第9話 述懐・1~伝えたい相手
その後、アランはリーファがやっていた事を一通りやってみた。
昼食はリーファに任せたが、2階の掃除を手伝い、夕食の支度を行い、片付けもした。
兵士団直伝のシチューの出来は良かったと思っている。リーファもとても喜んで、レシピを欲しがっていた。しかし兵士団にとっては門外不出らしいので、そこは拒否した。
だが、旗の色が変わる事も、家の扉が開く事もなかったのだ。
「「難しく考えなくていいと思うんだ。でも、アランってこういうの苦手だからなあ。
リーファが手綱握って、うまく誘導してあげないと難しいかもしれない」」
と、ヘルムートは夕食後に訪れてそんな事を言っていた。馬扱いは不服だが、黙っておいた。
◇◇◇
(どうすれば…)
夜も更け、二冊の日記帳を寝室の円卓に置き、アランは椅子に座って独り途方に暮れていた。
何故リーファの部屋の日記帳もあるのかというと、アランが書いた文章をリーファに知られたくないからだった。まだ一文すら書けていないのだが。
城の仕事も心配になってくる。ヘルムートは『心配いらない』とは言っていたが、城から出ていない王が何日も玉座にいないのは役人も気持ち悪いだろう。
「お悩みですね」
不意に聞こえてきた女の声に、アランは顔を上げて扉を見やった。
グリムリーパーの姿で、リーファがそこに立っている。もっと扇情的な姿で来ても誰も咎めないのに、今日は鎧姿だ。
「ノックもせずに入るとは、グリムリーパーはマナーを知らんのか」
「だって、ノックしても入れてくれないでしょう?」
「当然だろう」
「それじゃ駄目だと思ったから、こうして勝手に入ってきたんです」
リーファは、ふわ、と綿毛のように部屋を横切って、アランの前へと降り立った。
(こうしてみるのは久々だな…。
リーファが妊娠している間は見れなかったから、三ヶ月は経っているか…)
冬の夕焼けのような煌めく橙の髪に、全てを飲み込んでしまいそうな
姿形はそこらにいる人間と何ら変わらないのに、目の前に立つ女に超常的な姿を見出そうとしてしまう。
「何をしに来た」
「それはもちろん、アラン様の手綱を操りに、です」
「ベッドの誘いにしては、いささか不格好が過ぎないか?」
「そういうのがお望みでしたら、その通りに」
彼女はそう言って微笑み、自身の鎧に手を添えた。日の光に照らされた湖面のような煌めきを経て、黒のベビードールに変えてみせる。
あちらこちらがレースに彩られ可愛らしくもあるが、一方でレースで縛り上げているようにも見えてしまい、何ともそそられる。ランジェリーも黒の透けたもので、実にアラン好みだった。
リーファは座っている揺り椅子に乗り上げるように迫ってきた。誘いに抗えるはずもなく、豊かな双丘に釘付けになる。
不敬にも見下ろす姿勢を取る彼女に、アランがぼやいた。
「…お前は、その姿だと性格が変わるな」
「そう…ですか?あまり気にした事はないんですが…」
「ああ。あちらと比べて厚かましい」
「ふふ、それはですね。この姿の私だと、アラン様がちょっと私に甘くしてくれてるような気がするからです」
アランの眉根がぴくりと動く。
(気に入らんな)
調子に乗っていると感じる。『この男の手綱なら容易く操れる』と、思い込まれている。
それが無性に腹が立って、アランはリーファの首に手を置いた。
「甘い?私がか」
「はい」
首を握る手に、力を少しずつ籠める。
ギリ、と嫌な音が鳴るが、どこの音かは分からない。
しかし、普通なら苦しみに喘ぎだす頃合いだ───人間であれば。
「ならば、今から手酷く扱ってやろうか。
組み敷き、縛り上げ、締め上げて、張り倒して。
泣いて許しを乞うまで、蹂躙してやろうか」
「どうぞ」
いとも容易く返された言葉に、アランの表情が険しくなる。
手の力は緩めていないのに、リーファは気にした素振りを見せない。首の形がわずかに歪むが、これ以上力をかけてもびくともしない。
自身の胸元に手を添えて、リーファは少し寂し気に微笑んだ。
「私の心も体も、アラン様のものですから。
初めても捧げましたし………最後も、捧げたいと思っています。
どうぞ、お気に召すまま、望むままにして下さい」
そうしてリーファは両手をぶらりと降ろし、そのまま目を閉じて動かなくなる。
無防備な姿だ。ショーウィンドウに飾られた人形のように生気がなく、そして美しい。
アランは締め上げていた首を解放し、その豊かな肢体に触れた。
きめ細やかな頬に触れ、零れんばかり胸に指を沈め、美しい曲線を描く腰から尻に手の平を這わせ、肉付きの良い腿を撫でる。
吸い付きたくなるような肌は、望めば望んだだけ得られるものだ。リーファもそう望んでいる。
───なのに。
「違う」
思わず零れた否定に、艶めかしく呼吸を繰り返していた彼女は、怪訝な顔を向ける。
「…?」
「こんな事を、私は望んでいない」
「…では、どんな事を望んでいるんです?」
見下ろす双眸に導かれるように問われ、アランはつい口を開きかけた。歯を食いしばり、顔を逸らす。
「それは、お前には言わない」
「では、誰に?」
言ったら負けのような気がした。そういう問題ではないのは分かっているが。
こんなアランを挑発するような方法など、リーファもやりたくてやっている訳ではないだろう。ただ、彼女が出来得る精一杯の手伝いが、こうして誘う事だったという話だ。
(だが、言うのはお前じゃないんだ)
一目惚れは認める。先の見合いで、彼女に向けていた想いはそうであったと思い知らされた。
だが共に在りたいと、守って行きたいと思えるのは、彼女ではなく───
「………もうひとりの、お前になら」
「…お待ちください」
ちょっと驚いた様子で目を瞬かせた彼女は、やがて満足そうに微笑んだ。アランの眉間に優しいキスを落とし、あっという間に闇に溶けていく。
揺り椅子にかかる一人分の重みが消え失せ、ほんの少しだけ沈黙が落ちる。
───カタン。
扉の先、廊下から物音が聞こえてきた。アランは椅子から身を起こし、扉を開ける。
家の中があまりに物静かだとは思っていたが、どうやら廊下で息を殺していたようだ。
扉の先には、人間の方のリーファが後ろめたそうに佇んでいた。
「今まで扉の前で待っていたのか」
「なんとなく…呼ばれそうな気がして…」
頭を下げてもじもじしているリーファの姿は、堂々としていた先のグリムリーパーとは別の生き物に見えた。女は化粧で心持ちが変わるというが、ここまで変わってしまうものなのか。
諦めの境地に行きつき、はあ、とアランは溜息を吐いた。
「全く…お見通しか………本当に、女の勘には驚かされる」
「…?」
「こちらの話だ。………添い寝を許す。ベッドに入っていろ」
「は、はい」
断られるとでも思っていたのか、入室を許されたリーファの顔が綻んだ。
ちょっとだけ申し訳なさそうに、ちょっとだけ緊張しながら、リーファは部屋へと入ってきた。
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