第5話 君の真実と託された手紙
――チカリ、と
『ICU(集中治療室)』のランプが赤く灯り、ストレッチャーに乗ったまま、彼女はその中へ運ばれていった。
よほど、容体が良くないのだろう。
でも、なんでこのような事態になったのか理由は僕にはわからない。
僕の隣に彼女のお母さんがいる。
でも、とても、聞ける状態なんかではない。
僕と彼女のお母さんは、震える手を握り合って、彼女の無事を願って待った。
――カチリ、カチリ……。
時計の針の音が病院の廊下に響き渡る。
僕にとっては、それは、無情な音にしか聞こえない。
――カチリ、と音がする度に、時間はとても長く感じ……どんどん……どんどん……追い込まれていく気がするんだ。
時計の針は、23時を指していた。
――ん? 23時⁉︎
スマホには、両親からたくさんの着信が入っていた。
「すみません、一度家に連絡してきます」
僕のその言葉で、彼女のお母さんは我にかえったようだった。
「ああ、ごめんなさいね。ヒカリのために、着いてきてくれてありがとう。私も心強かったわ。ご両親にも申し訳ないことしてしまったわね……。連絡、してきてちょうだい」
はい、とだけ言って僕は涙ぐむ彼女のお母さんの手を、去り際にぎゅうっと握った。
大丈夫ですよ、きっと……という、願いを込めて。
◇ ◇ ◇
とりあえず僕は、母さんに電話した。
こっびどく叱られると思ったが、そんなことはなく。
逆に、「大変だったわね。よく病院まで着いていったわ。貴方を誇りに思う。……とにかく、貴方が無事で良かった」と労いの言葉までかけてくれた。
叱られるのではないかと戦々恐々で電話したことが、申し訳なく思うくらいだった。
僕のことを心配してくれるありがたみを胸に抱きながら、母さんが迎えに来るまでの間、再び彼女のお母さんの脇に腰掛ける。
期待を込めて『ICU(集中治療室)』を見たけれど、赤いランプが点灯したままだった。
「鈴木くん、お家は大丈夫だったかしら」
「はい、母さんに連絡がつきましたが、大丈夫でした。これから迎えに来てくれるそうです」
「そう……良かった……」
震える彼女のお母さんの手を、再びギュッと握る僕。
……僕は、なんて無力なんだ。
僕だって、もちろん彼女が心配だけれど、彼女のお母さんは比べ物にならないくらい心配だろう。
僕の母さんが、僕を心配してくれていたように――。
「気に……なる……でしょう」
「え……?」
時計の針が響き渡る廊下で、彼女のお母さんが僕に涙声で語りかけた。
「どうして、ヒカリが
「……それは……もちろん。
救急車を見たときは取り乱してしまいましたけれど、先程よりは、落ち着きましたから。
……だから、僕から安易に立ち入っていい内容ではないと、思っています」
いくら心配だからとはいえ、興味・関心からくる質問は他人を傷つけることが多々あると僕は思っている。だからこそ、こちらから聞くべきではないと思うんだ。
――僕が今できること。
それは、彼女のお母さんの心に寄り添って、手をぎゅうっと握ることだけ。
……僕は、無力だ。
「鈴木くんは、本当に優しい子ね。ヒカリはいつも、貴方のことを話しているのよ。
……バラしちゃったら、あの子、怒るかしらね」
泣きながらも、ふふふ、と少し笑顔を見せてくれた彼女のお母さん。
笑顔を見せてもらえた――それだけでも、僕がここへ来た意味は充分あったはずだ。
――何より、こうして彼女の側で無事を祈ることができるのだから。
「あのね……あの子」
「はい……」
廊下に響き渡る声。
声の
「………………脳の、病気なの………………」
「………………………………」
はい、と
「これ……」
「……これを、僕に……?」
彼女のお母さんから託されたのは、可愛い仔猫のシールで封がされた、ピンク色のレターセット。
――この仔猫、なんだかてんきゅうみたいだ。
僕は両手で、丁重に受け取った。
「――正一!」
遠くから駆けてくる音の後、焦った様子の母さんの声がした。
靴はサンダル、洋服は普段着。
着の身着のままやってきた母さんは、上から下までボロボロぐしゃぐしゃの僕をみた後、奥に光る赤いライトを見て――それから彼女のお母さんを見て――ペコリと深く頭を下げた。
おおよそは僕が電話で説明済みではあるから、ある程度の状況は把握しているだろうけれど、かける言葉が見当たらない、というのが適した表現なんだろう。
「この度は、正一くんには本当にお世話になって。
…………………………実は……………、
今、あの子は……娘は、手術をしているところです。
――もうすぐ夫も到着しますから、どうかお気になさらず、お帰りください。
……本当に、ありがとうございました」
彼女のお母さんは、僕の母さんの前だと先程よりも元気そうに見えた――というのはおそらく見せかけで、保護者同士、かえって気を張り詰めなければならない状態になってしまったのだと僕は察した。
母さんも同じように感じたらしく、僕の背中に手を添えて、「帰ろう」とだけ言い、
「娘さんのご無事を心よりお祈り申し上げます」
と深々と頭を下げて、僕より先に歩き始めた。
彼女のお母さんは、言葉も出ないようで、去る母さんの背に深々と腰を折り、しばらく顔を上げなかった。
やがて、「正一くんも、ありがとうね」と、小さな声で語りかけてくれた後、椅子に腰掛け、両手を組んで――天に祈りを捧げるように瞳を閉じた。
一筋の涙を、頬に伝わせながら。
僕は、まず彼女のお母さんに一礼して、
それから、『ICU(集中治療室)』の赤いライトに向かって――瞳を閉じて手を合わせ――深く深くお祈りした。
どうか、
どうかお願いですから、
彼女が無事でありますように。
僕は受け取ったピンクのレターセットを握りしめて、病院を後にした。
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