第3話 新しい想い人を求めて・1

 ラッフレナンド城下は、城に近ければ近い程、上流階級の住宅が多いとされる。

 と言っても、城から一番遠い場所にある家が最も貧乏という訳でもなく、貴族が雑踏を嫌ったり景観の問題で城に近い土地に居を構えて行った、という話らしい。


 城下の西側で上流階級の住宅街とそれ以外の住宅街の狭間にあり、直線距離なら一番共同墓地に近い場所に、城下唯一の診療所がある。

 唯一と謳う割にはそれ程大きい施設ではない。

 医師は一人しかいないし、看護師は五人。

 診療所は2階建てで、1階は受付と治療室などが、2階は大部屋の病室があり十人が寝泊りできる。


 墓地のすぐ側で森にも近い為、診療所周辺は雑草の浸食が激しく、お世辞にも小奇麗とは言えない。

 その為か貴族と庶民の境界に在りながら、ここは庶民ばかりが顔を出す。


 ◇◇◇


 時間は午後一時。診察時間が変わっていなければ昼休憩の時間だ。

 診療所の入り口の側に馬車を待たせ、リーファはひょっこり顔を出した。


 正面にある待合室の長椅子六脚には誰も座っておらず、どうやら午前の診療は滞りなく片付いたらしい。


 目に留まったのは、受付の先で背を向け書類整理をしていた女性看護師だ。

 タンポポの花を思い出させる、短くもサラサラとした金髪を思わず撫で漉きたくなる衝動に駆られながら、リーファは声をかけた。


「ごっ…ご無沙汰してますっ、ジャネットさん!」


 ジャネットと呼ばれた看護師は、こちらに振り向いた。エメラルドのような光彩を帯びた瞳が大きく瞬く。

 彼女はリーファの姿を上から下から見ると、待合室に響く程の声を上げた。


「髪、みじかっ?!」

「そこなんですか?!」


 第一声がそれで、リーファはたまらず突っ込んだ。


 ジャネットは、受付に乗り上げんばかりに近づいて来た。

 ヘルムートに整えてもらってすっかりショートカットになってしまったリーファの髪を、両手でわしゃわしゃ掻き回す。


「きゃーっ、何で?何で髪切っちゃったの!?あれだけ伸ばすって張り切ってたのに!

 アタシ長いの可愛いなあって思ってたのにショックだわー。

 わ、服すごく可愛いねー。これもしかしてゴスロリってヤツ?

 やだーアタシと王様趣味合いそうじゃないよー」

「いた、いた、いて。いたいです」

「ん?ごめんごめん。

 さあ、そんな所にぼっ立ってないで早く薬剤室行って。

 皆飯食べてるし、アタシももう行く所だから。

 マイサー、ソフィー、リーファが来たよー」


 そう言うとジャネットは両手を離し、さっさと受付の奥に引っ込んでしまった。多分、隣の薬剤室に行ったのだろう。


 あっという間の出来事に呆然としながらも、待合室に取り残されたリーファの顔が不意に緩んだ。


「変わらないな…本当に」


 ◇◇◇


 受付に隣接している薬剤室には、ジャネットと二人の看護師がいた。


 一人の女性の名前はマイサ。

 腰までの長い栗毛をナースキャップでまとめた、お姫様のように整った顔立ちの女性だ。

 ピンク色のナース服がよく似合うスリムな体型で、特に脚線美に関しては患者からも評判が良いらしい。


 もう一人の女性の名前はソフィ。

 黒髪短髪で瓶底眼鏡の、そばかすが目立つ少女である。

 緑色のタートルネックの服に黒のスラックスを着て白衣をまとっているのは、胸が大きい為にナース服のサイズが合わなかったからだとか。


 良くも悪くも対照的なふたりだが、未婚で恋人もおらず年齢に見合う女性で思いついたのがこのふたりでもある。

 ちなみに、ジャネットはこの診療所の医師ニコラスと結婚して二児の母であり、今日非番の看護師も一人は男性、一人は彼氏持ちなので相談は出来ない。


 丁度昼食の最中だったらしい。各々弁当を持ってきて、食べ始めようとした所だった。

 ふたりはリーファの姿を見て、唖然とした様子で同時に声を上げた。


「髪が…?!」

「ない?!」

「いや、だからそこなの?」


 ふたりの反応に、リーファは即座に突っ込んだ。


「いやだって、頑張って伸ばしてたではないですか。腰まで伸びるまで頑張るって…」

「そんなにばっさり切って………は、まさか王様って、髪が短い女性が好きなんですの?」

「あー…うん、どうかなー…どうなんだろうねー…。

 …あ、そうだ。ジャネットさん、これお土産です」


 リーファは困惑しながら毛先を触っていて、ふと左手に持っていた紙製の小箱を思い出した。

 ジャネットに手渡すと、彼女は小箱に鼻をくっつけてひくつかせている。


「あら、もしかしてチーズケーキ?

