第2話 魔術研究室の外と中で

(人にものを教えるって難しい…)


 午前中の講義を終えて教材を片手に魔術研究室へ向かいながら、リーファは溜息を吐いた。


 あの講義の後ゲルルフから、


『話が脇道に逸れてばかりで中身がありませんな』

『本当に神父殿と話し合ったのですかな?』

『兵士達をもっと早く黙らせられないのですか』

『字に品がありませんな』

『そんなに金切り声をあげなくてよろしい』


 と、散々文句がついてしまったのだ。


 ゲルルフの講義とはまるで違うのだから、方針が合わないのは当たり前だ。

 彼の講義は兵士達の雑談を許していないし、黒板は資料を掲示する為だけに使われている。

 兵士達はゲルルフの言葉をノートに常に書き留めていかないと覚えられないから、会話をしている余裕などないのだ。


 リーファは学生時代の教師のやり方を見様見真似でやっているから、もっと良い方法があるのかもしれないが、『兵士達に舐められては教壇に立つ意味などありませんな』とまで言われてしまうと、さすがに落ち込むしかない。


「遅いぞ!」


 不意に廊下の先から聞こえてきた叱責に、リーファは思わず顔を上げた。

 見やれば、魔術研究室の扉の前でアランが立ちはだかっていた。両腕を組み、顔を不満一色に染めている。


「あ、す、すみません───」


 リーファは条件反射で頭を下げたが、


(…何で私謝ってるんだろ?)


 と、その謝罪が何を指すのか考えてしまった。


 恐らくリーファを待っていたのだろうが、今日この時分にアランと約束を取り付けた記憶はない。

 丁度昼の時間だが、いつもは各々食事を取るからアランと相伴する機会はあまりない。午後は大体執務室で付き合わされているから、無理して昼食を合わせる必要もないのだ。


(でも、アラン様なら特に理由がなくても待つのかな…)


 そもそも王であるアランは、気分次第で配下を如何様いかようにも扱える立場だ。

 そんな彼が、リーファをずっと待っていたというのもおかしな話だが、自分勝手に考えて自分勝手に振り回された結果、リーファに八つ当たりをしていても不思議ではない。


 リーファは早歩きで近づいて、アランに声をかけた。事情が分からない以上、話しかけて情報を得る必要はある。


「お約束は取り付けてなかったと思うんですが…どうなさいましたか?アラン様」


 リーファよりも頭一つと少しばかりは大きいアランを間近で見上げるのは、そこそこ大変だ。首を目一杯上げないと彼の目を見る事が出来ない。


 頑張って見上げて問いかけると、不機嫌に顔を歪ませていたアランがおもむろいぶかしんだ。


「…泣いているのか」

「…え?」


 不思議な事を言うアランに促されるように、リーファは空いた手で自分の頬を撫でる。しかし、目頭にも頬にも涙などついていない。


「い、いえ。泣いてはいませんが…」

「心が泣いている」


 まるで心情を見透かされたような気がして、リーファは驚いた。

 アランに会う前まで、先の講義の事で反省させられていた。それは顔に出ていたはずだ。

 しかしアランは『心が』と付け加えて断言してみせた。表情以外にもそう言わせる理由があったのだろう。


(思念が、伝わってしまったのね)


