第10話 調べ物の合間に
ラッフレナンドの王城の禁書庫は、怪異の噂が消えた事で開放され、昼夜問わず行き来が自由になった。
と言っても夜の帳が下りたこの時間では、さすがにリーファ以外は誰もいない。
彼女はランタンのわずかな灯りを頼りに、何冊も積みあがっている本を読み漁る。
時々本を探しに行くが、視界が悪い上に蔵書の量も多い為なかなか見つからない。
光源を生み出す魔術は知っているのだが、どうにも使う気にはならない。
人の目が無くても、ここは”魔術師嫌いの国”の真ん中だ。何かの拍子に誰かに白い目で見られるのは気が引ける。
(このランタンの灯りも、そう悪いものじゃないしね)
真っ暗闇をぼんやりと照らす火の光を眺め、リーファは薄く笑った。城に入ってからはアランの側にいる機会が増えたから、こうして独りでいる時間はなかなか貴重だ。
が。
「こんな所にいたか」
「ひゃあっ!?」
東側の本棚を物色中に背後から呼びかけられ、リーファは跳ねるほど驚いた。
ばくばくしている胸を押さえて恐る恐る振り向くと、アランが立っていた。
ランタンに照らされた顔はいつもと変わらず仏頂面だが、どことなく拗ねているようにも見える。
「部屋にいないからどこへ逃げたかと思ったぞ」
どうやら部屋にいないと気付いて探していたらしい。貴族服は着たままだから、これから湯浴みをするつもりだったのだろう。
思ったよりも禁書庫に長居していたようだ。リーファは素直に頭を下げた。
「す、すみません。
早く切り上げて戻るつもりだったんですけど、調べる事が増えちゃって」
「…お前は私の何だ」
「は?…え、えと、側女ですね」
「側女の仕事は何だ」
「…陛下のお世話をする事です、ね」
「今している事は、私の世話にあたるのか」
「あ………えー………」
返答に困っていると、アランの左手の指がリーファの顎にかかる。
足と足の間にアランが一歩踏み込んできて、本棚に背中を押されて逃げる事が出来ない。
「王家の呪いが解け、正妃だろうが側女だろうが関係なく子をもうける事が可能になった」
「っ」
右手がリーファの大腿を撫で回してきて、反射的に怖気立つ。
アランもそれを期待していたらしく、顔を強張らせるリーファを見てほくそ笑んだ。
「お前の仕事は、寝台の上で私を待つ事………違うか?」
「そ、そうなんですけど………あの、陛下」
「なんだ」
「子供が見てます」
キスしようとしたアランの目の前───苦笑いを浮かべたリーファの頬に、まん丸い藍色の目玉が生えた。
「───っ?!」
ごっ!
声にならない悲鳴を上げてアランが後ずさりをして、後ろにあった本棚の角に軽く頭を打ちつける。
藍色の目玉はそんなアランを不思議そうに眺めている。
やがてリーファの体から、にゅっ、と擬音が鳴りそうな感じで、金髪癖っ毛の少年が飛び出した。
身なりは白いワイシャツに浅葱色のベスト、ベージュ色の短いズボンを着ている。つけている赤い蝶ネクタイにはラッフレナンドの国章が縫われていて、いかにも貴族っぽい。
子供は興味津々な様子でアランに声をかけた。
「ねえねえ、いまなにしてたの?なにしてたの?」
本棚に張り付いたまましばらく少年を凝視していたアランが、は、と気づいてにこにこしているリーファを見る。
「はい、エニルです」
「しかし、あの魂は生まれて間もなく死んだと」
「魂は姿を自由自在に取れるんですよ。
殆どの人は死ぬ直前の姿を取るんですけどね。
この子の父王様…ルーカス王の幼少期の肖像画があったんで見せたら、気に入ったらしくて」
「ねえねえ。なにしてたの?ねえ?」
アランからは返事がもらえないと思ったらしい。エニルはリーファに訊ねてきた。
腰を下ろして、エニルの頬を撫でながらリーファは少し困った顔をする。
「うーんとね。『子供が早く欲しいね』って、お話ししてたんですよ」
「…えにるみたいなこどもが?
