第5話 少女がここへ来た理由・2

「だからあ。あたしはただ、リーファさんの所に遊びに来ただけなんだけど。

 何でしばられないといけないワケ?」


 縛られた足をばたばた動かしているリャナを見下ろし、リーファは二年前の出来事を思い出した。


 魔王城での出会い、魔王に謁見、魔王に同行して訪れた人気ひとけのない廃村、そしてリャナとした他愛ない約束。


「…もしかして、お料理教える約束のこと…ですか?

 確かに、『いつでも遊びに来て』って言いましたけど………。

 もしかしてそれだけの為に、こんな大それた事を…?」


 しゃがみ込んで同じ目線で問いかけると、リャナは不満そうに頬を膨らませた。


「ん…まあそれだけじゃないんだけどね。

 リーファさんの家に行ったら、さっきの兵士の男の子に声かけられたの。

 で、リーファさんが『今お城にいる』って言ってたから、案内してもらっただけ。

 …まあ門の前で他の兵士に、通行の許可がどうとか言われたから、めんどくさいし、ちょちょっと混乱の魔術かけて何も見なかった事にしてもらったけどさ。

 今、下がうるさいのってそれでしょ?

 術覚えたばっかりで、まだ加減苦手なんだー。

 …ああでも、方向絞って威力を上げるコツは分かったし、成功ってことでいいよね?よしよし」

「…何がよしよしだ。いい迷惑だ」


 明後日あさっての方に顔を向けたまま、不貞腐ふてくされたアランがぼやいている。


 事情はともかく、どうやらリャナの用事はリーファが絡んでいるらしい。そしてその為に、リャナは危険を承知でこのラッフレナンド城に入ってきたのだ。

 城の者達にも迷惑をかけてしまったし、リャナにも危ない真似をさせてしまった。その原因を作ってしまったリーファとしては、針のむしろにいるような気分だ。


「すみません…」

「ん?何でリーファさんが謝るの?悪いのあたしなのに。

 でも、あたし別に悪いと思ってないから、謝らないけどね」

「…いい度胸だ。小娘」


 へっと小ばかにしたような顔でおどけて見せたリャナを、アランが射抜きそうな眼光で睨みつける。一気に場が険悪になり、リーファのハラハラが治まらない。


 側で聞いていたヘルムートの顔色が悪い。目眩めまいを覚えたのか、ふらっとした足取りで部屋を出て行こうとする。


「………ちょっとあの兵士に守秘義務について教えてくる…」

「あの子に何言ってもムダだと思うよ。

 一番近くにいたから、術の効果モロに引っかぶってるはずだし。

 多分あたしと会った事も覚えてないんじゃないかなー?」

「君は敵意がないってのは分かったけどさ。

 次に同じことをやらかしたら、責任問題になってしまうんだ。

 こういう事はちゃんと教えておかないと」

「…ふーん、そうなんだ。お城の仕事も大変なんだねー」


 リャナは納得いかない様子で唇を尖らせている。


(リャナは『それよりも精神魔術の対策教えなよ』って思ってるんでしょうけど…。

 ”魔術師嫌いの国”では無縁な話だものね…)


 ヘルムートの気持ちにもリャナの気持ちにも共感しつつ、リーファは本題を投げかけた。


「そ、それで…今日は一体何をしに来たんですか?」

「ああ、どうもこうも…。

 リーファさんからの定期報告がないから様子を見に行って欲しいって、ラダマス様から言われたの」

「あ…!」


 リャナの言葉に、リーファは顔を青くして絶句した。


「…ラダマス、様?」


 ヘルムートが訊ねると、顔色を悪くしているリーファに代わり、リャナが答えてくれる。


「グリムリーパーの王様なの。

 今いる全てのグリムリーパーの父、って呼ばれてるエライ人なんだから。

 リーファさんにとっては、おじいちゃん、かな?

