第9話 雨宿り

―――お父さん!


リアの目の前に父親がいた。

父親はリアの姿を認めると頷き、背中を見せて歩き出した。


―――待って!


リアは父の背中を追いかける。

しかし、一向に追いつくことができない。

それでも、歩き続ける父親に向かって諦めずに走り続けた。

そして、もう少しで父親に手が届くというところで、リアと父親との間を裂くように真っ赤な炎が吹き上がった。

突然のことにリアは驚き足を止める。

リアと父親を隔てる炎の勢いは凄まじく、リアは近づくことができない。

不意に、父親がゆっくりとリアの方へと身体を向けた。

喜びでリアの顔がほころぶ。

しかし、突然父親の体が燃え上がった。

リアは悲鳴を上げる。

炎の中で父親の姿が崩れ落ちていく。

リアは泣きながら何度も何度も父親を呼ぶが、その惨状を止めることはできない。

泣き崩れるリアにどこからともなく声がかかる。


―――一人にしないから


リアははっとなって顔を上げる。

あれほど燃え盛っていた炎はすでになく、辺りは平静を取り戻していた。

もう一度声が聞こえる。

リアは慌てて周りを見渡すが、何も見当たらない。


―――嘘つき


リアは呟いた。

その言葉は誰にも届かないと分かっていながら。



どのくらいの時間寝ていただろうか。

リアは太陽の眩しさで目が覚めた。

寝ている間に泣いていたのか顔には涙の跡が残っている。

リアは上体を起こし、辺りを伺った。

もう昼近くになっているようだった。

ごつごつした岩の上で寝ていたせいか、体中に鈍い痛みを感じたが、疲れは抜けたようで頭はすっきりと冴えている。

焚き火は消えており、近くにネンコの姿はなかった。

リアは急に心細くなり、ネンコを呼ぶ。

しかし、聞こえてくるのは川の流れる音だけだった。


(見捨てられたのかな……)


