第26話 年の夜に天笑まう・1

 冬の夜は、夏に比べれば人の動きが鈍くなる。日は昇るのが遅く、沈むのは早いものだから、どうしても活動時間は短くなりがちだ。

 日が沈む頃を見計らって多くの者が仕事を終え、帰路につき、家族と団らんする。


 酒場へ繰り出す者もいるが、滞在時間はそこまで長くはない。

 この時期は薪や蝋燭の消費が激しいものだから、酒場の主人は客の入りが悪いと店内にいる客を締めだし、店の灯りを消してしまうのだ。


 雪が降ればこれらの行動は更に制限されるものだから、何も出来ずに冬場を鬱々と過ごす者はそこそこ多い。


 城の中も例外ではない。役所フロアの業務終了時刻も、城壁門の閉門も、食堂の片付けも早い。


 国費を湯水のように使う王族とて、長い夜と刺すような寒さに勝てるはずもなく、早々に就寝し何もかも明日に持ち越してしまう。


 しかし、新年前夜───”シルウェステルの夜”だけは別だ。


 城下の家屋の軒先にはキャンドルランタンが吊るされ、年が明けるまで灯りをつけたままにされる。

 ランタンと蝋燭は国から配布されるが、学校で製作実習がある為か自作する家庭も多く、家毎に個性的なランタンがぶら下がるのだ。


 そして大通りには屋台が軒を連ね、多くの住民が通りを行き来して買い物を楽しむ。

 年明けから三日間は宿屋を除く全ての営業を停止する決まりがある為、この日に食料や生活雑貨を買い溜めする者は多い。


 勿論、今年最後の挨拶をする為に、友人達を探しに通りに出掛ける者もたくさんいるだろう。


 中心にある噴水の周囲は特に賑やかで、芸や音楽を披露する舞台まで設置されている。

 この日に城下に滞在している旅芸人は、ここで今年最後の稼ぎを得て年を越す、らしい。


 ◇◇◇


 日が沈む頃合いになって、『わたしはここにいるよ』と主張するかのように、ランタンが吊るされていく。

 厚い雲に隠れてしまった星々に代わり、城下が輝きを膨らませていく。


 通りに人が溢れる様は、誘蛾灯に誘われる羽虫のようだ。屋台に、舞台に、人に引き寄せられて、物を、言葉を、想いを交わして行く。


 売り声が、音色が、喚き声が、歌声が、騒音が、笑い声が。

 雪がちらつく寒さを物ともせず、ラッフレナンド城下を満たしていく。


 シルウェステルの夜が、始まる。


 ◇◇◇


 側女となったリーファにとって、このシルウェステルの夜はただの寒い夜だった。

 アランは年末年始の行事に忙しく、側女は城内の行事に参加出来ない。夜は城壁門が閉ざされてしまうから、城下の屋台を見に行く事も出来ない。

 本城3階南側にある中庭から城下の遠い喧噪を聞いて、行けないもどかしさにがっかりするだけだから、部屋に戻って寝てしまうしかない。そんな日だった。


 しかし今日ばかりは、そんな勿体ない事など出来はしない。

 自分の主の、晴れ舞台なのだから。


「…側女殿、本当に大丈夫なのか?」


 中庭でただその時を待っていたリーファの背中に、男性が声をかけてきた。

 言うまでもなくカールだった。チェインメイルに青い前掛け、そしてうぐいす色のマフラーを巻いた青年へと顔を向けると、彼は目を逸らしつつ白い息を吐き出した。


「オレには信じがたい。先週まではロクに発動もしなかったというのに…」

「心配してくれてありがとうございます。カールさん」

「…やめてくれ。これは心配ではない。

 王が失敗すれば、関わったオレも面目丸つぶれというだけだ」


 カールは心底嫌そうな顔をしてリーファの隣に立ち、その先を仰いだ。


 視界の先には城全体を覆う城壁が広がっている。既に城壁門は閉じられ、其処此処そこここに木で組まれたかがり火が灯されている。


 その城壁の上。哨戒路として使われている通路に、多くの兵とアラン達がいた。


 暗くてやや見づらいが、アランは城壁門の真上で城下を見下ろしており、その側にヘルムートとゲルルフが控えているようだ。哨戒路の兵士達は五ヶ所に分かれて固まっており、側の発動体を警備している。


 既に準備は整っており、アランと発動体を繋ぐ魔力の光がここからも良く見えた。


「ふふ、ではそういう事にしておきますね。

 じゃあ、師匠の意見も聞きましょうか?」


 ちら、と目配せをすると、カールが首に巻いているマフラーの内側がぼんやりと光を放ち、もそもそと具現化したターフェアイトが顔を出してきた。残留思念は寒さを感じないはずだが、ファー付きの黒いコートを羽織っておりちょっとだけ厚着だ。


 カールはターフェアイトを両手に乗せ、愛おしげに頬ずりをした。


「ああ、ターフェアイト師………今夜も麗しい…!」

「はいはい麗しい麗しい」

「………!」


 面倒くさそうにターフェアイトがその頬にキスしてあげると、カールは歓喜に打ち震えた。普段はあまり愛想がない青年兵士の顔が、一瞬にして蕩けていく。


 頬に手を置き幸せの余韻に浸っているカールを余所よそに、ターフェアイトは冷たそうなチェインメイルの肩当てに移動して腰掛けた。


「ええっと…なんだっけ?ああそうそう、王サマの話、か。

 あんた達が出掛けてた島は、こっからじゃ見えないからねえ。

 カールを通してしか感知出来ないし、遮音してたようだからぶっちゃけ練習具合は分かんなかったけど」


 ターフェアイトがこちらを見て、嫣然と一笑した。


「王サマの面構えは今週に入って急に変わった。

 …なんとか、一皮むけたようだねぇ?」

「ええ。期待してて」


 ターフェアイトに負けじと、リーファもほくそ笑んだ。つきっきりで指導に携わった身としては、このターフェアイトの評価ほど喜ばしいものは無い。

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