第11話 あるシスターの後悔
ミラベル=ブラウンは、シスターと呼ばれているが厳密には修道女ではない。
シスター服を着てはいるが『教会で働くならちゃんとした格好を』と牧師から渡されたもので、要は”シスターもどき”である。
生まれも育ちもこのビザロで、親が熱心な信徒だったので自然と教会に出入りするようになっていた女性だ。
しかし彼女自身は宗教にさほど興味はなく、俗世から離れたいと思った訳でもないから、修道女になる選択肢はなかった。
修道院に入り祈りを捧げ続けたのでは、意味がなかったのだ。
彼女がこの教会に勤めている理由はたったひとつ。
(ハドリー牧師…)
ミラベルはただひたすら、聖堂の祭壇の前で彼の無事を願う。普段なら何も考えずに周りに倣っているだけだが、今回ばかりは祈らずにはいられない。
───ハドリー牧師がこの教会に赴任してきたのは、八年程前だっただろうか。
教えに厳しく難しい言葉を羅列するだけの前任者と比べて、ハドリー牧師の教えは丁寧で分かりやすかった。
町の人達とも積極的に打ち解けて行き、定期的に学校に教えを伝え、家族集会を頻繁に執り行い、病に伏している者の話を聞けば
夜遅く訪れた悩める者にも嫌な顔ひとつせずに応じていたりと、一体いつ寝ているのかと思った程だ。
一方で、教えについてはざっくり考えているフシがあり、
『女神を信じる信じないは、好きにしていいと思うんだよ。
女神は常に我々を見守って下さるが、別にここで祈った所で成績が良くなる訳でも、足が速くなる訳でもない。
…だがね。
困った事があった時、辛い事があった時に、ちょっとぶらっと寄って祈れる場所があった方が気が楽だと思わないかね?
独りで黙々と祈りを捧げて、なんか問題が解決しそうだなと思えばそれも良し。
駄目っぽいならわたしが相談に乗る。───ここは、そういう所なんだよ』
と、こうだ。
だが、そんなハドリー牧師のふわっとした雰囲気に救われた人は多く、両親の離縁で悩んでいたミラベルにも同じ事が言えた。
別れた両親のどちらにもつかず、『住み込みでここの手伝いをしたい』と頼み込んだのも。
朗らかに笑って受け入れてくれたハドリー牧師を恋い慕う気持ちも。
ミラベルにとっては自然な流れだったのだ。
なのに───
(あれから九日………何でわたし、あの時一緒に行かなかったんだろう…)
あの日の事を思うと、後悔ばかりしてしまう。
九日前、西から来た旅人より手紙を受け取ったハドリー牧師は、程なく出掛けてしまった。
『すぐに戻るから、留守を頼むよ』
嫌な予感がしていたのにハドリー牧師が笑うものだから、つい真に受けて背中を見送ってしまったのだ。
そこからハドリー牧師の足跡の一切が途絶えてしまった。
町の誰に聞いても、彼の姿を見た者はいなかった。
残されていた手紙には、最近タールクヴィスト邸で続いている不幸について書かれていた。しかしタールクヴィスト邸のメイドに確認しても、『来ていない』の一点張りだった。
もう、ハドリー牧師に関する手掛かりが無い。
無力なミラベルには、こうして女神に祈りを捧げる他、出来る事がなかった。
(こんな事になるのが分かっていたら、あの日全力で止めていたのに…!)
自責の念に瑠璃色の瞳から涙が溢れる。泣くまいと必死に堪えるが、ついに瞼から決壊して零れてしまった。
───ぎいい…
聖堂の大扉を開く音がしたのは、丁度その頃だった。
「こんにちわ。どなたか、おられますか?」
女性の声で我に返り、シスター服の袖で乱暴に目を拭う。
「は、はい。どういった御用で───」
振り返り、ミラベルは大扉の方に顔を向け───そして目を大きく見開いた。
年齢は二十歳代くらいだろうか。少なくともミラベルからは年上の印象を受けた。薄鈍色の外套を羽織った女性だ。動きやすそうな白いシャツを着て、デニム生地のズボンと革のブーツを履いた、如何にも旅行中の旅人だった。
ミラベルが驚いたのは旅人が教会に訪れた事ではない。彼女の長い髪が橙で、瞳が瑪瑙色をしていたからだ。
特にその瞳の色は、あの人を彷彿とさせた───赤銅色の髪と瞳の、ハドリー牧師を。
『教会へ訪れた者は、必ず笑顔で迎えるのだよ』
そう言い聞かせられていたから、頑張って笑顔を取り繕うとしたが。
でも、無理だった。
気が付けばミラベルの頬は涙に濡れ、溢れ出る感情を抑えきれずにその場にへたり込んでしまった。
「うっ、うっ、うっ…ハドリー牧師………牧師、様…!うわああぁあ…!」
旅人にとっては、訪れた教会にいたシスターが自分の顔を見た途端泣き出してしまったように見えただろう。酷い醜態を晒したものだが、今のミラベルにこの涙を抑える術は持ち合わせていない。
しかし旅人はそんなミラベルの元まで近づいて
子供をあやすように、まるでミラベルの淡い心を知っているかのように、旅人はミラベルを慰めてくれる。
「辛かったんですね。ハドリーさんが戻らなくて…。
お力になれるかは分かりませんが、私の肩で良ければ幾らでも泣いて下さい…」
聖堂の中、名も知らない旅人に寄り添ってもらって、ミラベルのすすり泣く声が響き渡った。
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