第11話 城内見学・2

 2階の執務室をノックすると、中から「どうぞ」と男性の声がかかった。


「失礼します」

「お邪魔致します」


 執務室にいたのはヘルムートだった。彼は窓際にあるソファに腰かけ、テーブルに書類を広げて朗らかな笑顔で出迎えてくれる。


「やあ、こんにちわ。リーファと………ええと、マイサ、だったね」


 執務室に入り扉を閉めると、彼は近づいてきて握手を求めてきた。マイサは少し物怖じしながら彼の手を取る。


「名前を覚えて頂けて光栄ですわ」

「僕はヘルムート=アルトマイアー。アラン…陛下の補佐をしているよ」

「それと、陛下のお兄様でもあるのよ」

「え?!そ、そうなんですの?」


 リーファが補足すると、マイサは目を丸くして驚いていた。

 色めくマイサを横目で見て、ヘルムートは手を解きながらリーファをたしなめた。


「こらリーファ。それ言っちゃダメじゃないか」

「え…ダメ、なんですか?」


 リーファは首を傾げて訝しんだ。今までアランとの繋がりについて何も言われていなかったから、急なお叱りに戸惑ってしまう。


「王の子供はそれなりの年齢になると、適性のある部署で働く事になってるんだ。

 それを踏まえた上で、王族として席に就く事が許された者だけが王子を名乗れる。

 …子供の頃は便宜上、殿下とは言われてたけどさ。

 僕は継承権は放棄してるから、王子には成り得ないただの一般人なんだよ」

「…でも、兄弟である事には変わりないですよね?」

「そうなんだけどさ。

 それを言いふらしちゃうと、『王になれー』とか面倒な事を言ってくる連中もいるんだよ」


 頭を掻いて笑うヘルムートを見て、以前彼が『王政とかどうでもいい』と言っていた事を思い出す。

 リーファも、彼は補佐の方が向いているのでは、と思うし、王の血統だからと担ぎ上げられるのは嫌なのかもしれない。


「…ああ、それは確かに面倒ですね」

「だろう?」

「あああああの、何故継承権を放棄なさったのですの?」

「んー…それ、聞きたいの?」


 割って入ってきたマイサの質問に、ヘルムートは含みを持たせた物言いをした。


 聞いてはいけない事だと直感したらしい。マイサは顔を青くして否定した。


「いいいい、いえ。そんな、さ、差し支えなければという話で…っ!」

「そんなに怖がらなくても。

 …まあ、今言ったみたいに面倒臭い、っていうのもあったんだけどさ。

 んー…なんて言ったらいいかな?簡単に言うと、妻が嫌がったんだよね」

「あ…」


 何かマイサの心に引っかかったのか、か細く呻いて押し黙ってしまう。

 しょげているマイサに代わって、リーファが質問をした。


「奥さんが…なんでまた?」

「彼女、庶民の出だからね。

 王族の扱いになると、彼女も貴族側の行事に参加しないといけないし。

 彼女から『堅苦しい生活をするなら結婚なんてしないっ』って言われたら、諦めるしかないじゃないか」


 肩を竦めて困ったように言って見せるヘルムートを眺めていたら、ついつい口の端が吊り上がってしまった。


「ああ。ノロケですね」

「え、やだな。そんな風に聞こえた?」

「それはもう」


 へらっと笑う辺り、ヘルムートも惚気のろけたくて言っていたようだ。話に聞くだけで、愛妻家だという事がよく伝わってくる。


 我に返ったマイサも、ふたりの話に加わってくる。


「け、権力か愛か、究極の選択をしたって事ですものねっ。

 ………ああ、素敵…羨ましいですわあ………」

「それで?奥さんとはどこで知り合ったんですか?付き合いだしたきっかけは?」

「プロポーズの言葉はどんなだったんですの?式はやはりこちらの礼拝堂で?」


 質問攻めをし始めた女性陣にたじろぎ、ヘルムートはふたりを両手で遮った。


「こ、こらこらこら。君達僕の話を聞きに来たんじゃないだろう。

 アランの事聞きに来たんじゃないのかい?」


 王族と庶民の恋愛話という滅多にお目にかかれないエピソードに、つい気持ちがたかぶってしまったようだ。リーファとマイサは揃って肩を落とす。


「は。…そ、そうでしたわ…」

「私はもうちょっと聞きたかったんですけど…」

「立ち話もなんだから、まあ掛けて。

 リーファ、お茶を淹れてくれるかい?」

「あ、はい」


 ヘルムートに促され、マイサは向かいのソファに腰掛けた。

 リーファは、テーブルの側にあったワゴンのティーセットで紅茶を淹れ始める。


 紅茶を淹れているリーファをちらりと眺めつつ、マイサはテーブルの書類を片付けているヘルムートに問いかけた。


「あの…アルトマイアー様から見て、陛下はどのような方ですの?」

「うーん。そうだねえ。僕は、子供の頃からアランを見ているからなあ。

 今でこそ図体はでかくなったけど、まだまだ子供っぽい所があるかな、とは思ってるかな」


 熱湯に紅茶の色がつくのを待ちながら、アランの常日頃の言動や周囲の者達の反応を思い出す。


「子供っぽい………エリナさんもそんな事言ってましたね」

「エリナも城仕えが長いからね。

 …そうだな。やっぱり昔っから変わってないかなって思う事もあるよ…よいしょっと」


 書類を抱えて席を立ち、執務机の上に積み重ねる。机には他にも色んな書類が雑多に置かれていて、溢れかえらんばかりだ。


「陛下の子供の頃とは、どんな感じだったのでしょうか?」

「小さい頃は、よく僕やシェリーについて回ってたね。

 臆病で泣き虫で怪談話が苦手で、一人寝が怖くて一緒に寝てあげてたなあ。ははは」


 ティーカップに紅茶を注ぎつつ、リーファは眉をひそめた。あの強面こわもてからは想像もつかない時代があったようだ。


「い、意外ですね。そういうのは全然平気なのかとばかり…」

「まあ、おかげさまで最近は大分慣れてきたみたいだけどね」

「???おかげ、さま?」


 ヘルムートが何か言いたそうに流し目を送ってきて、リーファはその理由に気が付いた。


(あ………わ、私の所為せいか…!)


 どうやら大亡霊や魂の回収作業を見て、怖がる程のものではない、とアランは考えるようになったようだ。


 ヘルムートの視線に気付いて、マイサもリーファを仰いできた。

 怪訝な顔をしているマイサについ苦笑いを返しつつ、リーファは何とか話を逸らした。


「む、昔から甘いものには目がなかったんですか?」

「ん、そうだね。週に一度は、おやつの時間はメイプルシロップひたひたのパンケーキだったかな」

「あ、ええっと、パンケーキがお好きなのですね…メモメモ」


 胸ポケットに忍ばせていたメモ帳と鉛筆を慌てて手に取り、マイサはメモを取り始める。


 ヘルムートがソファに座りなおすと程無く、リーファは三人分の紅茶をテーブルに差し出した。シルバーのトレイをワゴンに戻し、マイサの隣に腰を下ろす。

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