第5話 野を越え山を越え

 翌日。

 数日分の着替えと、入浴用品一式、昼食用のサンドイッチと麦茶、お土産のチョコレートファッジ、そして幾ばくかのお金をリュックサックに詰めて、リーファは出かけて行った。


 まずは城下の実家に寄って腕輪を回収し、馬車で城下の外に連れて行ってもらい、適当な森に入ってから腕輪を使用する事となった。


(せめて、姉弟子さんの名前くらいは、書いておいてほしかったんだけどな…。

 …一目見て分かるのかな…)


 アンモライトをはめた橋渡しの腕輪の力で遥か空の上を疾走していくリーファは、先の事を思い唸り声を上げた。


 ターフェアイトの手紙には『たまには王サマのいない所で羽根伸ばしてきな』とも書かれていたが、姉弟子と言っても初対面の人相手に何日も居座る訳にもいかない。出来れば、ぱっと片付けてぱっと帰りたい気分だ。


 リーファの体は風をまとって西南西を進んでおり、景色は勢いよく変わっていく。

 ターフェアイトが”ゴミ捨て場”と言っていた西の遺跡はもう通り過ぎており、もうしばらく飛んでいけばターフェアイトの住処だった森は見れるだろうか。王家に呪いをかけた女性ヴァレリエがいた森はずっと北にあったので、視界に留めるのは難しそうだ。


 やがて、進行方向の遥か先の視界いっぱいに木々が広がっていく。その先に標高の高い雪山が見えるようになると、リーファがまとっている風の高度が緩やかに上がっていく。


 国境代わりになっているアダジェット山脈の周辺は、雪解け水が大地を潤し、麓一帯を豊かな森にしているようだ。

 しかし暑さの続くこの時期であっても、山脈に積もる雪は全ては解け切らない。普通に登山をするならば、こんな軽装で登る事は出来ないだろう。


 高度が上がり、山脈の尾根筋が視界の先に見える頃には、足元の景色は油絵の風景画のような風合いに見えた。近くまで寄って行けば水と緑溢れる大地なのだろうが、こうして見ていると絵画鑑賞をしているような不思議な気分だ。


 そして。

 国境代わりになっている山脈を越えると、景色が一変した。


「わあっ…!」


 目の前に飛び込んできたのは、どこまでも続く森だった。

 標高が高い場所は雪が積もって草木は殆どないが、やや低い所まで行くとどこまでも木々が多い茂っていた。ラッフレナンドの西方面は水場がある場所以外は荒野が広がっているから、ここまで木々が茂っているのはなかなか壮観だ。


 森は遠くまで広がっているが、その少し手前のかなり広い範囲でレンガの建物がひしめき合っていた。どうやら町らしく、森をかき分けるように放射状に街道が広がっている。


(デルプフェルト様は海産物の事を仰ってたけど、ここは海とは無縁そうね…)


 ほんの少し残念に思いながら、リーファの体が徐々に下降していく事に気づく。町から少し離れた北に小高い丘になっている土地があり、そこが目的地のようだ。


 ◇◇◇


 木々を縫うように到着したのは、街道からは一本離れた小道だ。舗装はされていないが、馬車一台分くらいならなんとか通れる程度に草がむしられ、土が露出している。

 見渡す限り森で覆われ、少し不気味な雰囲気はある。丘の方へと向くと、木の枝をアーチ状に編み込んだ門があった。上の方に”魔女の家”と、ラッフレナンドでも使われている公用語で書かれていた。


(…普通こういうのって、名前を書くもんじゃないかなぁ…?)


 表札をまじまじと眺めつつも、とりあえずここが姉弟子の家なのだと安心する。


(こんな分かりやすい所を、橋渡しの腕輪の到着地点にしておくだなんて。

 …魔術に親しい土地柄なのか、人の行き来が少ないのか…)


 橋渡しの腕輪は、到着地点を示す特殊な円盤を地中に埋め、対応する宝石を腕輪にはめて呪文を唱える事で円盤へ向かって飛んでいく作用がある。

 円盤を勝手に動かされると困る為、置き場所は人の行き来がない所に埋めるのが普通だ。


 しかし、ここは目的地のすぐ側だ。魔術を忌避するラッフレナンドと違って、人目をそこまで気にしなくてもいいのかもしれない。


 木の門は呼び鈴がついている訳でもなさそうだ。

 リーファは意を決して、足を踏み入れようとした───その時。


 ───ずどんっ!!


「!?」


 地響きのような音と揺れが、リーファの感覚を刺激した。


 森全体が揺れたのか、枝に止まっていただろう鳥達が一斉に飛び去って行く。体勢を崩すような揺れではなかったが、音に驚いたリーファは思わず木の門にしがみつく。


「な───な、に?」


 門に入ろうとして、何か罠にかかった訳ではないようだ。何となく丘の上のような気がして、門の先を見上げる。

 木の葉の隙間から何か灰色のものが見えた。どうやら、何かが燃えているようだ。


 少し行くのを躊躇ためらっていたリーファだが、戻っても仕方がないし、門の先へと駆け出した。

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