第18話 二日目、王は状況を憂う

「お菓子、美味しかったかい?」


 エレオノーラとの茶会を終え、夕食会までのほんのわずかな時間の中、アランは執務室へと戻っていた。

 窓際のソファに腰かけていたヘルムートがそう発したのは、アランが部屋に入った直後の事だ。


 気配は微塵も感じなかったものだから、多少は驚いた。

 しかしアランは、『ヘルムートならそこにいてもおかしくはない』とも思ったから、悲鳴は上げずに済んだ。


 日はすっかり沈み、執務室にも夜の時間が近づいている。

 壁にかかっている燭台だけでは部屋を光で満たすには心許なく、ヘルムートの表情を完璧に捉える事は出来ない。


 羽織っていたマントを執務机に放り投げ、アランは向かいのソファに腰かけた。


「ああ。実に良い出来だった。

 シェリーが『バニラアイスと砕けたクッキーとの相性が抜群』だと言っていたから、持ってこさせて一緒に食べたさ。

 まあ美味い物と美味い物を掛け合わせたのだから、不味いはずはないのだがな。

 しかし、普段にない触感と美味さは良い刺激になる」


 半眼で睨み、ヘルムートを見据えアランが続ける。


「───踏み砕いた者に、一言言いたい気分だ」

「はは、僕に睨まれてもな」


 苦笑いをして、ヘルムートは肩を竦める。


「しかし、”耳”では捉えていただろう」

「勿論ね。でもそれ、報告要る?」


 ヘルムートのあんまりな返答に、アランは眉根を寄せた。


 王の城で王の意にそぐわない仕打ちが起こっている。見過ごせるはずはないというのに。

 ヘルムートの考えが理解出来ない。それだけだが、アランの苛立ちが膨らんでいく。


「お前は要らないというのか。

 …恐らく側仕えのいずれかなのだろうが、そんな性悪を抱え込んだ正妃候補を嫁にしろと?

 もしお前が選ぶ立場だったら、許せると言うのか」

「確かに嫌だけどさ。でも、そういう所で候補を見て欲しくはないんだよねえ」

「昨日、警告をしてやったにも関わらずこの有様だぞ。

 候補も、そういう所で評価が落ちるのは覚悟するべきだろう」

「アラン」


 名前だけを呼ぶものだから、アランは何も言えなくなる。

 言葉を失い、たかぶっていた気持ちを少し、ほんの少しだけ、治めるように努めた。


 テーブルに置かれた燭台だけでは、ヘルムートの表情はよく分からない。口元は吊り上がっているように見えるのに、何故だか怒っているような気がした。

 深呼吸を一つだけして、アランはぽつりと返事をする。


「なんだ」

「彼女らが決めた強弱関係は、そのまま貴族達の上下関係と同じだよ」

「──────」


 ヘルムートの言葉に、アランの感情が地に沈んだ。

 執務室に沈黙が落ち、目の前のロウソクがじり、と揺れる。

 部屋の暗さ以上に、自分の内に闇が現れたような嫌な気持ちがした。


「仮に誰かが誰かを苛めていたとしてもだ。

 彼女らが家に戻れば、当然その辺りの事も親に話すだろう。

 苛めた側は苛めたなりに、苛められた側は苛められたなりに、だ。

 それで苛められた側は、苛めた側を報復すると思う?

 …そう。彼女達は分かってやっているんだ。『仕返しなんて出来るはずがない』ってね。

 そう思っているから彼女達は妨害してきたし、エレオノーラも諦めた。

 これは貴族間の問題だ。王が口出しする問題じゃない。

 君が王としてたしなめても、何の意味もない問題なんだ」


 もっともな話だった。

 アランから見ればどの貴族も似たような連中だが、彼らは彼らで爵位を基準に上下関係を設けている。

 公爵を最上位として、侯爵、伯爵、子爵、男爵とランクが下がっていく。辺境伯だけ扱いが異なっており、大きい権限が与えられているが、ランクとしては侯爵と伯爵の間ぐらいだ。


 爵位が高い者に低い者が楯突く事が出来ない、という訳ではない。

 しかし爵位が高い者は、王やその周囲の者と癒着しているケースがある。下手に問題を起こすと、爵位が低い者達が不当な扱いになる事もままあるのだ。


「…貴族を取り纏める王が貴族を御せないなど、笑い話にもならん」

「そうだね。でも、感情論で正妃を決めるのは駄目なんだよ。

 それを重々承知した上で、君だってこの見合いに臨んでいただろう?」


(分かってはいる。分かってはいたが───)


 もう少し自分が自由に正妃を選べると思い込んでいただけに、下々の醜い争いを目の当たりにすると落ち込みもする。

 一体どこを判断して正妃を選べばいいのか。考えれば考えただけ、気持ちが揺らいでしまいそうだ。


「こんな形になるとはな…」

「集団の見合いだって個別の見合いだって、中身はそう変わらないさ」


 今回は王城で、そのトラブルを目の当たりにしただけだ。

 個別の見合いであったとしても、見合い相手はアランの見えない場所で愚にもつかない小競り合いに巻き込まれてしまうのだろう。


 全ては些事でしかない。ならば、いちいち細かい事情まで耳に入れる必要はない。

 聞いて嫌な感情になってしまうものならば尚更だ。


「………分かった。報告は、不要だ」

「…ありがとう」


 アランの下した決断に、ヘルムートは胸に手を当てて頭を下げた。

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