 …あたし、ラダマス様のお城に、パパのおつかいで行ってきたんだけど、その時『リーファが最近顔を見せに来ない』って言ってたから、ついでに来てみたんだ。

 まさかお城にいるとは思わなかったなー」


 自分のうっかりをリーファは只々恥じ入る。


 ───グリムリーパーには、定期的に王であるラダマスに報告をする義務が課されている。

 義務と言っても形式が定められたものではなく、『皆元気に過ごしているか話を聞かせてほしいのさ』とラダマスは言う。

 報告周期がある訳ではないが、以前は数ヶ月に一度は行くように心掛けていたから、来なくなってしまったリーファを心配してくれたのだろう───


「すっかり忘れてました…」

「顔を見せに行った方がいいと思うよ?何か戦争でもするような勢いで心配してたから」


 物々しい単語が出てきて、リーファの顔色が更に暗くなる。


「せ、戦争ですか…それは早めに報告に行かないとですよね………ううん…」


 頬に手を当て悩み始めたリーファを見て、ヘルムートが首を傾げた。


「何か、行きたくなさそうだね」

「行きたくない、って程じゃないんですが…ラダマス様って、ちょっと苦手で」


 言葉を濁していると、リャナは納得した様子でうなずいている。


「あー、分かるかも。好みが分かれる人だよねー。

 優しいんだけど、暑苦しいっていうか。あたしは好きだけど」

「お話が長いんですよね…なかなか帰してくれなくて…。

 前回は気付いたら一週間も留まらされてしまったもので…。

 …それに、陛下に外出の許可を頂かないといけませんし───」

「ダメだ」


 そっぽを向いているアランが、背中越しにばっさりと言い捨てた。


「お前を城から出す許可はしない」


 機嫌が悪いのはその背中を見るだけで明らかだった。

 リーファは腰を上げ、アランに詰め寄った。


「き、聞き入れて貰えませんか?体は置いていきますので…」

「許可しないと言ったぞ」

「た、多分、半日…いえ、一日で帰ってこれると思いますし」

「くどい」


 アランはかたくなだ。リーファに顔を見せようともしない。


 リーファが報告へ行かなかった理由の一つがこれだった。

 リーファの行動はアランによって管理されており、外出はアランの許可が必要だ。

 人間の体を置いて魂の回収をした時ですらケチがついたものだから、何日も城から離れる事になる定期報告の許可は下りないものと考えていた。


 側女の任が解かれ城から出たら報告へ行こうとも考えたが、リャナが来てしまった以上、それすらも遅い判断だったと言う事なのだろう。


「…はあ。困りましたね」

「ねえねえリーファさん」

「はい?」


 声をかけられてソファへと向くと、いつの間にかシェリーがリャナの拘束を解いていた。


「そこの人ってリーファさんのなあに?」

「何って…え、ええっと…私、この方の側女なんです」

「そばめって?」


 言ってしまってよいものか、リーファは一瞬たじろいだ。サキュバスとは言え、相手は年端も行かない少女だ。

 言葉を選ぼうとしたが、結局良い言葉が思いつかず、一番簡単な言い方にした。


「う、うーん。こんな事言っていいんでしょうか………。

 愛人、って言えば分かります?」

「はーん」


 それで少女はなんとなく分かったらしい。さすがはサキュバス、なのかもしれない。


 リャナはソファから降りて、アランの所へ駆け寄った。アランに興味津々、好奇の目を向けている。


 不機嫌に眉根を寄せるアランが、リャナを睨んだ。


「何だ」

「心配なんだ」

「何の話だ」

「今すっごく不安になってるでしょ?リーファさんが、このまま出て行っちゃうんじゃないかって」

「ふん、馬鹿な事を」


 鼻であしらうアランだったが、リャナは自信があるようだ。人差し指でアランの周囲を包むように弧を描く。


「サキュバスってね、相手の気持ちを色で捉えることができるの。

 一番外側は赤、でも内側に向かって薄い緑色から濃い緑色になってる。

 怒りと恐れの感情が入り混じった色なんだ。

 分かるわー。きっとひとりになってさびしくなるのが怖いのね。うんうん」


 アランの口元がわずかに震えたような気がしたが、それが動揺から来るものかどうかは分からない。

 呆れながら、アランはリーファを親指で指し示した。


「そんな訳があるか。

 この女は私の子を産む為のはらでしかない。

 そろそろ子作りを始めようというのに、そちらの都合で連れて行かれるのが気に喰わんという話だ」

「だったら、人間の体だけ置いてけばいいじゃん。

 リーファさんはグリムリーパーの体でラダマス様にちょおっと会いに行けばいいんだし。

 それとも、一日やそこらもがまんできないお年頃なの?」

「そんな抜け殻だけ置いていかれてどうしようと言うのだ。

 男女の情事にはタイミングというものがあるのだ。

 ………おっと、子供には分からん話か?」


 アランが、ふ、と鼻で嗤うと、リャナの顔から笑顔が消えた。


「あ?」


 険悪な雰囲気がしばしふたりの間に流れたが、引いたのはリャナの方だった。目を閉じて溜息を吐き、肩を竦めただけに留める。


「…は、めんどくさいオッサン。

 そんなに一緒にいたいなら一緒に行けばいいじゃん?」


 事も無げに言ったリャナの提案に、リーファは反論する。


「いや、さすがにそういうわけには…ラダマス様のお城まではかなり遠いですし。

 私なら体を置いていけばすぐですけど、陛下まで連れては…」

「リーファさん、あたしがどうやってここまで来たと思ってるの?

 はいこれ」


 リャナはリーファを手招き、腕にはめていた金色の腕輪を渡した。ぐるっと一列、色とりどりの宝石が埋め込まれている腕輪だ。

 見た事も使った事もある。どこか遠出するのに、これほど便利なアクセサリーはない。


「”空と大地を渡り、水の瞬きを内に秘めた光の欠片達、瑠璃るりの欠片に命ずる”」


 さっさと詠唱しだしたリャナを見て、リーファが思わず声を荒げた。


「リャナ?!一体何を───」


 慌てて腕輪を返そうとするが、リャナがリーファの腕に強引に差し込んだ。

 ばじっっ、と音を立て、腕輪から青い光が溢れだす。


「”汝があるべき場所はここにあらず、太陽と月の導きに従い、目指せ死せる者の都へ”」

「い───きゃあっ!」


 リャナは子供とは思えない腕力でリーファを引き寄せ、椅子に座って呆気あっけに取られていたアランに押し付ける。


 アランが咄嗟とっさにリーファを抱きかかえたのを見計らい、リャナは一歩下がって術具発動の呪文を言い放った。


「”良い旅をブエン・ビアヘ”!」


 リーファとアランの体を、瑠璃るり色の優しい光が包み込む。ふたりを中心に、光を纏った風が荒れ狂う。

 執務室の窓ががたがたと揺れだし、机に置いてあった書類諸々が風に舞う。


「アラン!」

「リーファ様?!」


 風に気圧けおされたヘルムートとシェリーの悲鳴が聞こえたその瞬間。

 ───リーファの視界から、城内の景色が吹き飛んだ。

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