第3話 過去を笑いに挿げ替えて・3

 久々に腹を抱えて笑い転げ、ペンを持つ手が覚束なくなる程の有様ではあったが、リーファは何とか報告書を書きあげる事が出来た。


「こらリーファ。ちゃんと私の顔を見ろ」

「も、もうお腹いっぱいだからいいですっ」


 リーファは、ソファに座るアランの膝の上へ座らされている。顔を見るとまた笑ってしまいそうなので抵抗を試みているのだが、アランは笑わせようと顎を掴んで上げようとしている。


 そんな光景には目もくれず、ヘルムートは向かいのソファに腰掛けてリーファの報告書を読んでいた。

 足を組み、口元を押さえている彼の表情は硬い。


「エルヴァイテルト国の魔術師達と交戦か…随分、物騒な事になってたんだね」


 リーファは顎を掴むアランの手から逃れ、ヘルムートに弁解した。


「す、すみません…まさか、あんな柄の悪い人達が役人だなんて思わなくて…」


 さりげなく隣の席に移ろうとしたリーファの腰に手を回し、すかさずアランが引き寄せた。茜色の髪に顔を埋め、頬ずりをしてくる。


「何を謝る事があるか。

 王の女である自分の身を守る為に、自衛しただけの事ではないか。

 その貞淑さ、褒めてやるぞ」

「はあ、ありがとうございます」

「そして正妃にしてやろう」

「そ、それは謹んで辞退致します。

 ───あ、でも私、カイヤナイトのネックレスを外したんです。

 急ぎだったので、言いつけを守っていられなくて………すみません」

「ん。ならば罰として正妃となれ」

「も、もう、なんでそうなるんですかっ。無理ですっ」


 すかさず出来ない話を差し込んでくるから、リーファも負けじと断りを入れておく。振られているというのに、アランは気にした素振りもなく、肩にキスを落としている。


 ヘルムートはそんなふたりに呆れつつ、再び書類に目を移していた。


「…リーファが気にしてるのは、エルヴァイテルト国から国務の妨害でケチがつくかもって話だよね。………………うーん」

「やっぱり、まずいですよね…?」


 リーファの問いかけに対するヘルムートの返事は鈍い。報告書に目を落とし、考え込んでいる。


 一方、熱心にリーファの胸を育てようとしていたアランが、ヘルムートに訊ねた。


「お披露目会の時のエルヴァイテルトからの来賓は、エルベルト=ネグロンとか言ったか?」

「あ、うん。エルベルト=ネグロン国家特級魔術師と、その部下のオクタビア=カバソス、ヒメノ=ララインサルの三名だ。

 彼らは、熱心にターフェアイトと話し込んでいたね」


 名前を挙げられ、リーファはお披露目会の事を思い出す。


 エルベルトは、リーファよりもちょっとだけ背が高い、黒髪をオールバックでまとめあげた中年男性だった。

 文官寄りの魔術師らしく、『エルヴァイテルトに点在する遺跡の調査が主な仕事です』、と教えてくれたのは覚えている。


「姉さん…姉弟子さんの、魅了魔術が上手く作用してくれればいいんですけど…。

 もし私が会ったふたりと、お披露目会の来賓が話をされたりすると、色々厄介かなって…」

「お前の名前など、そう珍しくもないだろう。

 ターフェアイトは宝石の名だ。ちょっと奇をてらって、親が子に名付ける位の事はするさ。

 襲った女が余所よその国王の愛人で、自国の大英雄の弟子などと、誰が思うものか」

「そうだといいんですが…」


 リーファとしては、ターフェアイトの名を出してしまった事だけが悔やまれた。

 あの住処で引き籠っていたと思い込んでいたから、まさか余所よその国で英雄扱いされるような事をしているなどとは思わなかったのだ。


 姉弟子リヤンが弟子入りした理由など、ターフェアイトとエルヴァイテルト国との繋がりに気が付く要素はあったが、いずれにしても過ぎた話だ。


「仮にエルヴァイテルト国からケチがついたとして、知らぬ存ぜぬで通すか、知っているていで交渉するか…。相手が何を求めるかなんだよね…」

「リーファが何らかの罪に問われ、引き渡しを求めたりな。無いとは言わんが…」

「…あの。

 もし何かあるのでしたら、私をあちらに引き渡して頂けると嬉しいんですが…。

 こちらに関係のない話ですし、アラン様に迷惑はかけられませんし…」


 ヘルムートにそうお願いすると、彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔でリーファを見返してきた。

