第9話 不穏な報せに心が騒いで・1

 二週間も経つと、今回の呪術に関する報告が届くようになっていった。

 執務室で、ヘルムートが集まってきた報告書を読み上げる。


「エイミー=オルコット、アドリエンヌ=ルフェーヴル両名の周囲でも、同様の怪異は起こっていたよ。

 まずセグエの町の方からだけど…エイミーについているメイド三名が体調不良で仕事を辞めてる。内容は食あたりや怪我なんからしいね。

 新しいメイドを募集してるけど、怪異の噂が町中に広がっていてなかなか決まらないみたい。

 エイミーは辺境伯らとは別に居を構えているから、オルコット辺境伯と辺境伯夫人は怪異の被害は受けていない。

 でも、エイミーの周囲が荒れて行っているのは知っているらしくて、リタルダンドの知人に相談を持ち掛けているようだね」

「…リタルダンドは魔術研究が盛んな国だ。呪術についても詳しいだろう。

 セグエからならあちらの首都の方が近いし、ラッフレナンドよりは頼りになるだろうと思ったか」


 膝の上にはべらしたリーファの腿を撫で回しつつ、あまり興味なさそうにアランがぼやく。


「ペルダンのアドリエンヌは、親のルフェーヴル町長と一緒に住んでいるからか被害の話が出てるよ。

 町長は、植木の手入れ中にギックリ腰をしたらしくて寝たきり状態に。

 町長夫人は、調理中に右腕をやけどをして療養中だそうだよ。

 アドリエンヌは両親を介護していて、最近すっかり老け込んでしまったとか」

「…町長と夫人には悪いが、因果応報、というやつだな…」


 アランは不意にリーファの髪に顔を埋め、香とリーファ自身の匂いを楽しむ。

 されるがままに弄ばれて、リーファは熱くなる吐息を堪えようと必死だ。それを見下ろして、アランの笑みが濃くなる。


「で、ビザロなんだけど…。

 タールクヴィスト男爵は起き上がる事は出来るようになったらしい。

 夫人はまだ床に伏したままだけど、会話が出来る程度に症状は軽くなってきているとか。

 ウッラ=ブリットが町を離れた事で、怪異自体は落ち着いてきているのかもしれない」


 ウッラ=ブリットは、ラッフレナンド城に在籍していて親戚でもあるゲルルフ=デルプフェルトに預けている。

 ゲルルフは呪いについては懐疑的な姿勢を見せたが、ウッラ=ブリット自身がその危険性を訴え、城下のデルプフェルト邸で自主的に引きこもっているという。


「…まあ、こんなところかな」


 執務机の上にヘルムートが報告書を置くと、アランは小さくうなずいた。


「では、ウッラ=ブリット、エイミー、アドリエンヌ三名の在宅起訴の手続きを行うよう、明日の会議で議題に挙げる。

 …本来なら城に召喚したい所だが、状況が状況だからな。仕方がない」

「解呪はどうするの?教会関係者の領分だけど…セニョボス神父は何て?」

「『見てみないと分からない』だそうだ。まあ、呪術の場は分かっているのだ。何とかさせるさ」


 リーファがソワソワと執務室の柱時計を見やっている。アランがその姿を怪訝に見下ろすと、リーファが顔を向けて口を開いた。


「アラン様、私そろそろお菓子作りの支度に行ってきます」


 どうやら時間を気にしていたらしい。下拵えが必要なものなら、早めに動いておかないとおやつの時間に間に合わないのだろう。


「そんな時間か。今日は何を作る?」

「スフレパンケーキを作ってみようかと。

 ちょっと手間はかかるんですけど、ふわっふわに作れるレシピを爺様に教えてもらったんです」


 そう鼻息荒く答えるリーファは嬉しそうだ。

 あの禁書庫の老人が料理をしているイメージはないが、教えてくれるのだから自炊くらいはするのかもしれない。


「…本当に爺は何でも知ってるな………まあいい。

 せいぜい私を満足させられるものを作ってこい」

「はい」


 リーファはアランの頬に口づけて席を降りる。アランとヘルムートにそれぞれ頭を下げて、執務室を後にした。


 リーファの足音が廊下の先で遠くなっていく。自分の耳には聞こえなくなった頃を見計らって、アランはヘルムートに問いかけた。


「それで?」

「うん?」

「まだ何かあるのだろう?報告が」

「うん、まあ、ね」


 ヘルムートの”耳”は、まだリーファの足音を追いかけていたようだ。しばらく執務室の扉を眺めていたヘルムートだったが、適当な所でアランに向き直る。

 声を少し抑え、ヘルムートは報告書の読み上げていない部分を告げた。


「ビザロのハドリー牧師が失踪した」

「───ふむ」


 その内容に多少驚きはしたが、リーファに聞かせられない話なのは何となく予想は出来ていた。


「密偵に預けたリーファの手紙は、牧師に手渡したそうなんだ。

 だけど、その直後から行方が分からなくなってる。

 教会のシスターには『タールクヴィスト邸へ行ってくる』と伝えていたようなんだけど、タールクヴィスト邸の者は誰も牧師の姿を見ていないらしい」


 ヘルムートの話に、アランは目を細める。


 ハドリー牧師に宛てた手紙には、『ビザロのタールクヴィスト家の者が呪いを受け、ラッフレナンド王に助けを求めにきました。何かご存じでしたら教えて下さい』という内容が書かれていた。特に解呪の依頼などはしておらず、ただ情報提供を求めただけだ。

 しかしビザロに住んでいる以上、怪異の話は耳に入っていたはずだ。リーファの手紙によって呪いの発生源が知れて、グリムリーパーとして解呪しにいった可能性はある。


「タールクヴィスト邸で何かのトラブルに巻き込まれたか…?」


 考えにくい事ではある。聞く限り、グリムリーパーに天敵らしい天敵は存在しない。そんな彼らを足止めさせる事態など、想像がつかないが。


「時間の感覚が人間と違う連中だ。どこかに遊びに行っただけなのかもしれないけどさ。

 ───リーファに言おうか悩んだんだけど…」

「気に掛けるだろうからな…黙っておけ」

「そうだね…」


 ヘルムートが開け放たれたベランダの方を眺めている。アランにも、厨房を借りに行ったリーファの鼻歌が聴こえてきた。

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