リアの不安は大きくなる。

正直、ネンコがリアと行動を共にすることで得することなど何もない。

あの逞しいネズミは力もあるし、知恵もある。

ネンコは一人でも生きていけるのだ。

それをわざわざ足手まといになるだけの小娘に付いていく必要があるだろうか。

それが分かったからいなくなったのかもしれないとリアは考えた。

しかし、すぐにリアの考えは杞憂に終わる。


「おう、起きたな」


当の本人が近くの茂みからひょっこり顔を出したのだ。

しかも、どこから採ってきたのか自分の体より大きな卵を抱えている。


「ネンコさん……」


安堵したせいかリアの視界が歪む。


「なんだその顔? 朝飯にするぞ」


そう言うとネンコは抱えていた卵をリアに渡す。

そして、再度茂みに戻り、もう一つ卵を持ってきた。


「これ、どうしたの?」


「その辺に落ちてた」


リアは、そんな馬鹿なと思ったが、ネンコがわざわざ朝食を準備しようとしてくれたことが嬉しくて、敢えて口には出さなかった。

ネンコは卵を抱えたまま、川の下流の方へ歩いて行く。

リアも卵を持って、ネンコに続いた。

しばらくすると大きめの平たい岩が見えてきた。

岩の下には大量の木の枝を敷き詰めてある。

おそらくネンコが用意したのだろう。

ネンコはその岩の前まで来ると振り返ってリアに言った。


「火着けてくれね?」


リアはネンコが何をしたいのかを理解すると、『発火』の魔法を使い、敷かれている枝に火を着ける。

2人はしばらく岩が火にあぶられる様を見ていたが、充分に熱を持ったことを確認すると卵を割って、岩の上に落とした。

じゅぅという食欲をそそる音がして、次いで煙にとともに卵の焼けるいい匂いが漂ってくる。


「旨そうだな」


「うん」


こうして二人は少し遅目の朝食を摂ったのだった。



それからリアとネンコは二日間、川沿いに進んだ。

川を見失わないようにできるだけ川の近くを歩くようにしたのだが、川の沿岸部は岩場が多く、非常に歩きづらかった。

しかも、リアは裸足だったため、怪我をしないように神経をすり減らしながら歩く必要があった。

そのため、旅はゆっくりとしたものとなったが、それ以外は特に大きな問題もなく順調に旅を進めていた。

ところが、三日目の昼を過ぎた辺りに問題が発生した。

突然、雷を伴った大粒の雨が降り注いできたのだ。

午前中は快晴とも言える天気だったので、リアたちは完全に油断していた。

当然雨を避ける術など持たない二人は、ずぶ濡れになりながら雨を凌げる場所を探す羽目になった。


「川沿いは水が溢れるから危険だな。少し森の方にはずれよう」


雨音にかき消されないようにと、普段より声を張り上げてネンコが言った。

当初、リアたちが歩いていた側は木々のほとんどない草原が広がっていたのだが、そのうち背の高い木がぽつぽつと現れ始め、今では鬱蒼とした森に様変わりしていた。

リアは正直なところ森に入りたくはなかったが、ネンコの言うとおりこのままこの場所を進むのは危険と判断して素直に頷いた。

雨は時間が経つにつれて激しさを増していく。

冷たい雨はリアの体温を容赦なく奪っていった。

それでも、リアは先頭を歩くネンコに遅れまいと必死に付いて行った。

1時間ほど経ったところでネンコが前方を指差しリアに声をかけた。


「あそこで雨宿りできそうだぞ」


激しい雨のため目を開けるのもつらいが、リアはネンコの言う方を見る。

ネンコの指差す方向には大きな空洞がぽっかり開いていた。

その入り口は広く大人が三人並んでも入れるぐらいだ。


「行ってみるか?」


リアは少しの間考えた後、頷く。

このような洞窟は魔物の棲家となっていることも少なくないと聞く。

しかし、このまま雨に打たれ続ければ確実に命に関わる。

それほどにリアの体力は消耗していた。

魔物がいないことを祈って洞窟に入るしか道はないように思えた。

ネンコは暫くそんなリアを見上げていたが、少し首をかしげたような仕草をした後、洞窟に向かって歩き出した。


ほどなくして、洞窟の前に到着した二人は中を覗きこむ。

中は暗くほとんど何も見えないが、かなり奥まで続いているようだった。

入り口からの道は少し昇り坂になっているためか、雨水が入り込んでくる心配はないようだ。

雨を凌ぐには十分と言えた。

また、リアが懸念していた魔物の姿はなかった。

二人は早速中に入る。

地面は岩肌が露出しており、くつろぐには快適とは言えなかったが、ここ三日間岩を枕に睡眠を取っていた二人にとっては何も問題なかった。

リアはようやく休憩できることに安堵を覚え座り込んだが、ネンコは警戒するように奥の暗闇をじっと見つめていた。


「なんか居るな」


ネンコの言葉に、リアはぞっとして立ち上がる。

そして、ネンコの見つめる先を自分も見てみるが、何も見えない。


「何も見えないよ?」


「ここは奥まで行くと左に道が折れているんだが、そこから灯りが漏れてる」


ネンコに言われ、リアは再度目を凝らす。

するとなるほどネンコの言うように微かであるが明るかった。

リアは入り口の方に後ずさる。


「魔物だよ」


声を抑えてネンコに伝える。


「こんなところに人が住んでいるわけないもの」


寒さのせいか恐怖のせいかリアの体はがたがたと震えている。

火を扱っているといことは多少なりとも知恵のある魔物だろう。

ゴブリンやコボルト、最悪トロルのように強力な魔物の可能性もある。


「魔物かー」


それに対してネンコは緊張感のない口調で応える。

そして、とんでもないことを言い出した。


「じゃあ、そいつら倒してここ快適にするか」


逃げることしか考えていなかったリアは大きく目を見開く。


「やめようよ! 強い魔物だったらいくらネンコさんでも殺されちゃうよ!」


リアはネンコの強さを頭では理解できているつもりだったが、実際に戦う姿を見たことがないのでいまいち信用ができないでいた。

しかし、当のネンコはそんなリアの制止の声も聞かず、さっさと奥に歩いて行く。


「ま、待ってよ」


置いて行かれることに不安を感じたリアは慌ててネンコの後を追った。

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