第18話 勝利の導き手
真っ暗な部屋に蝋燭の灯りがひとつ。
風があるのか火は踊るように揺らめいている。
夜も随分と更けているのであろう。
辺りは音らしい音もなく、静まり返っている。
そんな中、灯りを中心に規則的な音が刻まれる。
その音は次第に大きくなり、火の揺らめきを一層激しいものにした。
ここはミスタリア王国の王城シャイニング・ロードの謁見の間。
昼間であれば王に謁見を求める人々で賑わうこのきらびやかな部屋も、深夜はがらんとしており、人の気配すらないのが普通である。
特に用がない限り部屋に近づく者などいない。
しかし、今日は違った。
玉座に一人の男。
でっぷりと太ったその男は苛立ったように組んだ足を小刻みに震わせていた。
落ち着かないのか時折爪を噛むような仕草も見せる。
ライアス・ダム・ミスタリア。
この国の王である。
就寝前なのか飾り気のないゆったりとしたガウンを身にまとい、装飾品は一切身に着けていない。
その風貌と挙動からは王の威厳など全く感じられない。
ライアスは焦っていた。
原因は例の赤目の一族にあった。
世界を滅ぼすほどの力を持った忌まわしき一族。
その末裔が自分の統治する国に居る。
そう考えるだけでライアスの身体に怖気が走る。
ようやく手に入れたこの国を滅ぼされる訳にはいかなかった。
ライアスの父である前王ウォルフ・ダム・ミスタリアはまさに英雄であった。
彼は不死王だけでなく、竜、巨人など国に仇なす者たちを自身の手で葬ってきた。
また力だけでなく知謀にも長けていた。
ウォルフはその類まれなる才能をいかんなく発揮し、この国をかつてないほど豊かで平和なものにした。
そのため民からの信頼厚く、アルフォートのように彼を慕ってこの国に尽力しようという人間が後を立たない。
周辺諸国からも偉大な王として認知され、友好的な関係を築こうとする国はあっても敵対しようとする国はなかった。
少なくとも彼が存命していた頃は。
ライアスの兄もまた英雄と呼ぶに相応しい人物だった。
不死王との戦いで命を落としたが、父親とともに数々の偉業を成し遂げている。
剣の才能だけでなく、魔力にも恵まれ、多くの魔法を使いこなした。
生きていれば確実に王になっていたであろう。
そんな優秀な二人の肉親を中で、ライアスだけが凡庸だった。
彼には突出した力も知恵もなかった。
それどころか努力を嫌い、王族であることにうつつを抜かし、怠惰な生活を送ってきた。
常に高圧的で、少しでも気に喰わないことがあれば癇癪を起こし、暴力を振るう。
被害にあった人間は数多い。
そんな彼の横暴を父と兄が諌めることもあったが、聞き入れようとはしなかった。
能力がないにも関わらず、プライドだけは高かったライアスはそれを屈辱と捉えたのだ。
彼は出来る限り父や兄との距離を置き、関わらないように過ごしてきた。
周囲はライアスを「出来損ない」と影で罵った。
そんな彼に巡ってきた王座。
ライアスは国を裏切る卑劣な行為で手に入れた。
それはライアスが行った唯一の努力であったのかもしれない。
ここまで上手くいくとは本人も思っていなかったようだが、事実彼は手に入れた。
今やこの国は彼の思うままに動く。
ライアスには王としてやりたいことが山ほどあった。
それらをやり切れないうちに国を滅ぼされるなどあってはならないことだった。
(我を馬鹿にした者達への報復もまだ終わっておらんというのに……)
彼には自分の欲求を満たすことしか頭になかった。
国や民を思う気持ちなど欠片も持ち合わせていない。
(属国リトリアの姫は美しいと聞く。早く我のものにせねばなあ)
ニヤニヤと下ひた笑みを浮かべながら、まだ見ぬ姫との淫らな妄想を思い描く。
「気持ち悪いよ。ライアス」
突然、声を掛けられライアスは飛び上がらんばかりに驚いた。
しかし、すぐに声の主が分かったようで落ち着きを取り戻す。
「貴様か……遅かったな」
王の視線の先には、一人の男が佇んでいた。
男は子供のように見える。
背丈は一般的な成人男性の三分の二ほどだ。
灰色のチェニックを身にまとい、それと同じ色のフードを目深にかぶっている。
動物の革をなめした黒いブーツを履いており、腰には短剣をぶら下げている。
一見すると盗賊のような出で立ちの男は、音も立てず滑るように玉座に近づく。
