第16話 お勉強会へ
ラッフレナンド王とのお見合いの期間は、その時その時によって異なる。
見合い相手の実家までの距離を考慮したり、王自身の忙しさも判断材料となる。それでも、長くて十日、短いと三日程度のようだ。
短くて三日というのは、まずは来城した日が一日目、二日目に一日かけて交流し、三日目に結果報告と見合い相手を実家へ戻す手順が取られる。
セアラの場合は四日間だ。まず一日目は来城と城の案内を、二日目はラッフレナンド国内の情勢の勉強を、三日目に交流をして、四日目に結果、という流れになるらしい。
正直、三日目はなくても良いのではないだろうか、とリーファは思う。
アラン自身は見合い相手の見た目と性格を重要視しているのだろうが、その辺りは調査をすれば事前にいくらでも分かるはずだからだ。一番重要らしい体の相性とやらについては、肌触れ合ってみなければ分からないのだろうが、一日まるまる費やす程でもない。
朝の緩い陽の光がガラス戸から差し込んできて、その眩しさにリーファは目を細める。まだ起きるには少し早いだろうか。
リーファは、スケジュールが書かれた一枚の紙をぼーっと眺めていた。
二日目にあたる今日は、お勉強の日だ。朝から晩まで続くようなので、アランに会う機会は夜くらいしかない。
なんとも丁度良い。
(起き上がれない…)
体のあちこちが痛い上、背中の方からアランの逞しい腕が絡みついており全く動けない。
そしてアランは人の耳元で寝息を立て、未だ夢の中だ。叩けば起きるかもしれないが、起きたら起きたで何かと面倒なので、彼が勝手に寝返ってくれるのを待つばかりだ。
(リャナが言ってた”グリムリーパー用傷薬”………貰っておけば良かったなあ…)
数日前の出来事を、今更後悔している。腕や胸元についた痣や歯型を眺めて、痕にならなければいいな、と思わずにはいられない。
アランと一緒にいればこうして”構われてしまう”だろうから、体を休める意味でも今日は出来るだけ距離をおきたいものだ。
(…っ)
アランの、リーファを抱き寄せる力が強くなる。体は密着して、顔は髪に埋もれすり寄る。
(これは…起きてるよね…)
更に身動きが取れなくなってしまうが、口を開くと叩き起こして不機嫌になってしまうだろう。
リーファはそっと、彼の手に指を絡めただけに留めた。
◇◇◇
身支度を整え朝食を済ませた後、講義は始まった。
場所は2階にある小会議室のうちの一室だ。
本城の中央に五つ並んでいる会議室のうち、最も西側にある部屋だ。そこそこ広い部屋ではあるが、生徒はリーファ一人、教師も一人のマンツーマン指導である。
ゲルルフ=デルプフェルトは、御年七十四歳の老人である。
総白髪は後頭部からのみ生え広がっており、足までつくのではないかというその長い髪は三つ編みで結わえられている。鼻下から左右にひげがふさっと伸びていて、こちらもかなり長い。小柄な背丈に青を基調としたゆったりした貫頭衣を着込み、白のローブを羽織っている。
彼はラッフレナンド東にある町ビザロの領主の四男坊として生まれ、学問を究めるため聖王領学院に留学。卒業後も諸国を漫遊して知識を深め、四十八歳にして先王に教授職を授けられた異色の経歴の持ち主だ。
他の追随を許さぬ知識量を有している御仁だが、昨今は足腰が弱くなっており、情報収集は弟子に任せているのが現状だと聞く。
「えー。ラッフレナンドは左右に広い土地を持つ国です。
南には芸術の国シュリットバイゼ、東には豊かな農産国シュテルベントが控える中、我が国は昔より鉱物資源が豊富な国として、主に鍛冶技術が盛んだったと伝えられています。
ラッフレナンド東にあるマゼスト、アーシー周辺の山は鉱山地帯となっており…。
ルバート銀山では鉛、鉄、銀、そして時折ミスリルが。ルトナン金山はその名の通り金が。
そして我が国が誇るミットアイレ鉱山の下層には、ダイヤモンドと伝説の鉱物アダマンタイトが産出されるのです」
黒板にはここいら一帯の地図が掲示されているのみで、チョークで書き込もうともしない。
これが彼の指導スタイルのようで、リーファはノートに言われた事をつらつらと書いていく。幸い、暇つぶしに公文書館でこれでもかと勉強した場所なので、頭に叩き込むのは難しくない。
