第6話 暗愚な王に平手が落ちた・2
昼間のアランの光景を思い出し、リーファはヘルムートに疑問を投げかけた。
「意識が飛んでたなら、あの貴族風な口説き文句は、陛下の言葉じゃないって事ですかね?」
「うーん。アランもレディに対する社交辞令は一通り頭に入ってるとは思うけどねえ。
あんなスラスラ言えるのは、ちょっとアランっぽくないんだよなあ」
渋い顔をしていたアランが、腕を組んで唸るヘルムートを見やる。
「…そんなに酷い有様だったというのか」
「そりゃもう、ねえ」
と言って、薄ら笑いを浮かべたヘルムートはリーファに顔を向ける。
答えるよう促された気がして、リーファは口を開いた。
「何でしたっけ?貴女と言う檻に捕らわれてしまったとかなんとか」
「月夜を溶かしたかのような美しいなんちゃらとか」
「透き通るような声がどうたらとか」
「………………」
昼間の台詞を言っていくと、見る見るうちにアランの顔が真っ青になっていく。
その様子から、『そういう物言いをする者達を知ってはいるが、あれは自分の性分じゃない』と思っているようにも見える。
(ちょっと…分かる、かも。
私も、『ごきげんよう』とか『よくってよ』みたいなお嬢様言葉、知ってるけど言える訳じゃないし…)
リーファはアランの落ち込みように同情したが、一方でヘルムートはしれっととどめを刺した。
「あと、口紅の跡、唇についてるからね」
「───っ!」
(ああ…言っちゃった…)
リーファは沈痛な面持ちで目を伏せた。
いずれは分かる事だから早いか遅いかの違いでしかないし、今言うのは追い打ちにしかならないと思って黙っていたのだが。
美人であっても得体のしれない女性とのキスは嫌だったのだろうか。アランは吐きそうな面持ちで唇についた紅をタオルで乱暴に拭う。
(こういうのは血筋なのかなぁ…)
アランを見てニヤニヤしているヘルムートを眺めていると、毎晩のようにリーファを嬲ってくるアランとダブって見えてしまう。
これがラッフレナンド王家に引き継がれた性分だとすると、何とも嫌なものを継いでしまったものだ。
アランは擦り切れん勢いで唇を拭き続けているし、ヘルムートはそんなアランを見ているだけで進展しそうもない。
「と、とりあえず、どうします?
このままだと、多分ヴェルナさんが正妃に納まる事になりますよね?
それを陛下がいいと思っているかどうか…なんですが」
リーファが話を持ち掛けると、互いに夢中になっていると気が付いたのだろう。
アランはタオルをテーブルに戻し、ヘルムートはばつが悪そうに目を逸らして頭を掻いた。
顎に手を当て、アランが苦々しげに唸る。
「…ちらりと見ただけで、姿まではよく覚えていないが…。
それよりも自分の意に反した行動を取らされるのは、気に食わんな…」
「僕は反対だ。あんなアランと一緒に仕事するなら、僕は国を出るよ。リーファは?」
ヘルムートから問い返され、リーファはきょとんとした。
アランの見合いはアランの問題で、リーファには何ら関係がない。
そもそも国事に側女は関わる事は出来ないのだが。
不安になって、リーファはアランに訊ねてみた。
「…私に発言権ってあるんですか?」
「ない。だが、言ってみろ」
どうやら国民として参考程度に聞きたいらしい。そういう事ならと、リーファは口を開いた。
「…なら遠慮なく。
あの人が正妃になると、多分私はお役御免で城から出る事になると思うんですね。
まあそれはそれで全然構わないんですが…。
あんな風に陛下が言いなりになり続けると、何だか近い未来で国が傾くような気がします。
庶民として、それはありがたくないですねえ」
何か言い方が気になるのか眉間にしわを寄せて睨んでくるアラン。
(『言ってみろ』って言うから言ったのに…!)
アランの形相に慄いていると、ヘルムートは虚空を仰いで唸った。
「うーん、一理あるね。
あの若さにして既に五回結婚してるんだけど、そのどれもが死別している。
まあ高齢の夫もいたそうだし、彼女が何か仕出かした証拠もないんだけどさ。
ただ、彼女がらみで結構お家が傾いている話も聞いてるんだよね」
しれっと新情報が飛び込んできて、リーファが苦虫を噛み潰したような表情をした。
一国の王の見合いなのだから、完璧な身辺調査をして後ろ暗い過去のない清廉潔白な女性を呼んでいるのかと思い込んでいたが。
「…そんな真っ黒な人、よく見合いを許可しましたね…」
「美人と評判だったからね。まだ若いし、子供もいないし。
アランのおかげで、えり好みできなくなってるってのもあるんだけど」
そう言ってヘルムートがちらりとアランを見やると、アランはばつが悪そうに目を逸らした。
恐らく王子時代から見合いの話は出ていたのだろうが、その頃からどうでもいい理由で破談にしていたのだろうと容易に想像はついた。
「…何にしても、ヴェルナの事をもう少し調べてみる必要があるか。
ヘルムート、任せていいか」
アランも調子を取り戻してきていて、ヘルムートも落ち着いてきたようだ。いつもの愛想の良さにちょっと困った表情を足してみせ、アランに応えた。
「…了解。ガルバートまでちょっと遠いけど………何とか、調べてみるよ」
ふたりの中である程度方針が決まったようだ。
そしてリーファは考える。見合いに関わる気はあまりないが、ヴェルナの事はちょっと気にはなる。
「私も、禁書庫の爺様に相談してみていいですか?
さっきヘルムート様に話したんですけど、魔術や呪術の類じゃなさそうなんです。
もしかしたら才の一種なのかもって」
「ああ。さっき言ってたのは才の事だったんだね。
そうだね…爺なら、何か良い知恵を授けてくれるかもしれない」
「好きにしろ。どうでもいい。
………さて、私はだが………」
そこまで言って黙り込んだアランを見て、ヘルムートは意地悪な笑みを浮かべた。
「ヴェルナ嬢のご機嫌取り頑張ってね。
…リーファ。僕はしばらく城を空けるから、いざって時はさっきと同じ要領で戻すんだよ?」
「!?」
さらっととんでもない命令が下り、リーファは一瞬で怖気づいた。
眠らせる事と引っ叩く事、どちらが正気に戻す方法なのかは分からないが、どっちにしてもリーファがアランにやるというのは死刑ものの重罪だ。場所だって考えないといけないし、後の仕返しだって怖い。
「い、いや、でも、それは」
荷が重すぎる務めにまごついていると、アランは心底嫌そうに溜息を吐いた。
「…仕方が、無いな」
「!」
ヘルムートの提案を、アランは意外にもあっさり受け入れた。
城がこの有様の中、ヴェルナの目を掻い潜って動けるのはリーファとヘルムートしかいない。
ヘルムートが城を出る以上、アランの意識を戻す仕事はリーファしか出来ないのは分かるが。
(そんなに嫌なんだ…)
便宜上側に置いているだけのリーファを頼らないといけない程、アランは追い詰められているのかもしれない。
「…じ、爺様の所で、何か別の解決策があるといいですねえ…」
痛みを思い出したのだろうか。濡れタオルを取り頬に当て塞ぎこんだアランを見て、リーファはそう心から願う事しか出来なかった。
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