第24話 記憶の海からの帰還・2

「女性の一人暮らしはとても心細いの。

 困った時に誰にも頼れないし、楽しかった事を誰にも話せない。

 姉さん、バンデがいなくなったら、寂しくて、悲しくて。

 …もしかしたら、体目当ての悪い男に、言い寄られちゃうかもよ?」

「そ、それは!」


 冗談半分で言ってみたが、バンデはハッとして顔を上げた。

 そして再びうつむき、苦々しく悔しそうに歯噛みする。


「それは、いやだ…!」


 素直な気持ちを吐き出すバンデの姿を眺め、リーファは姉さんに対するバンデの気持ちを考える。


(これは…町に彼女はいなさそうね…)


 バンデが姉さんを”母親”として見ているのなら、姉さんと距離を取るのは自然な流れと言えた。昼間の言動は、まさに母親から離れようとする子供の姿だった。

 だが今の会話を聞いていると、他の男に取られたくないという意思も働いているように見える。


 考え方がごちゃまぜになっているのは、複雑な年頃の子にはよくある事かもしれないが。

 しかしここまでの執着を持って、異性として見ている他の女性の存在はちょっと感じにくかった。


『───これはマーキングだ。お前が私のものであると、お前にも、周りにも示す証だ』


 アランが時折囁く言葉だ。

 彼はそう言って、自分の匂いをこすりつけるように肌に触れてきたり、あちらこちらにキスマークをつけるのだ。


 バンデも、姉さんの側にいる事で、自分のものであると主張しているのかもしれない。


「まあ、それは置いておくとしても…。

 敵討ちに行くなとは言わないから、先に色んな準備をして欲しいと思うの。

 そもそもお母さんの家族がどこに住んでいたのか、バンデは分かった?」

「………………」


 肩を落としたまま、バンデは静かに首を横に振る。幼かっただろうから、あの光景がどこのものかは分からなかったようだ。


 リーファは立ち上がり、バンデのソファの隣に腰掛けた。勢いをつけて座ったものだから、座っていたバンデがソファの上で軽く跳ねる。


「うん。私も、ちょっと心当たりはなかったわ。

 だから、どうしたいにしてもまずは情報収集よ。

 敵討ちをするなら、相手を殺す手段も考えないといけないし。

 万全に、準備はしないとね」


 上機嫌に話を進めていくリーファを見て、バンデが怪訝な顔をしている。

 もしかしたら彼は、リーファが止めてくれるのを期待していたのかもしれない。


「…リーファ」

「うん」

「リーファがもしウシチチだったとしてさ。

 …もしおれが、かたきうちに行きたいって言ったら、どうする?」

「私だったら、手伝うわ」


 考える事もなく、迷う事もなく、言い淀む事もなく。

 あっさりと即答するものだから、バンデが変なものを見るような目でリーファを覗き込んでくる。


「私だって、殺してやりたい奴の一人や二人いるし。

 居場所が分かってるなら、今からでも行って殺したいと思うもの。

 それなのに、バンデには『ダメ』って言えないじゃない」

「…リーファのは、場所わかんねえんだ?」

「ある日いきなり、家族まとめていなくなっちゃったからね。当時は、対抗手段なんて持ってなかったし。

 でも、もしふらっと目の前に現れたら…そうね。

 まずは魂刈って殺して、体は灰になるまで燃やして川に流してやるわ。

 魂も刻んでそこら辺にばらまいて、救済なんてしてやらないんだから」


 微笑すら浮かべてやる気満々で言ってみせるものだから、バンデがたまらず噴き出した。


「…ぷっ。はっはっはっはっはっはっ」


 割と本気に言ってみたのだが、冗談に聞こえたのだろうか。ソファに寝そべってひとしきりバンデは笑うと、目尻に涙を浮かべた顔を上げてきた。


「…リーファも結構、うらみたまってんのなー。

 殺したら、帰んない方がいいんじゃねーの?」

「そうね。そこは、お仕えしてる方にちゃんと報告しないとね。

 それでも側に置いてもらえるならそれでいいし、出てけと言われたら出ていくわよ」


 そう言ってみせながら、アランの反応を思い浮かべる。

 笑って側に置くか、失望して放逐するか。


(アラン様なら…何となく、笑って側に置いて下さりそうなのよね…)


 その方が容易に想像できるからなのだが、一方で後者であって欲しい、とも思ってしまう。

 生まれて来る子の事を考えて、産みの親の心はまっさらであって欲しい。

 憎い相手の魂を刈りたくてうずうずしているような、性根の腐った胎は避けて欲しい。

 そう思ってしまうのだ。


(私に失望してくれたら、正妃様選びも捗るのかな…)


 いっそ打ち明けてみるのもありかもしれない、と思っていると、妙に物静かだと気が付いてバンデを見やる。


 少年は黙り込んでテーブルを見下ろしていた。笑ってもおらず、眠くなった訳でもないようだ。

 ただ、先の事を思い返しているように見えた。


「バンデ?」


 呼びかけると、バンデはびくりと体を震わせた。

 しかし心を落ち着けるように深く息を吐くと、うつむいたままバンデは口を開いた。


「………かたきうちは、したい」

「…うん」

「でもウシチチには話しておきたい。

 …できれば、帰ってきたい」

「うん」

「だから、もっと強くなりたい」


 何とも欲張りな目標ではあった。

 でも迷路で足掻き迷っていた少年は、ようやく行きたい道を見つける事が出来たように思う。


「…うん、いいんじゃない?姉さんは魔術師として優秀だし、きっと頼りになるよ」

「…リーファの殺したいやつ、見つかるといいな」

「バンデが殺したいやつらも、ね」


 目標を定めた少年は、顔つきが男らしくなり、ほんの少しだけ背が伸びたような気がした。


 握り拳を作ってこちらに向けてくるものだから、リーファも同じように拳を作ってバンデの前に掲げてみせた。

 友達との挨拶のようなものなのだろう。似たような目標を掲げたふたりの拳は、ごつ、と音を立ててかち合った。


「奴隷商人のおっさん、いいやつだったな…」

「そうだね。何か、姉さんと引き合わせてくれたみたいだったね…」


 バンデとの思い出話は、もうちょっとだけ花が咲く。

 窓から見える景色は、少しずつ日の明るさを増やしていく。

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