第4話 嫋やかで儚い人を夢見て
───狂ったように拒絶されたあの日以降、あの人に会った事はなかった。
無断で側女の部屋に入った罰として、規定よりも一年早く二等兵として活動する事が決まったのだ。
そして、最初こそ城で基礎を学んだが、年月が経つと地方へと飛ばされてしまった。
戦線に立っていると、子供の頃の思い出は自然と思い出せなくなっていった。
自分の命が危うくなれば、生きるのに不必要な記憶はどんどん切り捨ててしまうものなのだろう。
だが、攻め入る魔物どもを切り刻む事が楽しくなってきた頃になって、急にラッフレナンド城へ戻るよう知らせが来たのだ。
誰が言い出したのかは知らないが、『側女のいずれかが不貞を働き、王以外の子を産んだのでは?』と騒ぎ出した為だ。
理由はあった。
オスヴァルト王は正妃の他、三人の側女を抱えていたが、その全員が子を産んでいた。
不妊の呪いにより、それまでは王が抱えた女の一人は、子を成せない事が常態化していた。だから、オスヴァルト王の代で異例が発生した事に疑問を持つのは、当然の流れと言えた。
城へ来て早々、自分の疑いはすぐに晴れた。自分の顔が、オスヴァルト王と瓜二つだと王の目の前で証明されたからだ。
しかし。
後ろ盾のないあの人は、貴族たちの尋問と拷問に耐え切れず、最後は何者かに毒を盛られて死んでいた。
長かった銀糸の髪はバラバラに切り落とされ、食事も満足に取らせていなかったのか、色白を通り越して
それでいて尚死ぬ事が出来ず、最後は毒によって血反吐をまき散らして絶命したのだ。
その人だったものを見下ろして、自分はとても冷静でいたような気がする。
何も考えなかったし、涙も出なかったし、罵声すら湧いてこなかった。
こういうものなのだと、ただ見下ろすしかなかった。
同時に、これが自分なのだとようやく自覚した。
親愛の情と共に生まれ落ちたものではないのだ。情など、持ち合わせているはずがない。
どんなに魅力的な女がすり寄ろうが、何の感情も抱かなかったのも。
死んだ戦友を悼む気持ちよりも、一匹でも多く魔物を殺す事を重きに置いたのも。
アラン=ラッフレナンドという男は、酷薄な男だからなのだと。
そう、思っていた。
死の宣告に現れたあの女が、この凍てついた心を揺さぶるまでは───
◇◇◇
不快感いっぱいの中で、アランは不意に目を覚ます。
誰かの手を握っていると思って視線を動かすと、リーファが自分の手を握りしめていた。
リーファの後ろを見れば、ヘルムートが心配そうに見下ろしている。
癪に障るにっこり顔で、リーファは訊ねた。
「おはようございます。アラン様。お加減はいかがですか?」
「…最悪だ」
「分かりました。ではまず汗を拭いましょうか。
せっかくなので、パジャマも代えてしまいましょう」
気持ちが伝わったのかどうなのか。リーファはアランの手をシーツの上へ下ろし、テーブルに置かれていた寝間着一式を取りに行った。
おろおろした様子でヘルムートが覗き込んでくる。
「だ、大丈夫かい?大分、
「…嫌な夢を見ただけだ───ごほっ」
体中の痛みに顔をしかめながらも、アランは身を起こす。
戻ってきたリーファは、アランのパジャマを脱がし、背中に入っていたびしょ濡れのフェイスタオルを引き抜き、ついでに下着をはぎ取っていく。アランに文句を言わせる暇すらも与えない、実に見事な手腕だった。
濡らしたタオルで全身をくまなく拭かれ、次に乾いたタオルで水気を拭きとられると、開け放たれていたガラス戸から風が舞い込んで、心地よく肌を撫でた。幾らか気分が楽になっているようだ。
されるがまま、新しい下着とパジャマを着させられながら、アランはリーファに声をかけた。
「リーファ」
「あ、はい」
「………復調して、暇が出来たら…墓参りをする。付き合え」
幼い風貌の彼女が目をぱちくりさせる。墓参りなど行った事がないから、驚くのは当然かもしれない。
「…分かりました。陵墓のある島へ行くんですね?」
「いや…、城下の、墓地だ」
「城下の、墓地…?」
リーファは不思議そうに首を傾げたが、ヘルムートは誰の墓参りか気が付いたようだ。
「アラン、それって…」
「言うな。………一度くらいは、行ってやらねばならんだろう…?」
言葉を遮られて、ヘルムートは言い留める。
リーファは、何だかよく分からないという感じでアランとヘルムートを交互に見るが、ただの墓参りだと思ったようだ。ご機嫌に両手を叩いた。
「分かりました。ちゃんと調子が戻ったら、行きましょうね。
持っていくお花は何にしましょうか?
キク、グラジオラス、ユリ………リンドウはまだちょっと早いですかね…」
「…そこは任せる。故人が喜ぶようなものを選んでやれ」
「故人が喜ぶようなもの…ですか?
………分かりました。シェリーさんに相談してみます。
それで、何という方の所へ墓参りに行くんですか?」
リーファに訊ねられ、アランはベランダから城の庭園の端を望んだ。
あの人も、あの当時見ていたはずの風景だ。
(…あの人が、どんな気持ちでこの風景を眺めていたかは、分からないが…。
あの頃と、風情は何も変わっていないはずだ。
結局、あの人の事は何も分からなかったが───)
「…名はネージュ。………女性だ。
白雪の様に美しく、
こうであったと思いたい。ささやかな希望を込めて、アランはそう答えた。
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