「さすがは王様、余裕だねえ。逃げ出した例の娘は大丈夫なのかな?」
男のからかうような口調に、腹立たしさを感じたライアスだったが、表面上は平静を装い会話を続ける。
「……すでに手は打ってある。町や村には身元不明の怪しい娘を見つけ次第、捕えるよう触れは出してある。手配書も準備した。貴様がレナスの村で見たという赤目の女の人相書き付きのな」
そう言うとライナスは懐からたたまれた羊皮紙を取り出し、忌々しげに男の方に放った。
男は絨毯に落ちたそれを拾い上げると、広げて内容に目を通す。
そこには長い黒髪の美しい少女が描かれていた。
絵の下には少女の名前や特徴などが書かれている。
本名 リア・クライス
性別 女
年齢 十一歳
出身地 レナス
髪の色 黒
瞳の色 黒
肌の色 白
体型 痩せ型
男は感心したように口笛を鳴らす。
「よく調べたものだねえ」
「村人の情報を記した登録簿を見つけてな。村長がまめな男で助かったわ」
男の賞賛を受けて気を良くしたのか、得意気に王は語った。
「見つけるのも時間の問題よ」
慢心に取れるような発言だが、あながち間違いではないと男は考える。
この国で黒い髪、黒い瞳は珍しい。
それでいてこれほどまでに美しい少女とくればかなり人目を引くだろう。
「……『この者、かつて世界を滅びに導いた赤目と呼ばれる魔女の末裔であり、民に仇なす者のため早急な処罰を要する』ねえ。ちょっと固いなあ」
「そもそも赤目の末裔など本当にいるのか? 貴様から話を聞くまで存在すら知らなかったぞ」
手配書に記された罪状に対する男の感想を無視し、王は疑問を投げかける。
男は手配書から目を離し、王に顔を向ける。
フードゆえに表情は分からないが、それまでの軽い調子は消え、剣呑な雰囲気が漂う。
普段は見ない男の様子に気圧されたのか王は唾を飲んだ。
「いるよ」
男の放った言葉は短いものだったがそれが真実味を感じさせる。
「ま、まあ、他ならぬ貴様の言うことだから、我も信じたわけだが」
ライアスは自分の緊張が伝わらぬようにと尊大な態度で取り繕う。
そんなライアスを見て男は意味有りげな笑みを浮かべた。
その笑みに言いようのない不気味さを感じながらも更にライアスは質問を続ける。
「それにしても……襲撃の前に貴様からアルフォートを説得してくれれば良かったものを。そうすれば、彼奴が軍を抜けるなどということにはならなかったであろう?」
「軍を抜けたのは君のせいだと思うけどねえ。あんな言い方したらそりゃあ辞めるさ」
男は王の考えをさらっと否定して、独りけらけらと笑う。
ライアスの方は痛いところを突かれて何も言い返せない。
「それに例え僕から話したとしても、そのために村を襲撃することを彼は許さないよ。何か別のやり方を探すはずさ。でも、それじゃあ遅いんだよ。甚大な被害を防ぐためには、多少の犠牲には目をつぶらないとね」
「ならば、襲撃後に貴様から説明しても良かろう? アルフォートとてかつての戦友の話なら耳を傾けように。なぜ表に出てこんのだ」
男は王に情報を提供した際に、自分のことを誰にも話さないようにと口止めしていた。
彼の名前を全面に出して、赤目の滅亡を唱えればもっと簡単に事が運ぶにも関わらず、だ。
ライアスにとってこのことは大きな不満であり疑問であった。
「だって、今回のようなやり方、どんな理由があろうとアルやロエルは許さないじゃない? 僕、あの二人に目を付けられたくないんだよねえ」
ライアスは男の言葉を初めはよく理解できないでいたが、意味がわかるとさすがに怒りを抑えきれずに玉座から立ち上がった。
「貴様! それだけのことで! 儂はアルフォートを失ったことで彼奴を慕う騎士や民からの反感を買い、それを抑えるのに苦心しておるというのに!」
「だからアルが辞めたのは僕のせいじゃないってば。それにそんなものは今に始まったことじゃないでしょ?」
顔を真っ赤にして怒鳴るライアスにそう言ってのける。
「それに僕は裏で動くことのほうが向いてるしね。アルほど剣に長けてないし、クエンスのように魔法も使えない。ロエルみたいに神に愛されてもいない。だから真っ向勝負は苦手なんだ。闇に隠れていろいろと策を講じる方がいいんだよ」
ライアスもそれは理解していた。
不死王斃しのひとりである「勝利の導き手」マース。
彼は吟遊詩人であると同時に、優秀なスカウトであり、暗殺者であった。