「しかし悲しいかな。ここに目を付けた魔王軍が度々侵攻。軍備の強化を余儀なくされました。
現在、二十歳の男性は二年間兵役が課され、必要に応じて徴兵する制度があります。
…もっともここ三十年ほどは平和なもので、最近は北の国境アキュゼへの侵攻を阻止した程度。
いやはや、魔王軍も地に落ちたものですな。はっはっは」
入れ歯なのだろうか。並びの良い白い歯を見せつけて、快活に老人は笑う。
(以前魔王様は、先の暗黒年間で疲弊した資源と人員補充の為の休息期間が今だ、と仰っていたけど…)
ゲルルフの解釈を
昨今の侵攻の少なさや、北の国境アキュゼへの侵攻は、魔物側の鬱憤晴らしのような意味が込められているのかもしれない。
「さて。ここまでで何か質問はありますかな?」
ゲルルフにそう問われ、リーファは手を上げた。
「デルプフェルト様、よろしいでしょうか?」
「はい許可しましょう」
とても嬉しそうに返事をする老人が何だか微笑ましい。リーファは席を立ち、黒板の左側の方を手のひらで示して質問した。
「東の方は鉱物資源が豊富という事なのですが、西の方には何もないのでしょうか?」
「ほお、良い質問をなさいますな。───どうぞお座りなさい」
促され、リーファは椅子に座りなおす。
「西にも国はあるのです。エルヴァイテルトという、大陸最西端の国です。
以前はラッフレナンド同様鉱物資源が豊富な国でしたが、最近はそれも枯渇してきているようで。
とは言え、海に面した土地もあって海運業が盛んな国ですね。物流の中心と言っても過言ではない。
あちらに調査に行った者達の多くは、『料理が美味い』と帰るのを嫌がるものです。
かくいうワタクシも、ゆでだこの香辛料和えが忘れられなくて…オリーブオイルの風味が大変良いのです。パンとワインの相性も最高で…」
語りながらうっとりと虚空を眺め浸る老人。は、と我に返り、咳払いをした。
「───失礼、話を戻しましょう。
エルヴァイテルト本土の多くが高原や山地で、エルヴァイテルト最大の山脈と呼ばれるアダジェット山脈が、我がラッフレナンドとの実質の国境線となっています。
しかし、急傾斜の山を伝っての通行路が開拓されておらず、ラッフレナンド城と距離もあるので、南のシュリットバイゼを経由して行った方が断然早い。あちらでしたら、陸路も海路も開けていますからね」
「ありがとうございます。よく分かりました。
…土地がありますのに、少し勿体ない気がしますね」
「いやはや、全くです。…ああ、そういえば…」
「…?」
ふと、ゲルルフが顔色を変えた。しわだらけの顔をさらにクシャっと歪め、苦々しげに話を続ける。
「大した話ではないのですが、西方面に大きな都市があったようなのです。
遺跡がありましてね。どうやら前身である忌まわしき魔術師王国時代の建造物のようで…。
胡散臭いので調査は殆どしていないのですが。
我々からすれば
あやつらは何を考えているか分かりませんからなぁ」
と、ゲルルフは鼻息荒く、口元をへの字に曲げた。
(魔術師嫌いの人、城の中にはいないと思ってたけど…。
やっぱりそれなりにいるのね…)
年配者が魔術師を毛嫌いするのはよくある事だ。
魔術師王国自体は三百年以上前に滅んでおり、高齢のゲルルフすら接点はない。魔女裁判の全盛期は二百年以上前の話で、これも彼には関係はないだろう。
先王が魔術師の起用を検討していた事情や、数年前の”ラッフレナンド建国の魔女の聖女認定”もあり、国全体の魔術師に対する考え方が変化している雰囲気はあるが───今もなお、こうして露骨に
考え方を変えるのは容易ではない、という事なのだろう。
「そうなんですね…ありがとうございました」
「いえいえ。この話は忘れてもらって結構。我々には関係ありませんからな。
さあ、次は我が国の歴史について、ご説明しましょう───」
ゲルルフはそう言って、やはり黒板の地図はそのままに歴史の説明を始めた。
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