第28話 年の夜に天笑まう・3

「”空よ喝采せよ、地よ豊祝とよほぐがいい”」


 支度が整ったのだろう。寒風に乗ってアランの詠唱が聞こえてきた。


「”これより行うは祝賀の宴、万象の繁栄を願う祈りの儀式”」


 肌に魔術の波が触れてくる。ひりつくような魔力のそよ風。緻密に編み込まれた魔術の土台。


「”中天を彩るは真実の華、風に舞うは祝砲の囁き”」


 詠唱に応じて五つの発動体に魔力が注ぎ込まれ、より強い光を放ち始める。


「”富貴の愛は大地を照らし、祝福は降り注がん”」


 カールは顔を上げ、その煌びやかな光景に固唾を呑んだ。


「あ、ああ、オレでも分かる…。魔力量、構成、集中力がまるで違う…!

 こうまで、変わるのか…?!」

「あぁ、いい。よくここまで仕上げたもんだ」


 ターフェアイトもまた、城壁の上で形作られていく魔術に感嘆の吐息を零した。


(ああ………頑張りましたね。アラン様)


 ふたりの賛美を聞いて、リーファの胸が熱くなる。感動に体が震え、瑪瑙めのう色の双眸から涙が溢れてくる。


 その時を待つリーファを背に、アランは声高らかに魔術を発動させた。


「”さあ咲くがいい幻視の星見草ほしみぐさよ、今こそ我が前にその輝きを描け!

 ───幻想菊煙火パンタシア・クリューサンテムム”!」


 ───ドッ!


 短い音を立てて、魔力の塊は五つ一斉に上空へ放たれた。

 五つの光の帯は、本城の最上階よりもずっと上まで登って行き、そして。


 ───ドン!ドン、ドンッ!!


 弾けるような音を立てて、黄、白、紫、青、橙の色鮮やかな光の花が、夜空に咲き誇った。


 ◇◇◇


 ラッフレナンド史において、観賞用の花火は珍しいものだ。

 火薬や他の素材は戦争に使われる機会が多く、余興に用いられる事は殆どない。城下にいれば祝砲を聴くかもしれない、その程度だ。


 それは魔術師王国時代にも同じ事が言えたらしく、コツさえ掴めば一人で発動出来るという手軽さも相まって、幻術で再現する文化が発展して行ったという。


 あくまで幻術だから火事の危険性がなく、花火に似せた破裂音は幻術を見た者にしか聴こえない、と本来の花火とは異なる部分はある。

 しかし空一杯に広がる光の芸術に、見惚れない者はそういないだろう。


 ◇◇◇


 頭上で散って行く光の幻術に魅せられたのか、城下の歓声が城壁を易々と飛び越して中庭まで届く。

 一年で最も賑やかと言われているシルウェステルの夜を、より一層華やかに騒ぎ立てる。


「”その者は高貴なる風格を纏う、恥じらう姿は数多の者をかしずかせる。百花の王───”」


 次の幻術の詠唱が始まる。詠唱の内容によって異なる種類の花火を形作るから、先の幻術が被らないよう、先の幻術と間が開かないよう、タイミングを見定める事が重要だ。


「何と、言うか…。

 容易たやすくやっているように見えて、今までの失敗が茶番かと勘繰ってしまうが…」


 カールは複雑な胸中を吐露する。意気揚々と呪文を唱え順調に魔術を発動させるアランの姿は、今までの失敗が無かったかのようにすら見える。


「魔術に限らず、やる気が起きるきっかけってのはみんな違うからねえ。

 リーファなんか、父親に無理矢理連れてこられたから、やる気出させるのに苦労したもんだよ」

「…え、私?………あ」


 ───パンッ!パン!パパンッ!!