この国の抱える闇は深い。
その闇に対抗するには騎士団だけでは難しい。
マースの言うように彼のように闇から闇を渡り歩く人材は喉から手が出るほど欲しかった。
「ライアスにとってもそういう人間は必要でしょ? この件が落ち着いたら、ライアスに仕えるから。アルの代わりもどこかから見つけてきてあげるよ。僕は世界中を旅しているからね。アルの剣技は凄まじいけど、もっとすごい奴が他にもいるよ」
ライアスは心を見透かしたような言葉を掛けてくるマースに戸惑いながらも、それによる利益を考えて溜飲を下げる。
そして、再び玉座に腰を落ち着けた。
「それで、この後はどうする?」
「君は今のまま赤目を追ってて。僕は……やっぱりこうなった以上はアルを野放しにはできない。彼を止めるよ」
「彼奴が怖いんじゃなかったのか?」
ここぞとばかりにライアスが責める。
これまで散々言われてきたので仕返しのつもりだろう。
「まあね」
そんな王の意図を知ってか知らずかマースは軽く答える。
「でも勝てないわけじゃないんだよ? 戦いは力だけが全てではないからね」
屈託のない笑顔を見せながら、腰の短剣に触れる。
真っ黒で何の装飾もない鞘に収まったその短剣は地味な見た目とは裏腹に強力な魔力を秘めている。
名を『常闇』という。
鞘同様に黒い刀身をしていると言われているが、それを見た者はほとんどいない。
マースの死角からの狙いすました一撃に相手は刀身を見る間もなく死を迎えるからだ。
また、どのような魔力が付与されているのかを知る者もいない。
アルフォートやロエルも知らないだろう。
そして、マースは他の誰にもその能力を教えるつもりはなかった。
「……まあ、勝てるならいいが。まだ貴様に死んでもらっては困るからな」
「安心してライアス。僕は死なないし、僕がいる限りこの国は安泰だよ」
「そうだと良いがな」
ライアスはそう言うともう疲れたと言わんばかりに重い体を玉座に預ける。
「じゃあ、そろそろ僕は消えるよ。またね、ライアス。そこの魔術師さんもお元気で」
その言葉に玉座から腰を浮かすライアスだったが、すでにマースの姿はなかった。
いや、実際はまだこの謁見の間のどこかに隠れ潜んでいるのかもしれないが、姿を隠した暗殺者の気配などライアスに感じ取れる訳もない。
玉座の背後にある窓から冷たい夜風が流れてくる。
しばらくの間、王は身動きできないでいたが、やがて諦めたのか緊張を解き、ため息とともに腰を下ろす。
「バドクゥ」
「はい」
王の呼びかけとともに玉座の後から死者のような風貌の魔術師が姿を現す。
「貴様のことばれておったな」
「そのようで」
ライアスはバドクゥに魔法で姿を隠し謁見の間に待機するよう命じていた。
理由としては、やはりマースが信用ならないためだ。
姿を隠したバドクゥには第三位の魔法である『嘘暴き』も使わせていた。
この魔法は耳に入った言葉の中に嘘があればたちどころに見抜いてしまうというものだ。
ただし、真実は何なのかということまでは分からない。
分かるのはその言葉が嘘かそうでないかということだけである。
「さすがは不死王斃しと言ったところでしょうか。あの男、初めから気づいているようでした」
「無駄だったというわけか……」
思惑通りにならなかったため、ライアスは舌打ちする。
魔法の知識がある者であればこのような密談の場に魔術師がいれば『嘘暴き』の魔法を警戒するに決まっている。
そのためバドクゥに姿を隠させたのだが、存在が分かっていたのであれば言葉を選んで、つまりは嘘にならないように注意して話していた可能性が高い。
「しかし、少しは信用してもいいようですな」
「どういうことだ?」
バドクゥの言葉の真意が掴めず、ライアスは問う。
「少なくとも彼の発言の中に嘘はありませんでした。赤目の存在も真、アルフォート殿に勝てるというのも真、それに……」
そこまで話してバドクゥは一度言葉を切り、少し考えるような素振りを見せる。
そして、考えがまとまったのか不気味な笑みを浮かべて言葉を続ける。
「もし彼が本気で我々を欺くつもりなら、私の存在に気付いていることなどわざわざ言わずともよかったのですから」
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