それいやだな。えにるはわるいこだから、うまれちゃだめなんだよ」
「なんでエニルは悪い子と言われたんですか?」
エニルは少し困った様子で首を傾げている。
「…えにる、いらないこなんだって…」
「そうでしたね。
でもエニル。私は、エニルはいらない子じゃないと思ってますよ」
「どうして?」
「今それを調べているんです。エニルがいらない子じゃない理由をね。
………さあ、椅子に座って待ってて下さい。今、本を持って行きますからね」
「はーい」
聞き分け良く声を上げたエニルが、ふわっと浮いて机のある方へと飛んで行く。燭台の火がぼんやりと揺らめいている机の側の椅子に行儀良く座ったエニルは、こちらを向いて笑顔で手を振っていた。
リーファはほんわかした気持ちでエニルに手を振り返し、ようやく落ち着きを取り戻したアランに声をかけた。
「ふふ、陛下の子供の頃も、あんな感じだったんですかねー」
「知らんな。…ところで何の本を探していたんだ」
「あ、えーと………側女の名簿なんですけど。最初期の」
申し訳ない気持ちで答えると、アランはより不可解な面持ちで眉根を寄せた。
「…そんなものを調べてどうする」
「本当は側女の仕組みに関する書が欲しいんです。
でも、特に書面に記してないみたいなんですよね。
公文書館にも行ったんですけど、司書の人に聞いたら『最初期の側女の名簿ならこっちにあるはずだ』と」
「…公式に発布されたものではないらしいからな。
側女となる条件などないし、なるほど、探すなら名簿しかないわけだ。
………まあいい。これでチャラでいいな。次からは貸し借り無しだ」
アランはそう言ってリーファのランタンを取り上げると、窓側の本棚の方へと歩いていく。
(場所…知ってるのかな…?)
まさか協力してくれるとは思っていなかったから、反応が遅れてアランの背中を目が追いかけてしまった。我に返り、リーファは慌てて頭を下げる。
「あ、ありがとうございますー」
アランの背中から反応が返ってくる事はなく、リーファは暗闇の中エニルが待つ読書スペースへと戻って行った。
◇◇◇
それからしばらくして、アランは目的の名簿と、数冊の本を手に戻ってきた。
乱暴に積み上げられた本を不思議に思って開くと、どうやら国に関わった魔女達の記録らしい。
ページをめくっていくと、”王家に忌まわしい呪いをかけた魔女”と題して一人の女性の名前を見つける。どうやらエニルの母親らしく、魔女の名前は”ヴァレリエ”となっていた。
そのページには、ヴァレリエの住まい、家系、生い立ち、生業、魔女たる罪状などが事細かく記されていた。
本に夢中になってふと気がついたら、アランはエニルを自分の膝に乗せ、持ってきていたらしい本を片手に御伽噺を聞かせていた。
「…サディアスという青年は聖女と呼ばれた娘と共に、魔術師達に苦しめられている者達を集めた。
聖女には秘策があり、魔術師達を弱らせる剣と石を、サディアス達に渡した」
内容はこの国にまつわる英雄の話らしい。男の子だからか、それとも自分に連なる者達の話だからか、エニルは熱心にアランの言葉に耳を傾け、時々質問を投げかけていた。
「まじつしって、わるいやつなの?」
「ああ。サディアス達を苛めていたのだ」
「ふーん、じゃあ、まじつしいらないねっ」
「サディアス達にとっては、いらない者達だったのだろう」
エニルの問いに答えるアランは、見た事もない程穏やかだった。彼には歳の離れた弟がいるというし、こんな風に接しているのかもしれない。
(この方なら、生まれてきた子を邪見にはしないんでしょうね…)
そんな事を考えていたら、不意にリーファの口元が緩んだが───
アランを見ていていきなり視界が揺らめいた。
「…っ」
一瞬だけ見えた光景。今でもなく、ここでもない場所が、リーファの視界に入ってきた。
───四角い石で積み上げられた壁は厚い。
窓は小さく、光は殆ど入って来ない。灯り一つすらついていない。
まるで牢獄のような殺風景な部屋だ。
粗末な寝床に臥す薄汚れた老人は、虚ろな目で口を動かす。
悲しみか、怒りか、怨嗟か。
いずれにしても部屋に老人以外はおらず、誰に届く事もない───
「………………」
ちらついたものを遮るように、リーファは瞳を閉じた。
瑪瑙色の双眸を開ければ、そこにはアランとエニルの仲睦まじい姿をあるだけだ。
だが、今脳裏を焼いた光景は、妄想などではない。
グリムリーパーの力の一つ───”死に際の幻視”だ。
その人物が死ぬ時期を、幻視という形で視る事が出来る。
魂回収の大まかな時期を知る為のもので、リーファはその時期の光景を視るが、中には状況を示す文章を視る者もいるらしい。
また、任意に視る事も出来るが、今のように不意に視てしまう事もある。これは恐らく、リーファがハーフゆえに制御が出来ていないからなのだろう。
(陛下は、長生きは出来そうよね…)
一応、良い方向に解釈してみる。
他のグリムリーパーに刈られる事もなければ、戦争で死ぬ事もなく、病気で早世する心配もなさそうだ。
でも、あの死に際が幸せな末路だと言えるかどうかは、分からない。
アランが城で余生を過ごすのであれば、今わの際を見に行く事ぐらいは出来るかもしれないが。
(…きっと私は、そこにはいられない)
リーファはアランに気取られないように溜息を吐いて、側女の名簿を開いた。
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