 急に話を振ってくるものだから、ついターフェアイトに顔を向けてしまう。視界の端でアランの幻術が発動してしまい、その全景を見そびれてしまった。


 唇と尖らせターフェアイトを睨むと、彼女は顎に手を当ててどこか満ち足りた表情をしてみせた。


「ああそうだよ。叱って煽って、なだめて褒めて…。

 魔術のコツを掴むのは早かったが、あんたが一番めんどくさかったんだよ、リーファ」


 ◇◇◇


 ───不本意な形で連れて来られたのは確かだ。

 父がいきなり帰ってきて、行先も滞在期間も目的も殆ど聞かされず、着の身着のままターフェアイトの住処へ連れて行かれたのだから。


 慣れない環境。やった事もない狩猟や採集。下手な家事。見た事もない言葉の勉強。そして魔術の習得。


 父の横暴に怒り、環境の酷さに嘆き、何もかもが上手く行かなくて落ち込み、住処の隅っこでべそをかく度に、ターフェアイトはあの手この手で発破をかけてきた。


『だらしないねえ、あんたの母さんは何も教えてくれなかったのかい?』


『こっちは毒草、そっちは毒キノコ、これは食用に向かない…食えるもん摘んで来いっつったのに、何であんたは食えないもんだけ持ってくんのかねえ?器用か』


『あーもー泣くんじゃないよ。ほらほら、アタシのクッキー分けてあげるから元気だしな』


『焦んなくていいんだよ。昨日は出来ても今日は出来ない。アタシだって、そんな日はある』


 家に帰る手段がないとは言え、ターフェアイトに何だかんだほだされて、次の朝を迎えたものだった。


 しかしターフェアイトにとっては、喚いて愚図って泣いてばかりの小娘の指導は、大層面倒臭かったに違いない。


 ◇◇◇


 花火の音が聞こえない。鑑賞を忘れてしまう程の衝撃だったのだと自覚する。


 リーファは、自分がターフェアイトにとって取るに足らない弟子だと思い込んでいた。

 リヤンやカールのように心配してもらえるような弟子でもなく、他の弟子達のようにターフェアイトに心酔するような弟子でもなかったのだから。


 平凡で、可もなく不可もない。そんな印象に残らない弟子だと思っていたのに。


「そう…だったんだ。

 ………そっ、か。私、めんどくさかったんだね…」


 何だかおかしくて、口元がいびつに吊り上がった。胸の内からこみ上げてくる感情が何なのか分からず、鎮めようと深く息を吐く。そうしたら、何故だか視界が歪んだ。


 そんなリーファの姿を見て、ターフェアイトは小馬鹿にした態度で噴き出した。


「ぷっ、何喜んでんだい。気持ち悪い」


 意味不明な感情は意味不明なまま、一気に湧きあがった怒りに塗り替えられた。

 瞳の中で揺らめいていたものがするっと引っ込んで、リーファは鼻息を荒くしてターフェアイトに詰め寄った。


「は、はあ!?喜んでないよ!むしろすっごい傷付いたんだけど!?」

「ひっひっひ、悪い悪い。そゆ事にしといてやるよ、ひっひっひ」


 天上を幻術が明るく照らし続ける中、おかしな誤解をしているターフェアイトが満足そうに含み笑いを零す。


「た、ターフェアイト師?!オレは?オレはどうなんだ?!」


 師弟間の心温まる交流だと勘違いしたのか。カールはターフェアイトを両手に乗せ直し、必死な表情で迫り出した。


「あんたは何言っても喜ぶだろーが。

 カールは逆だ。一番手がかからなかったよ。えらいえらい」


 カールの鼻の先を撫で、ターフェアイトなりには褒めたつもりだったかもしれない。

 しかしカールは天を仰ぎ地を見下ろし、やがて唸り声を上げて煩悶した。


「なんか…!なんか、こう…!

 嬉しい、ような、悔しい、ような…!?」


 何やら複雑な気持ちを抱え込んでしまったカールを見やり、ターフェアイトはげんなりと肩を落とした。


「………あんたも結構めんどくさいヤツだねえ………」

「ああ、ターフェアイト師………もっと、もっと罵ってくれ…!」

「あーはいはい。ザァーコ、ザァーコ」

「…そんな年端も行かない生意気な幼女みたいな煽り方嫌だ…!」

「え、そうなの?昔はマッチョ野郎が言ってたもんだが…時代は変わったねぇ…」


 カールは食べかねない勢いでターフェアイトに頬ずりし、ターフェアイトは慣れた手つきでカールをなだめている。


(アラン様も、カールさんも…私も。皆、誰かから気に掛けてもらいたい…。

 そういうものなんだろうな…)


 師匠と弟弟子の、これっぽっちも羨ましいとは思えない光景から目を逸らし、リーファは独り、煌々と空を照らし続ける我が王の雄姿を見届けた。

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