 おかしな事でも言っただろうか───とリーファが小首を傾げていると、彼はリーファの頭上に顎を乗せているアランに顔を向けた。


「………しらばっくれておけばいっか?」

「ああ、それで行け」

「あああ、あのぉ?」


 アラン達の突然の決定に、リーファはふたりを交互に見て取り乱した。何故だか、リーファがしおらしい態度を取った途端、考えを改めたように感じた。


 急な心変わりにおろおろしていると、ヘルムートが半笑いをリーファに返してくる。


「この城のシステムとやらは、リーファ無しじゃ管理出来ないんだ。

 ラーゲルクヴィスト上等兵だけに任せるのは荷が勝ちすぎるし、新たに魔術師を入れる計画もまだ立っていない」


 アランはアランで貰い笑いをしており、リーファをより一層強く抱き寄せた。


「魔力剣の扱いや魔術界隈について、もう少し兵士達に指導させたいしな。

 まあそもそも、お前は私の子を産むのが仕事なのだが」

「城で実績を作って行けば、ちょっとは皆の意見も変わるかもよ?」

「…ならば尚更か」

「で、でも、エルヴァイテルトに喧嘩吹っ掛けた私はお荷物にしか───む、く」


 口封じと言わんばかりに、アランがリーファの顎を鷲掴みにして強引にキスしてきた。

 首の骨が折れるんじゃないかという膂力で持ち上げられ、リーファの抵抗などではびくともしない。

 時間をかけてリーファとのキスを堪能したアランは唇を解放し、薄く笑った。


「何の心配もいらんさ。

 大体、その役人達は会って早々喧嘩を吹っ掛けてきたのだろう?

 恐らく回収対象が抵抗すると見越して、上の者は飛び切りの腕利きを派遣したはずだ。

 それが、戦闘経験もない丸腰の女にしてやられ、記憶を弄られ帰ってきたなど。

 …ふん。笑い話にしかならんではないか」

「その上で国務妨害の話なんて振ったら、それこそ恥の上塗りだよ。

『エルヴァイテルトの魔術師は、魔術後進国のラッフレナンドに後れを取っている』と言ってるようなもんさ」


 ふたりの言い分は、一理あった。

 外交で重要なのは、他国に見くびられない事だ。

 余所よその国の魔術師に翻弄された、などという汚点は、出来る事なら国内外に知られたくはないだろう。


 それに、の役人達の持ち物を探った時、国からの正式な書状などは見つけられなかった。

 姉弟子リヤンの下へ派遣された事自体が、秘密裏に進められていた可能性はある。


 これらの事から、エルヴァイテルト国からリーファを追及する行動は起こされないのではないだろうか、とアラン達は考えているようだ。


「…分かりました…そう、思う事にします」


 アラン達がその決定を下した以上、リーファは何も出来ない。わだかまりはどうしても残るが、元々リーファは政治に関われないのだ。意見を聞いてくれただけでも、良しとするしかないだろう。


 もどかしさからちょっとだけ落ち込んでいると、アランが顔を近づけてきて不敵に笑って見せた。


「まあ、いざとなったら私の正妃になればいい。国母となれば全力で守ってやるさ」

「いえだから、それは無理なので」

「…なんでそういう時ばかり返事が早いのだお前は」


 ───べちんっ!


「いったぁ?!」


 かなり派手な音を立て、リーファの額にデコピンが喰らわされる。頭全体を揺さぶる程の痛みに、リーファは涙目になってうつむいた。

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