 リーファ昔っからお菓子作るの上手よねー。早速切り分けてくるね」

「メスで切るの止めて下さいよ?」

「分かってるわよ、クーパーで切ればいいんでしょ?」

「え、えーと。出来るんならそれでもいいですけど…」

「四等分でいいよね?」

「…んーと…」


 返事に困っていると、ジャネットは鼻歌を歌いながら小箱を抱えて奥の部屋へと引っ込んで行った。

 ジャネットの背中を見送っていると、マイサがぼそっと言ってきた。


「先生の分は含めてませんわよ、あの様子なら」

「だよね…」


 ニコラスも甘い物は好きだったと思うが、ジャネットがああしてニコラスを除け者にしているのは理由があるのだろう。


(なんかあったんだ…)


 色々と察していると、ソフィが戸棚からコップを取りお茶を注ぎ、空いた席のテーブルに置いていた。


「まあどうぞ、かけて下さいよ。

 積もる話、いっぱいあるんでしょう?」


 どこか察した様子のふたりを見て、リーファは恐る恐る訊ねてみた。


「…先生宛に出した手紙、もしかして見た?」

「ええもちろん。…王様の愛人になったと」

「ズルイですわ。リーファばかりいい思いして!」


 マイサの『いい思い』の言葉に微妙な顔をしながら、リーファはソフィに招かれて椅子に腰掛けた。


 ───診療所の人達には、リーファが魔術師である事は話していない。

 その為ニコラス宛に送った手紙には、『意識不明の先王を色々手を尽くして回復させて、その功績で現王の下で働かせて貰っている』事のみ記していた。


 ”側女”という言葉を使った覚えはないが、どうやらニコラスには正確にリーファの現状が伝わったらしい。

 臨時医師として城へ出入りをしている彼の事だから、もしかしたら手紙を受け取る前にある程度事情は知っていたのかもしれないが───


 診療所特製”うまいのかまずいのかよく分からない薬草茶”を一口飲む。

 いつまでも残る独特のくどさに一周回って懐かしさすら覚え、ほっと溜息が漏れた。


「…いい思い…なのかなあ。

 まあ城から出るのに許可が要る事を除けば、不自由なく暮らせてると言えば言えるんだけど…」


 納得行かない様子でうつむくリーファを見て、マイサとソフィが顔を見合わせる。


「何か、不満そうですね。具体的な事を聞いても?」

「ああ、うん。そうだねえ…」


 アランへの心証が悪くならないように、彼女らが混乱しないように慎重に言葉を考えながら、リーファはぽつりぽつり話し出した。


「とりあえず、朝起きたら肌の手入れをして…クローゼットに用意してある服を着替えるのよね。

 支給される服は、大体がメイドさん達が昔着てたメイド服らしいよ。

 さすがに私の服じゃ、城で歩き回れないからね」

「ふむふむ」

「で、お城の食堂で朝食を食べて…その後は…公文書館で昼まで本読んでるかな。

 最近は、部屋に戻って編み物とかしてるけど」

「ほうほう」

「食堂でお昼食べたら、時間があれば厨房借りて余った食材使ってお菓子作ったりして…。

 謁見が終わった陛下の所に顔出して、色々…その、お話ししたり、一緒におやつ食べたりして」

「………………」

「夕食食べたら湯浴みして、その後は陛下が部屋に来るまでのんびりして…」

「…何か」

「びっくりする程何もしてませんわね…」


 分かってはいた事を改めて言われて、リーファは困惑した。両手を振って慌てて弁解する。


「し、仕方がないのよ。

 公式のお仕事じゃないらしいからパーティーとかに参加する訳じゃないし。

 どこにいても別に咎められないけど、基本邪魔しちゃ悪いじゃない。

 陛下には色々命令されるけど…正直何の為にやらされてるかよく分かんない事ばっかりで…」

「それでも、夜会いに来るんでしょう?」

「あら、まぁ」


 ソフィの発言に、ケーキを持ってきたジャネットが下世話な笑みを漏らした。

 テーブルに置かれた皿の上のチーズケーキは、きっちり四等分に切り分けられている。


 リーファの顔色がすっと悪くなった。今までの事がふつふつと脳裏によぎり、口から声が出なくなる。

 これから提案する事に対して、アランの評判を下げる意味はない。

 だが、出てくる思い出は評判が下がるものばかりだ。


 三人から突き刺さる期待に尻込みしつつ、何とか良い方向に言葉を探すが、何とか辛うじて出た言葉もまた、あまり良いものとは言えなかった。


「来る、には、来る、けど…。

 …。

 ………。

 ………ぶ、ぶっちゃけ、何も、して、こないんだよね………」

「「…はあ?」」


 ジャネットとソフィの間抜けな反応に、リーファは両手で顔をそっと覆った。


(ああ………失敗した…)


 消沈していると、確かめるようにソフィが訊ねてきた。


「何も?」

「な、何も…」

「じゃあ何の為に会いに来るんですか」

「…う、ううん…そうだね。私も、知りたい、よ…」


 どう答えていいか分からず、そんな事しか言えなくて腹立たしくなりながら、大きい溜息が漏れる。

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