の化物の力をしっかりと心に刻みつけた。
そして、完全に灰になった悪魔を一瞥すると、奥の扉に向かって再び歩き出した。
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