第40話 人形と ”控えの間”
帝都ヴェルトマーグで皇城に匹敵する建築物があるとすれば、イゼルマ人の宗教的信仰の象徴である大聖堂と、なにより大闘技場だろう。
壮大な石造りの円形闘技場は一〇万の観客を収容可能な、ハイセリアでも有数の
娯楽の少ないこの世界でのトーナメントの人気は、すこぶる高い。
帝覧闘技ともなればなおのことで、闘技場は満員の熱気に包まれていた。
「わたしもできることならライオネルと、この舞台に立ってみたかった」
満員の観客席に出たアスタが、寂しげに呟いた。
彼女の紅の愛騎はヒューベルムの樹海の洞窟に、その装甲を休めている。
「ライオネルはいい ”鎧” だった」
俺の言葉にアスタは、うん、と小さくうなずいた。
「今日はわたしの分も、おまえとあの娘に頑張ってもらおう」
”あの” の上に点々を付けたようなアスタの口調に、タハハ……と弱々しい笑顔を浮かべる。
今日も今日とて、アスタとディーヴァは冷戦状態だった。
切っ掛けは――。
『マスターナイト・マックス、わたしを放置してどこをほっつき歩いている? 直ちに帰還しろ』
頭の中に、ディーヴァの不機嫌な声が響いた。
昨夜のやり取りを経たアスタが今朝ほど俺を『マックス』と呼んだところ、それを聞いたディーヴァがむくれてしまったのだ。
『ディーヴァ、それじゃ寿限無寿限無だよ。マスターナイトかマックスか、どっちか片方で呼んでよ』
『マスターナイト・マックスをどう呼ぼうと、わたしの自由だ』
ツン、と顔を背けている姿が浮かぶような声が返ってくる。
『マックスはマキシマムの愛称なんだよ。呼びたければ誰だって呼べるんだ』
親しければ誰だって――と言い掛けて思い直す。
最近のディーヴァは抱き始めた感情を持て余し気味にしている
アスタと再会してからは特に顕著で、情緒が不安定になりがちだった。
『でも俺をマスターナイトって呼べるのはディーヴァだけなんだよ。余計なものをくっつけて純度を下げるのはもったいなくない?』
ピクッ、
おっ、食い付いた。
『マスターナイト・マックスの言うことは一理ある。了解した。マスターナイト・マックスの呼称を元のマスターナイトに戻そう』
『うんうん、それがいいよ』
『マスターナイト』
『なんだい?』
『ほっつき歩いてないで早く帰還しろ』
『はいはい』
「――あの娘からか?」
「うん、早く戻ってこいって」
「父親は大変だな」
そして不機嫌は伝染する。
これでアスタが包容力のある大人のお姉さんを演じてくれれば、父としてはとても助かるんだけど……アスタはアスタで、なかなかになかなかな女の子なのだ。
「とにかく本戦前なんだから、出来るだけ上手くやってよ」
「わかっている」
控えの間に戻ると隅っこに、光学偽装を施した ”ディーヴァ” がポツネンと立っていた。
他にも一五騎の ”
本戦は一四試合行われ勝ち残った二騎が、新皇帝ルシウスが観覧する決勝へと駒を進められる。
試合は長時間におよぶ場合があるので、皇帝が観覧するのは最後の一戦のみというわけだ。
(そして優勝者には、皇帝から直々に言葉を賜る栄誉が与えられる――)
目的を達成するには、トーナメントで優勝することが大前提だ。
途中で敗退すれば、計画のすべてが水泡に帰してしまう。
『戻ったか、マスターナイト』
能力の ”鎧” の前に立つと再び頭の中に、ご機嫌ななめな声が響いた。
『悪戯する奴はいなかったかい?』
『いなかった。むしろ近づく者さえいなかった』
どうにも不機嫌そうなディーヴァの声。
控えの間にいる下級騎士は、俺ともう一騎だけだ。
他の上級騎士たちはくたびれた二騎の
お陰で俺ともうひとりの下級騎士は、スペースを広く使えて大助かりだ。
『まったく馬鹿げた話だ』
『貴族ってのは度し難い生き物なのさ。それにこれである程度対戦相手が絞れた』
『どういう意味だ?』
『下級騎士がふたりだけなら、俺たちの初戦の相手が優勝候補ってことさ』
『つまりわたしたちは、当て馬・噛ませ犬というわけか』
『そういうこと』
一六騎のうち下馬評が高い二騎が、俺ともうひとり下級騎士の相手だろう。
シード選手みたいなもんだな。
『ふん、あとで吠え面をかくがいい』
『駄目だよ。仮にも君は女の子なんだからそんなキツイ言葉を使ってはいけません』
『……あとで、お吠え面をかくがいい』
まあ、良しとしよう。
「マックス、開会セレモニーが始まるようだぞ」
外の様子をうかがっていたアスタが早足で戻ってきて囁いた。
「いよいよだね」
俺は気持ちを引き締め首肯した。
◆◇◆
大闘技場の
身分別にわかれた五段の観客席の、正面中央。
見上げる貴賓席には皇帝の代理である内大臣が立ち、新皇帝ルシウス五世への賛美と帝覧闘技開催の意義について長広舌を振るっている。
一〇万の観客が焦れ始めたころ、ようやく自己陶酔丸出しの大臣の演説が終わり、トーナメントの開催が高らかに宣言された。
前座の有名歌姫による歌唱が聴衆を恍惚と魅了し、やがてその美声が軍楽隊によるファンファーレに取って代わると、
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