 講義の反省とアランは関係ないのに、思わず気持ちが向いてしまったようだ。丁度良い捌け口、そんな風に考えていたのかもしれない。


「そう…ですね。ちょっと、落ち込んでました…」


 観念してそう告げると、アランは口の端を吊り上げて流し目を送ってきた。両手を広げてみせてくる。


「ふん、慰めてやろうか?体も心も」

「いつも十分すぎる程慰めて頂いてますから、それは大丈夫です」


 彼なりの労わりの言葉に、リーファは薄く笑った。応えるようにアランに寄り添うと、彼は満足そうに抱き寄せて、リーファの髪に顔を埋めた。


「あ」


 ぐりぐり顔を押し付けられて、整えていたリーファの髪が崩されて行く。気に入っている髪留めが廊下にカツンと落ちて、髪型が解けていく。


 魔術研究室前の廊下は人気が殆どないから誰の通行の邪魔にもならないが、いつまでもこうしているのも考えものだ。


「あ、あの、どうしてこちらに?」

「ん?少々嫌がらせにな」

「…いや、がら、せ?」


 不穏な言葉を聞いて、リーファは不可解に眉根を寄せた。

 アランはどこか愉快そうにリーファを見下ろしている。何か悪巧みを考えている表情、とでも言うべきか。困らせて愉しんでいる時の顔だ。


「なあに、お前には関係のない話だ。…昼食に行くのだろう?付き合ってやるぞ」

「あ、はい。ありがとうございます。じゃあ私、荷物を置いて」


 でかいネコを抱き上げるように脇を持ち上げられたリーファは、あっという間にアランの腕の中に納まっていた。


 リーファは教本や資料などの教材を持ったままだ。すぐそこにある魔術研究室に戻してから食堂に行こうとしていたから、アランのいきなりの行動に慌てた。


「あ、アラン様?」

「そんなもの後でもいいだろう?さっさと行くぞ」


 何で目の前の部屋に荷物を置くだけなのに引き返さなければならないのか。アランの意図が読めないリーファは、腕の中でおろおろするしかない。


「へ、いや、だってすぐそこ…っ、あのっ。せめて髪留めを…!」


 落ちた髪留めに顔を向ける。アランに抱えられた状態では取れるはずもなく、悩ましげに見下ろすしかない。


 アランも髪留めを一瞥し、つまらなそうに唇を尖らせた。


「髪留めなど今度幾らでも買ってやる。落ちたものなど捨ててしまえ」

「アラン様が褒めて、普段使いを勧めてきたんですよ?どうしたんですか急に…」


 アランの急な心変わりに、リーファは困惑した。


 ───空色のまだら模様が美しい金縁の髪留めは、カールが贈ってくれたものだ。使い魔の使役方法を教えた時のお礼だった。

 髪が伸びてきて色んな髪型を模索していた時期だったから、綺麗な髪留めは心が弾んだものだ。


 でも、身に着けるまでには少し時間がかかった。人から贈られた物をアランが見たら、嫌な顔をするのではないかと考えたのだ。

 しかし、何だかんだアランに髪留めの事がバレてしまい事情を説明したら、当時のアランはこう言っていたのだ。


『美しい色だな。まるで夕焼けに溶けていく空のような…。

 いや、黄昏を逆に染め上げてやろうという、夏場の空の力強さを思い起こさせる。

 いずれはに染まるの中に、一点でも残そうなどと………強欲な』


 愉しそうでありながらどこか剣呑な物言いに、リーファは幾ばくかの不安を覚えた。しかしアランはむしろ積極的に普段使いを勧めてきた為、優先的に使うように心がけてきたのだが───今になって、この反応だ。


 理由は気になるが、アランは答えてくれる気はないようだ。渋々、嫌々、不本意そうにリーファを降ろし、アランは髪留めを拾い上げる。


「今度、私がもっと良く似合う髪留めを買ってやる。

 だからこれはもう身に着けるな」


 手元に戻ってきた髪留めをじっと見つめてしまう。どうしてかは分からないが、『捨てなくてもいいから理由も聞くな』と言われているような気がした。


「はあ…」

「ん?」

「わ、分かりました。ありがとうございます」


 歯切れの悪い返事でアランに睨まれ、リーファの本能が『これ以上詮索するのは危険だ』と訴えていた。慌てて頭を下げ、髪留めをスカートのポケットに入れる。


「さあ、行くぞ。腹が空き過ぎてキリキリしてきた」

「は、はい」


 乱れた髪を直したり教材を戻しに行きたいが、アランの手がリーファの肩をがっちり掴むものだから無理そうだ。リーファは諦めて、アランと一緒に食堂へと歩き出した。


 ◇◇◇


(…行ったか)


 王とリーファが廊下の先に消え、魔術研究室の中で様子を伺っていたカールは安堵の吐息を零した。


 別にふたりの逢瀬を覗き見ていた訳ではない。

 廊下で待ち伏せている王を室内でやり過ごしている内にリーファが戻ってきて、出るタイミングを逃しただけだった。


((あっちがわざわざ、に会いに来てくれたんだよ?いいじゃないか、飯でも食いながら腹を割って話すのも))


「そんな事をする理由などない」


 ネックレスに収まったターフェアイトの残留思念に揶揄からかわれ、カールの顔が渋くなる。

 そう。王は、リーファではなくカールに会いに来ていたようなのだ。


 話し合いをしたいのならば、立場を利用してカールを呼びつければ良いはずなのだが、何故か王は廊下で待ち伏せという方法を採用した。

 偶然を装って、という訳ではないだろう。この研究室は本城の奥にあり、『上等兵、奇遇だな』と言えるような場所ではない。


 王の意図をカールが推し量る事は出来ないが、先のリーファとの会話が正しければ、これはカールに対する”嫌がらせ”なのだろう。

 ちょっかいをかけ、ボロを出すのを期待しているに違いない。


((アタシは、単純にあんたが気に入られてるだけだと思うんだけどねえ))


「…やめてくれ…ゾッとする…!」


 サッと顔を青くしたカールが見えているのか、ターフェアイトが愉快そうにケラケラ笑った。

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